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7.5惚気
ブラッドローズの定休日。私は港区まで来ていた。珍しく今日はガルの仕事が夜に入ってるため、一人での外出だ。東京タワーを通り過ぎて、しばらく走らせれば目的地はすぐそこだ。車を止めて繁華街の中を歩いて、目的の店へと入っていった。
「あら、いらっしゃい。会うのは久しぶりね」
ニューハーフのママさんが経営するバー「ミラノ」。昔はゲイバーとしてやっていたが、最近はノーマルに対応するために普通のバーとしてやっているらしい。店員は、ニューハーフが多めではあるものの、女性もいる。
「前にあったのはいつでしたっけ?」
開店時間に合わせて来たお陰か、店内は静かだった。
「前は私があんたの店に行った時じゃないかしら?あれも一年前くらいな気がするけどね」
カウンター席に座って向かい合う。ママさんとは協力関係だ。面と向かって会うのが久しぶりなだけで取引はいつものようにしているし、通話も良くする。そんな関係。
「そうでしたっけ、昨日も青龍の件で通話していたのでそんな気がしませんけど」
ママさんは私とガルを匿ってくれている人でもある。彼のお陰で私たちは中立地区で生きていけるのだ。彼の情報網があるお陰で私も随分と楽に仕事ができている。
「まぁね、仕事だもの?」
「カクテル、貰えますか?ママさんのお任せで」
「あんた車で来たんじゃないの?」
ママさんはそう言いつつもカクテルを作り始めている。そもそも私たちは根っからの犯罪者だ。律儀にルールを守ることなんてしていない。
「飲酒運転以前に、無免許ですけど?」
「そうだったわ、あんたがお国の決めた学校なんかに行くわけないものね」
笑う彼も犯罪歴は凄まじいもので、大っぴらに言えないことばかりしている。つまりは似た者同士。
「はいどうぞ」
「これは…ジャック・ローズ、ですか?」
甘いアップルの香りがする赤色のカクテルだ。度数は20度前後だったような覚えがある。これはまたきついものを出されたな、と面食らった。
「あんたのことだからまた失恋でもしてここに来たと思ったけど…違ったかしら?」
「ちょ、ちょっと…私を何だと思っているんですか…!ただ休みの日に飲みに来ただけで…」
失恋を忘れるくらいのやつを、という意味らしい。ゲイである私の悩みを聞いてくれるのはママさんくらいのもので、よくそういう話をしていたが今日はそんなつもりで来たわけではなかった。
「あら、ごめんなさい?違うのにしようかしら?」
「いいですよ、せっかく作ってくれたのに。うちにはアップルブランデーを置いてないので珍しくて丁度いいです」
度数は高いがある程度酔いが醒めたときに帰ればいいのだから。口をつければ広がる香りが予想以上に魅力的だった。
「前ここに来た時、号泣していたの覚えてるかしら?」
「…もしかして、あの日から来てませんでした?」
私がひどく荒れた日が最後だとするとニ、三年前だ。最近は忙しく、遊びになど行けなかったとはいえそれほど経っていたのは驚きだった。この店の雰囲気はとても好きで、昔は通っていたと思うのだが時がたつのは早すぎる。
「そうよ、だからそういうのできたのかと思っちゃったわ」
あの荒れた日を最後に来ていないのだったら確かにそう思われても仕方がない。
「本当にあの時はすみませんでした…」
思い出したくもないほど荒れていた。グラスも割ったような覚えがある。本当に申し訳ないことをした。
「いいのよ~人間そういう時もあるわ。で?今は?付き合ってる?」
「ほ、放っておいてください…っ!私の恋愛話を聞いて何が楽しいんですかっ!」
こっそりと耳元で言われる。どれだけこっそりと聞いたって、言いたくないものは言いたくない。
「何を恥ずかしがってるのよ、いつも失恋だけ言いに来て。そういうことは教えてくれないの?」
そういわれると言い返すことができなかった。確かに失恋の日に迷惑をかけるだけかけておいて不都合のあることは言わないなんて身勝手すぎるかもしれない。だからといって、言う勇気も湧いてこないのだ。
「こっ…恋人はいます…!」
「あ~ら♡ヤダ。気になっちゃう。あたし恋バナ大好きなの。どんなコか教えてよ♡」
ママさんはもう聞く気満々だ。私が何を言おうと止まらなくなってしまったらしい。ママさんはもう30後半だが心はまだ乙女でいるつもりのようだ。
「そういうと思ったから言いたくなかったんです…」
「いいじゃないの~いい仕事教えてあげるからさ~」
仕事の話をされるともうお手上げだ。ママさんがくれる話は本当にいいものばかりでその一件で一か月食べていけることだってある。
「……。ガルですよ…」
諦めてため息とともに言った。
「あら!ついに?前から好きだって言ってたじゃない?あたしちょっと嬉しいわ!」
「なんでママさんが喜ぶんですか…」
「だって二人ともあたしの子みたいなもんじゃない。何年助けてあげてると思ってんのよ」
私がママさんと初めて会ったのは16歳の頃だったと思う。その前からガルとは知り合いだったらしいので確かにそうなのかもしれない。
「そう、ですけど…」
「あの子どう?かっこいい?」
「かっこいい…ですよ…ちょっと強引で、ドキドキするくらいには」
「あら~♡もう!ステキっ!」
ママさんは顔を赤らめながら大興奮している。見知った顔同士の付き合いなので想像もしやすいのかニヤニヤしながらじろじろと私を見ている。
「もう、これくらいでいいでしょう。まだ付き合って間もないので」
飲み終えたグラスを置いて、スマホを確認しようと思い取り出した。
「うさぎちゃん増えてる。またガルに貰ったの?」
「ああ、キーホルダーですか?そうですよ。ウサギが好きみたいなので」
古くなってインクが剥げ始めているキーホルダーと新品のウサギのキーホルダー。私はあまりこういうものを買うことはなく、普段つけることすらないのだがガルを好きになってからもらったものをスマホにつけている。新しく増えたウサギはハートの半分だけを持っている。それをママさんが見逃すことはなかった。
「ペアなんて可愛いわね~!今ほんとに恋してる!って感じなんでしょうね~うらやましいわ!」
「恋してますよ。もう三十手前なのに」
「まだまだ若いわよ!あたしに喧嘩売ってんの?」
頼んでもいない追加のカクテルが奥から出てきて、まだ帰れなさそうだと思う。
「売ってませんよ。でも、そう思っちゃうんです」
若くないのに、と思ってしまうのは自己肯定感が足りないのか。
「いいじゃないの、楽しみなさいな」
置かれたカクテルの氷がカランと鳴る。まだまだ聞きたりなさそうなママさんの表情を見て苦笑しながらカクテルに口をつけた。
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