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甘いのはヤバい証拠
階段下のいびつな隙間にあるロッカールーム。壁の扇風機が全力で回っても、籠った空気を振り払ってはくれない。暑さと先ほどの衝撃で、ヨロヨロと立ち上がるだけで精一杯だ。
働かない頭でここに留まっても埒が明かない。後から入ってきた従業員に挨拶し、着替えを済ませる。……アタマ痛い。
いつもより30分遅れで従業員の通用口を開けると、心配そうな顔をした綿貫が立っていた。
開口一番、
「うわどしたのお前!目の下のクマ!!」
え?僕?
「どした?何かあった?」
「いや……何にもない。待たせてゴメン」
なんだろ、さっきからどんな顔して綿貫と話したらいいのか考えてた筈なのに、視界が暗くて。そんなのどうでも良くなってきた……。
「……お前、凄い顔色だぞ、具合悪いんだろ」
目の前の綿貫の声が、遠くから聞こえる。画面越しに観ているようなリアリティの無さ。
「熱は?」と手が延ばされたことに気付かないまま指先が額に触れる。
---っ!!
反射的にその手を払って後ずさった僕。
目をそらす一瞬前、綿貫の瞳が蔭るのが見えた。
「ごめん、つい」
「ん、こっちこそ」
短く言葉を交わした後は無言だった。
後部座席に横座りして、ゆっくり商店街を進む。掴まる場所を決めかねている間に、綿貫はドラッグストアに自転車を停めた。
無言のまま、ゼリー飲料のパウチとスポーツドリンク、経口補水液のボトル、水枕をカゴに入れる。
ときおり振り向いて、頭痛いか? とか、熱は? とか、聞いてきたけど、僕は「別に」としか言わなかった。
寮に帰る方向を逸れて、駅前のロータリーでタクシーを呼び止めた。運転手に何やら相談し、僕に向き直る。
「お前、乗れ。俺は自転車で行くから。車の中でコレちょっとずつ飲んで!」
訳のわかっていない僕を車内に押し込むと、さっき買った経口補水液のゼリーを放って寄越した。
「綿貫……僕これ嫌いなんだよ、塩っ辛くて飲めないよ」
「いいから飲め。全部飲み切ってから寮に着くようにお願いしてあるから」
じゃ、お願いします、と綿貫はタクシーから一歩離れた
運転手さんが僕に向かって親指を立てて笑う。
車の方が早く着くだろう? 涼しいところに居るんだぞ! と自転車が先に走り出す。遅れて、タクシーはウインカーを点滅させて動き出した。
エアコンの冷気と窓の外の熱気が混じり合う車内。タクシーの運転手が話しかけてきた。
「気の回る子だねぇ! 熱中症みたいだって心配してましたよ。
その経口補水ってやつね、ワタシも真夏に飲むんだけど、不思議だよ?
何でもない時あんなに塩っ辛いのに、ホントに脱水の時は甘く感じるんですよ!
吃驚しますよ? ほら、飲んで飲んで!
飲み終わるまで寮に帰れない約束だからね!
まあ、あっという間に飲んじゃうだろうけどね」
ちらちらと後部座席を気にしながら運転しているようなので、仕方ないな、とゼリーを口にする。
……え?嘘だろ?
「甘い……」
運転手はニコリと微笑み、こんなことを言った。
「身体が欲する物は、甘く感じるんだよね。
頭では判んないことは、身体の声を聞くといいですよ。
今の自分に必要なのは何か、本能で解るんです。きっと」
ふうん、不思議だなぁ。
神妙に話を聞きながら、少しずつゼリーを飲み込む。
ふと車内の空気が清涼になった。タクシーは山道に差し掛かり、木々のトンネルの中を易々と登って行った。
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