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HPゼロ
朝から2時まで、喫茶室のバイトは僕ひとり。
ホテルの中の喫茶室。宿泊客の朝食はホテルで出るし、待ち合わせる人も少ない。
他のお客は誰もいないから、アイスティーの氷をわざとカラカラ鳴らしている出勤前のスーラジ君を咎める必要もない。
今時のチェーン店のカフェの中には、食器洗浄機の都合で円柱のグラスを出すところもあるけれど、この店は昔ながらの、グラスの内側に縦縞の凸凹を施したタンブラーでアイスドリンクを出す。そして大きな四角い氷。ドリンクバーの細かいキューブの氷とは違うのだ。
内側の凹凸は洗いにくくてアルバイト泣かせだけど、ストローでひと混ぜした時のカランと鳴る音が格別なのだ。滞店時間が長くなるのを見越した大きな溶けにくい氷。ある程度溶けて、氷がグラスの中で泳ぐくらいになったら、こっそり混ぜてみて欲しい。
マスターの受け売りでこの話をスーラジ君に教えたら、こうして喫茶室に通うようになり、子供のようにカンラカンラ鳴らして楽しんでいる。
14時から、僕と入れ替わりでシフトを組んでいるのは、同じ寮生の高野だ。高野は公認8カップルの内のひとり。同じ建物に住んでいても、交際相手のヤキモチが激しいので挨拶程度しかしたことがない。
引き継ぎの際、高野がため息をつく。
「はあーーぁ。俺たちもお前らみたいに落ち着いた付き合い方をしたいよ」
「……喧嘩でもした?」
「喧嘩じゃないんだ。反省してんの。ついついはしゃいで張り切りすぎちゃうんだよね。俺はいいけどアイツが可哀想で。だから反省してんの。今」
ふうん。男男交際に関しては、僕に言われてもさっぱり解らないや。
「引き合いに出されてもな。僕と綿貫は付き合ってもいないよ?」
気のせいかな、高野が顔をしかめた。
「ウソこけ。カップル第1号じゃねえか」
は?
「4月の連休、ラブラブで旅行に行ったんだろ? 堂々してろよな!」
……はい?
「だ、れが、そんなことを?」
「綿貫に決まってんじゃん。連休前にみんなに宣言してさ!
衣笠は俺のモノだから触るなって。そんな事言いっ放しで旅行行ったらイロイロ想像しちゃうだろ? みんなお年頃なんだから。
で、ネットで調べまくったのよ、みんなで。ヤりかたとか、動画とか、わんさと!
で、試したくなるじゃん? で!」
うわあ、想像したくねえ……!
「……で、俺も目覚めました」
高野、ドヤ顔でそう言い切られても、僕、コメントのしようがない。
「ゴールデンウイークは、ひとりで実家に帰ってたよ。ホントに。
え?待って。僕と綿貫だけノンケなんだと思ってたのに……どうゆうこと?」
「え!? マジで? ホントにお前ら付き合ってないの??」
僕が頷くのを見て、高野が頭を抱えた。再起不能だ。HPゼロだ。うおーー! と、ひとしきり呻いたかと思うと、いきなりガシッ! と、僕の肩を抱いた。
「衣笠ぁ、綿貫の奴、とんでもないタヌキだな……。お前にちょっと同情する。
とんでもない奴に惚れられてちゃったなあ」
ほ?惚れ……??
「だろ? 全部あいつの手のひらで転がされてんじゃん!
先回りして寮生全員堕として、なのにお前に無理矢理何かするでもなく見守ってるんだろ?
外堀、完全に埋まってるじゃん!
夏休みに二人っきりになるのを待ってるんだよ、あのタヌキ!」
ま、ま、ま、ま、まって! 思考が追い付かない!!
綿貫が僕を好き? 春からの騒動は、全部あいつが掌握してるって?
14時の時報で僕は職場から解放された。追い付かない頭のまま、バックヤードに引っ込む。
着替えて、通用口から出たら、そこにはいつものように綿貫が待っているだろう。
眩暈を覚えてロッカールームのベンチに倒れこむように座った。
僕は騙されているのか? いや違うな、あいつは嘘は一つも言っていない。
外堀は埋まってるって高野が言った。
ジタバタ抵抗するだけ無駄なのか? 友達じゃダメなのかな……
僕はどうしたらいい?
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