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第7話

○●----------------------------------------------------●○ ↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓ 毎日昼の12:00時あたりのPV数を見て、 多い方の作品をその日22:00に更新したいと思いますmm ◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 ) https://youtu.be/VPFL_vKpAR0 ◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年) https//youtu.be/N2HQCswnUe4 ○●----------------------------------------------------●○ 「危ないっ……!」 鋭い声が降ってきた。グイッと肩を掴まれ、背中に久周の冷気を感じる。 「それ以上、動くな。そこらへんは床が腐っているぞ」 「え!?」 驚いて足を上げる。それだけで床材はミシリと湿った悲鳴を上げた。耳をすますと、すぐ上の柱からポタポタと水滴が床に落ちる音がした。雨漏りだ。きっと昨日の雨のせいだろう。 「一歩ずつ下がれ。そうだ。落ち着いて」 久周の声に従って、ゆっくりと後退する。やがてしっかりとした感触の床に辿りついた時、春海の口から思わず安堵の吐息が漏れた。 「……ごめん。僕の不注意で」 怒っているだろうか。見えないくせに、恐れと情けなさから顔を上げることができなかった。 「いや、すまない。俺がちゃんと見ていなかったから」 久周は怒っていなかった。それどころか、まるで自分のせいだと言うような悄然とした声だった。 春海は叫び出したい衝動に駆られた。 (僕は子どもじゃない! 『見て』もらわなくたって大丈夫だ!) だが言うことはできなかった。今のはどう考えたって、注意を怠った自分が悪い。久周に文句を言う権利はないのだ。 (バカだ……僕、何を浮かれていたんだろう……結局、足手まといでしかないのに……) ふるふると首を振り、深みに沈みそうになる気持ちを無理矢理、押し込める。これ以上、情けない姿をさらして「役立たず」と思われたくはない。喉をぐっと引き締めて言う。 「……もしかして、ここが、この家の孫息子が落ちたってところなのかな?」 足元に膝をつき、前の床を触って確かめる。数秒してから、隣にふっと久周の冷気が並んだ。 「かもしれないな。床を修理した痕もあるし。たぶん、二階から落ちたんだろう。でなければここまでの穴は空かないだろうし」 久周は、すぐ真上——中二階からテラスのように張り出している階段を見やった。 「二階から……? でも、何で?」 「さぁ、足を踏み外したとか? 財宝に気を取られすぎてたんじゃないか」 春海は、前の床をこんこんと拳の関節で叩いた。 「響きからすると、かなり深いようだね」 「あぁ、こうゆうところは湿気を避けるために高床に作られているからな」 「そうか……じゃぁ、痛かっただろうね、可哀想に」 集落の人たちの話によると、あまり素行のいい孫ではなかったらしい。だとしてもこんなところで命を落とすなんて、さぞや心細かっただろう。 想像すると同情せずにはいられなかった。 隣にいるセナの身体をぎゅっと抱き締める。 「……ん、セナ? これはなんだい?」 春海はセナが口元に咥えているものに気がついて、吐き出させた。 「……これは、 音楽プレイヤー?」 興味を引かれた久周が、手元を覗き込んでくる。 「それがどうしたんだ?」 「わからない。でも間違いなく大正時代のものではないだろうね」 掌サイズの精密機械を何度かひっくり返してから、試しに再生ボタンを押してみる。 音量を最大限にすると、スピーカーからわずかに音が漏れた。雨漏りで濡れてしまったからか、床に落ちた衝撃のせいかわからないが、音はかなり飛んでいた。 『滞ざ……三日……こ……屋敷……妙……配がす……時々、人……呻きこ……味悪い……夜は、民宿……今日は……屋と蔵……探す……た。じ……んは、屋敷の……こかに……があると言っ……を見つければ、……の遺産は……俺の……とも。でも……うちに、だんだん……きた。もし……記……に書かれて……本当なら……丹生(にう)神社に……あるはずだ。