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9.出生

 深夜三時を回るころ、ブラッドローズの営業を終わり部屋にあがってきた。しかし部屋にガルの姿はない。今日はに夕方頃出て行ったがさすがに帰りが遅すぎる。1時ごろに送信したメッセージにも返信はなくGPSも動いていない。まさか、何かあったのだろうか?  連絡先からガルの名前をタップして電話をかける。しかし何コール待ってもガルが電話に出ることはなかった。 「…っ」  嫌な予感がする。私よりはあまり連絡がこまめではないとはいえここまで反応が無いのはおかしい。せめて電話に出るか、出れない場面ならメッセージを返してくるはず。せめて10分待ってみよう。なにかトラブルでもあってすぐに返事ができないのかもしれない。手が離せないのかもしれない。不安で何も手がつかず一分一秒がとても長く感じられる。既読がつくだけでもいい、生きてそこにいるという確証をください。  願いは届かなかったようで10分待とうが20分待とうが返信どころか既読さえつかなかった。何かあったに違いない。(ウォン)は強い恐怖に駆られて慌てて家を飛び出した。倒れているかもしれないからと車に乗り込んで、スマホのGPSが指す場所へと向かう。幸い深夜という事もあってか道は大分空いており、到着までにそれほど時間は掛からなかった。GPSの反応を頼りに歩いていると小さな光を見つけた。スマホだ。間違いなくそれはガルのスマホだが肝心の本人はどこにもいない。音すらしない空間にぽつりと落ちているスマホを拾い上げ(ウォン)は余計に恐ろしくなった。どこかに連れていかれたのではないか?それともただスマホを落としてしまっただけだろうか。怖くなって周囲を見渡していると不意に着信音が響き渡った。驚いてガルのスマホを落としそうになるがなっているのは(ウォン)のスマホだった。 「…お電話ありがとうございます。こちらツインヘッド…」 「知っているよ。君が(ウォン)だね?」  聞きなれない声の人だ。日本人ではないのか少し言葉が片言に聞こえる。なにか生活音のようなものも交じっており、ひとりではないような雰囲気がした。 「ええ、私が(ウォン)ですが、ご用件は…?」 「単刀直入に言うよ。ガルを預かっている」  聞いた言葉に戦慄した。誘拐犯がわざわざ私にかけているかもしれない。そうしたら、ガルが私の事を話したという事だ。そして心理戦でも仕掛けてくるつもりだろうか…? 「…っ。あなたは何者ですかっ!」 「あーあ、怒ってる。違うんだ。いったん落ち着いておくれよ」  落ち着いていられるものか、と言いそうになったが堪えた。今すぐに殺したり、拷問をするような態度には見えなかったからだ。 「私は冷静です。あなたは何者ですか」 「言うと火種になりそうだから言いたくなかったけれどその様子じゃ聞かないと話が進まなそうだね?僕はエウスタキオ・アルベルティーニ。聞いたことがあるかもしれないけれど、コーザ・ノストラの幹部ってところだね」  コーザ・ノストラ、イタリアのマフィアだ。日本に参入している犯罪組織の中でも力を持っている方で、東北全土は彼らの支配下にある。勿論青龍とも仲の悪い組織である。 「コーザ・ノストラの人が何故ガルを?理由が理由なら私は容赦しませんよ」 「怖いねぇ。でもどうこうしようってわけじゃないのさ。預かっているだけ。そこは間違えないでほしい」  確証の持てる話が無い以上何も言えない。沈黙しているとエウスタキオのほうが話し始めた。 「ガルがどうしても連絡してほしいというから電話をかけているんだよ。心配しているだろうからって」 「当たり前です。私の相棒なので」 「そう怒らないで。事情を説明したら納得してくれるかい?」  つい声に感情がこもってしまう。怒りなのか何なのかはわからないが少し興奮気味であることは確かだった。 「日にちが変わる前くらいだよ、我々の友人(構成員)が倒れているガルを見つけてね。