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ここは日本ですか
「キヌガサン、豆腐、コワイ デスカ?」
僕は衣笠です。キ、ヌ、ガ、サ。キヌガサさん。サは2つ。もう覚えて?
スーラジ君はインドからの社会人留学生。故郷に帰ればかなり高い地位の人だとか。この街で一番大きなリゾートホテル内の多国籍レストランで住み込みのバイトをしながら大学に通っている。……お金持ちなのに全然そうは見えない。
「スーラジ君、僕は豆腐怖くないよ。あ、もしかしてコワイって硬いの意味の方言?」
「料理長、言イマシタ。豆腐、アタマ……HIT、シヌ……。デス」
ああ、今度の料理長さんは口が悪いタイプか。てやんでえべらぼうめ、すっとこどっこい、あたりとセットだな。
横で聞いていた綿貫が、真面目な表情で口を挟んだ。
「古いフランスの推理小説で、1日前のフランスパンで殴り殺して、スープに凶器のパンを浸して食べるシーンがあったくらいだ、日本なら豆腐で殺れるかもな。高野豆腐なら相当硬い。パンも豆腐もどっちも朝食に不可欠な点も共通している」
「タヌキサン本当? 豆腐コワイ!」
「タヌキサン違う! ワタヌキ! ワタヌキさん、な?」
「……綿貫、やめろよ。純なスーラジ君をからかうな。せっかく晩御飯の差し入れしてくれてるんだから、優しくなろうよ?」
「はいはい。今日も美味しい夕食、ありがとうございまっす!」
大学の敷地内、学内寮として用意された建物は、かつての湯治施設だ。源泉のすぐ近く。三畳の個室と、共同トイレに炊事場、と、天然温泉。
炊事場はあっても調理できる奴がいないから夜はひもじい、とスーラジ君に話したら、定期的に晩飯を差し入れてくれるようになったのだ。
今夜は野菜カレー。インド風のスパイスがつぶつぶした、デカく切った大根がメインの辛くないヤツ。
ご馳走のお礼に、スーラジ君に『トーフはトモダチ、怖くないよ』と教えてあげよう。
外国人留学生など経済的に忙しい人はこの温泉地の仕事先の宿舎に住むので、学内寮にいるのは割とのんきな奴ばかりだ。バイト無しでも仕送りでやっていける。時間はたっぷりある。お金に困ってはいないけれど、コンビニまで自転車で30分では当然足が向かない。で、建物内に籠り、暇を持て余し、映画をダウンロードしたり通信ゲームにひたすらハマったり、SNSに夢中になったり。一応勉強したり……。まったく、下らない過ごし方をしている。
ゴールデンウィークが終わり、一週間ぶりに戻ると、学内寮の雰囲気が違っていたんだ。
僕が帰省している間に、薔薇の花が咲き誇っていた(察してくれ)。何があったのか聞きたくない。公認カップルが8組成立し、残りの連中も何やら色香を漂わせている。
重ねて言おう。留守中に何があったのか、絶対聞きたくなんかない……。
暇な男子を密室で放置すると、サル化するのだろうか。
皆ノーマルだとばかり思っていたから驚いたけれど、人の恋路に興味はない。同性愛に偏見もないが、迂闊に顔見知りに話しかけると、そのお相手氏が飛んできて威嚇して困る。出来たてカップルって面倒くさいなあ。
結果、学内寮の中でノンケなのは、僕と、同じタイミングで帰省していた綿貫だけらしい。
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