あし……行ってみるこ……る』 ザザッと砂嵐がかかり、ブツリと音声は途切れた。 長い間、どちらも何も言わなかった。やがて、久周がぽつりと切り出す。 「どうやら、俺たちは孫息子のあとを追っているみたいだな……」 「宝探しの後を?」 「さぁ、そもそも宝なんて本当にあるのかどうか。でも、その男が何かを探していたことは確かだろう」 どうやら、みんなが何かを探しているらしい。この屋敷にある何かを。 「そういえば、君はこの孫息子さんに会ったことはないのかい? しばらくこの屋敷に留まっていたみたいだけど」 「さぁ、俺は貴様が来るまで、昼間に出たことはなかったから。あまりよく覚えていないんだ……ここで目覚めてからも、何もかもが曖昧で……自分が何をしたのかも、何をしていたのかも……わからない……」 久周の声が徐々に小さくなっていく。まるで手の届かない遠くに消えていってしまうかのように。 「久周っ……!」 思わず手を伸ばしていた。すると予想に反して、手のひらはすぐに久周の滑らかな冷気に触れた。 久周はそこにいた。すぐそばに。 なのに、どうして彼が去ってしまうと思ったのだろう。 「ご、ごめん……」 手を引っ込めると、久周が乾いた笑みをもらす。 「俺の方こそ、ごめん……なんか混乱していて……最近、頭の中で、色んな記憶が表れては消えて……たぶん昔の記憶なんだろうけど、何が何だかわからなくて……」 再び消え入りそうな声音に、春海は勢い良く身を乗り出した。 「それって記憶を思い出しかけている良い証拠だよ。とにかく明日にでも僕が、今言っていた神社に行って話を聞いてみるよ。何かがみつかるかもしれない」 久周が驚いたように顔を上げた。 「……お前は、本当にへこたれないな」 おおげさなほどの感嘆のため息に、春海は複雑な気分になった。 「褒め言葉として受け取っておくよ。僕は粘り強さだけが長所なんだ」 「『だけ』じゃないさ。貴様には美徳がたくさんある。それに俺はいつも助けられている」 助けられている……? 春海はぽかんと相手を見上げた。 幽霊も嘘、いやお世辞はつくものだろうか。 春海はどうとらえていいのかわからなくて、顔を伏せる。暖かなものが胸元に集まってくるのを、自分でも抑えることができなかった。 相手の意図が何にせよ、今の久周の一言が、先ほどから春海の胸に蟠っていた苦い塊を、少しだけ溶かしたことは確かだった。 「とはいえ、神社に行くのは賛成しないな」 久周が顎に手を当て、厳しい声で言った。 「俺の断片的な記憶が正しければ、神社は山の中にあったはず。貴様一人じゃ無理だ」 「なら、丹波さんに言って連れていってもらうよ。掃除も洗濯もしてあるから、彼女にやってもらうこともないし。そうすると、明後日になっちゃうけどいい?」 「俺は別にいいが……ちなみに、前から言っているその丹波さんとやらは男か? 女か? 若い? 貴様とは、どうゆう関係なんだ? 恋人か?」 思ってもみなかった質問に、春海はぷっと吹き出した。 「まさか、丹波さんはヘルパーさんだよ。君も荷ほどきの時に見ただろう。集落のアイドルだけど、旦那さんも子どもさんもいるから。そもそも、こんな僕なんかを好きこのんで好きになる人なんていないよ」 「貴様は、何を──」 何か言おうと口を開いた久周を、春海は明るく遮った。 「ちなみに神社までの行き方はわかる? 丹波さんも上の方は滅多に来ないって言っていたから念のために」 まだ何か言いたそうにしていた久周だったが、春海の穏やかだが頑なな笑顔を見て、渋々冷たい指を宙で泳がせた。 「俺の残っている記憶が正しければ、この屋敷を出て、右手を真っ直ぐ。細い路地を何本か通り過ぎたら、山の方に向かって二股に分かれている道があるから、白い建物──石灰工場の跡地がある方とは逆の『峰谷峠行き』と書かれた看板の方を曲がって──」 「ちょ、ちょっと待って! 看板とか色とか言われてもわからないんだ! できれば方角とか道の特徴とかで教えてもらわないと」 「えぇ? 面倒臭いな。そんなの意識したことなかったから急に言われても——あっ、そうだ。こっちの方がてっとり早い」 名案を思いついたとでも言うように、久周は春海の頭に霞がかった手をポンと置いた。 刹那、春海の目の奥で閃光がフラッシュする。光はパッと集まり像を結ぶと、またパッと消えた。 「どうだ、わかったか? 今、見えた道を真っ直ぐに行けば神社に——うわっ!」 突然、勢い良く突進してきた春海に、久周はギョッと身を引く。二人はそのまま、もろともに床に倒れ込んでしまった。 