僕に知らせてくれたんだ。だからそのまま保護してくるように言ったんだよ」 「保護…?あなた方が?」 「信用されていないようだけど事実だよ。なんてったってガルは僕の息子だからね」 「は…!?」  今何と言ったのだろうか。息子…? 「君には申し訳ないことをした。12年前に青龍へのスパイとして息子を孤児に見立てて送り付けたのさ。結局君は青龍から抜けちゃって、意味が無かったけれどね」  12年前、それは私がガルを孤児として押し付けられた時期と一致する。そうだとしたら彼は元々スパイだったという事になる。 「そうですか、とは素直に言えませんね」 「僕がガルに口止めしていたから君は知らなかっただけさ。大丈夫、君に危害を加えたりはしないよ。やり方は変わってしまったけれど青龍を抑え込んでいられるのには君たちの努力があることは知っているから」  エウスタキオの言い分が正しいなら、青龍の勢力拡大を抑えるためにスパイとして送り込んだが、私が青龍から足を洗い、その後に中立の立場で各勢力に抗っている今の構図で彼らに得ができたという事である。 「そうだとして、そんなことを私に言ってもいいんですか?幹部の情報でしょう?」 「まぁね。でもいいんだ、君が我が息子のfidanzato(フィダンツァート)なんだろう?」  フィンダンツァート、私にわかりやすく言えばフィアンセ、婚約者といったところだ。婚約はしていないが否定せずにいる。 「まぁ似たようなものですが」 「うん、Godetevi la vita(人生を楽しんで)!君に任せて良かったかもね」  一貫して明るい声の彼に悪意が無さそうだと感じ始めた。 「まぁ……利用されていた事には少し文句がありますが」 「それはそちらも同じことさ、社会ってそんなものだよ。それはそれとして、息子を返してあげる代わりに少し取引をしよう」  本題か。安否確認の為に身元を明かすならただガルの父ですと言えば済む話だと言うのにマフィアの幹部であるということを明かしたのには理由があるようだ。 「いいでしょう。聞かせてください」 「我々の敵が今東京付近にいるんだ。だが東京は青龍が多すぎて我々の友人(構成員)たちが侵入しにくくて困っている。その手助けをしてくれないか?勿論中立の立場としてね」 「具体的には、どのようなことを?」 「その事を書いた文章を我が息子に持たせよう。今は答えを聞きたい」  つまりは単純な仕事では無いのか、機密情報なのか。どちらであっても大仕事になりそうだ。 「報酬がそれなりなら私達は仕事を受けていますよ」 「勿論、期待してくれていい」  組織の幹部からの報酬か、それはいい肉がくえそうだ。報酬に関してもガルに渡す書類に記載するらしく、詳細は聞けないがここは一つ賭けだ。ガルを安全に返してもらうためにも引き受けない手はない。 「わかりました。内容を聞いていない以上完璧にとは言えませんが受けましょう」  そう答えると電話の向こうで指を鳴らす音がした。 「Bravo(素晴らしい)!そう来ないとね、我が息子は今起きたばかりだから明日送っていくよ」  雑音とともにそう聞こえてきたと思ったら聞きなれた声が聞こえた。ガルだ。 「心配かけてごめんな、俺は何もないからさ」 「倒れていたそうなのに?」 「あ~…まぁうん、それは帰ってから説明するぜ…」  声は確かに元気そうだ。布がこすれる音がするということは寝ていたんだろうしそこは心配がいらなそうだった。 「まぁいいですけど…」  電話の向こうが少し騒がしくなった。数人の足音、それからドアをたたく音。ネイティブなイタリア語が遠くで聞こえる。 「すまないね、もう少し話していたいかもしれないが時間だ。明日の朝に死ぬほど話してくれ」  返事をする間もなく荒々しく通話は切れた。ガルのスマホをしまって私はそのまま車に戻った。  きっとただ事ではない。静かに時代が動く音がした。

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