埃がキラキラと舞い散る中、春海の身体は透けた久周の身体の上に文字通り、ぴたりと重なる。さらさらと、久周の身体の奥に流れる魂の感触が春海の全身に流れ込んでくる。 「おい、何してっ——」 「今のが……今のがっ……!」 春海はバッと顔を上げ、少し上にあるであろう久周の顔を見上げた。久周は視線の定まらない春海の瞳の中に、興奮の星がキラキラ光っているのに気がついた。 「今のが道!? 家!? ポスト!? 木!? 雲!? 空!?」 ぶるりと春海の身体が大きく震える。久周の軍服を握り絞めるように、その冷気をぎゅっと掴む。 「あれが……白!? 緑!? それに、あれが、あれが——青っ……!?」 大きく見開いた春海の目から、ぽろりと涙が一筋、零れ落ちる。 「あぁ、本当に……こんなことって信じられない……」 そのまま春海は、久周の透けた首筋に顔を埋めた。 ※ 「まさか、あんなに泣くなんてな。大の男が」 久周は、布団に寝そべりタオルで目元を冷やしている春海を見下ろした。 「……ご、ごめん。止まらなくて。僕もあんなに泣いたのなんて小学生の頃ぶりで……」 また涙が出てきそうになって、ぐずっと鼻をすする。 何かを『見た』のは初めてだった。以前、夢で『見た』ことはあるが、それは先ほどのものように色鮮やかでもはっきりもしていなかった。 思い出しただけでも興奮する。 緑の葉! 白い雲! 青い空! 普通の人が毎日、あんな光景を見ているなんて信じられなかった。自分だったら、アスファルトの上で揺れる葉の影一つから目を離すのだって一時間はかかってしまいそうだ。 「さっきのは一体、どうやったんだい?」 再び潤んできた目をタオルで隠しながら、隣にいる久周に聞く。 「あれは俺の記憶の中に断片的にある光景を、貴様の頭の中に直接送ったんだ。貴様とは波長が合うからできると思ってな」 「そっか……くしゅん!」 くしゃみが連続してでて、久周が慌てたように一歩下がった。 「もう少し着込んだらどうだ? 身体の芯が凍えるまで俺にひっついていたんだ。まったくこれで風邪でもひかれたら、俺がいい迷惑だ」 「ごめん……あの時は興奮のあまり我を忘れて……」 久周はまだぶつぶつ言っていたが、春海は知っていた。 自分が馬鹿みたいに泣いている間、久周の冷たい手が優しく自分の頭を撫でてくれたことを。たぶん本人は春海がそれを感じているなんて思ってもいないと思うが。 「今日は寝ろ。俺はここにいるから」 子守唄のような低くまろやかな久周の声を聞いていたら、しだいにとろとろと瞼が落ちてきた。 「……ねぇ、一つだけ聞いていいかな……?」 眠気と必死に闘いながら、タオルを外し隣に目を向ける。 「何だ?」 「君の記憶の中に……その、海はあるかな?」 「海?」 久周はしばらく考えてから、首を振った。 「いや、ごめん。ないみたいだ。でも、なぜ?」 「いや……」 春海は瞼を伏せ、一、二度瞬きをする。しっとりと濡れた睫が、熱い肌に心地よい。 「ほら、僕の名前、春海だろう? 春の海。こんな名前だからか、昔から海が憧れでね。一度でいいから海が見てみたい。小学生まで、それは大人になれば叶う夢だと信じていた。だから、その夢が一生叶わないと思った時、かなりショックでね。一日中部屋にこもって泣いたものだよ。そのあとは、何とか現実を受け入れることはできたんだけど、海への憧れだけは未だにどこかに残っていてね……この集落を選んだのも奥多摩湖——少しでも海に似たものの近くに住みたかったからかもしれない。バカな話だろう。笑ってくれてもいいよ」 久周は笑わなかった。代わりに、心底申し訳なさそうな声を出す。 「そうか……ごめんな……何も覚えていなくて……」 春海は首を振る。 「違うんだ。僕は、あの光景を見られただけで充分だ。一生、何も見ることはないと思っていたから。だからお礼が言いたいんだ」 春海は布団から手を伸ばし、冷気に導かれるように久周の手に触れた。なぜそれが手だとわかったのかはわからないが、たぶん間違ってはいないだろう。久周のさらさらした冷たい手の甲に、興奮で火照った手を重ねる。 「本当に、本当にありがとう。君は僕に一生の宝物をくれた」 瞼を閉じ、久周の見せてくれた景色を何度も目の奥で反芻する。そうしていると、まただんだんと眠気が襲ってきた。 「春海……」 遠くなっていく意識の中で、久周の深い声が聞こえた。額に、ふわりと冷たい手がかかる。 「こちらこそ、ありがとう。いい夢を」

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