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第1話(3)
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12:00時あたりのPV数を見て、多い方の作品をその日22:00に更新したいと思いますmm
◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 )
https://youtu.be/VPFL_vKpAR0
◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年)
https://youtu.be/N2HQCswnUe4
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「その屋敷は……幽霊屋敷なんですよ」?
あまりの真剣な声音に、ブッと吹き出してしまう。すると、丹波は小娘のような高い声で抗議し始めた。
「本当なんですってば! そのお屋敷では奇妙なことが頻繁に起こってて、そのせいで不動産屋さんを転々としていたんです!」
「奇妙なことって、たとえば?」
笑いがもれないように、手で口を押えながら聞いた。それを恐怖からだと勘違いした丹波は、物語でも語るようにゆっくりと話し出す。
「二年前のことです。以前の屋敷の持ち主である青島家の孫息子さんが、その屋敷で足を踏み外して転落して、どうも……打ち所が悪かったらしく……そうゆうこともあってか青島家は屋敷を手放して、屋敷は不動産屋に買い取られました。すぐに若い夫婦が引っ越してきたんですが、それから一週間とたたずに夫婦は都内に帰ってしまわれて……越して行く時に理由を聞いてみたら『あの家は呪われている』って。何でも物が勝手に動いたとか、軍服を着た男が枕元に立っていたとか……この後も同じようなことが起こって、誰も一週間以上、屋敷に留まった人はいないそうです」
「でも、僕を担当してくれた不動産屋は何も──」
「前の業者が知らせなかったのか、それとも故意に三田さんに知らせなかったかですよね。もし後者だとしたら、たぶん三田さんがその……目が見えないからバレないとでも思ったんじゃないですか。そうだったら、本当に許せないことです!」
本気で怒っているのか、おっとりとした丹波の声がさらに高くなる。いい人だな、と春海はしみじみと感謝した。
「ありがとうございます。でも、こっちは大丈夫ですから」
「本当ですか? 何だったら私から隣さんに言って、今日は泊めてももらうように言いましょうか?」
「い、いえっ! その必要はありません!」
ギョッとして、携帯を握る手に力が入った。
念願の一人暮らしが叶ったその日のうちに、お隣さんの家に厄介になるなんて、まっぴらごめんだ。
「大丈夫、大丈夫です! 何かあったら、こっちからちゃんと言いますので!」
「絶対、絶対ですよ! 何だったら塩でも撒いて……あぁ、でも足元が危ないか……セナちゃんも舐めちゃうかもしれないし……」
一体、何の話をしているのやら。春海は心の中で、小さなため息をついた。
「とにかく、僕は本当に平気で──」
ガタン。突然、物置にしている後ろの座敷から物音がした。春海はびくりと肩を震わせる。
「どうしました? 何かありました? 幽霊?」
スピーカーから丹波の気遣わしげな声が届く。その声には、若干の好奇心が混じっていた。
「まさか! 何でもないんです。わざわざ電話して下さって、本当にありがとうございます。では、お休みなさい」
半ば強引に電話を切り、春海は怖々と後ろを振り返った。もちろんそうしたところで何も見えないのだが。
屋敷は不気味なほどの沈黙に満たされていた。虫の音も、風の音もしない。日が落ちたからなのか、一気に肌寒くなった気もする。
ふいに心細さが過ぎる。
もしかしたら、これがいわゆる、初めての一人暮らしの夜に誰もが陥るというホームシックというやつなのだろうか。
(そうだ。きっとそうに違いない。絶対に、怖いとか、そういうことではない)
そう自分に言い聞かせながら、春海は畳を這って縁側まで行く。何事かと顔を上げたセナの頭をゆっくりと撫でる。
「セナ。今日は一緒に寝ないかい? もちろん君はプロだし、立派な一匹のオスの成犬だ。四六時中、僕の世話をする必要はないし、プライベートな時間には何をしていたって構わない。でもあの今日だけ……あの、ダメかい?」
ガタガタガタ!
今度は先ほどよりも大きな音が響いた。まるで誰かが障子を思い切り揺らしているような……。
その時、突然、セナがバネ仕掛けのごとく立ち上がり、バウバウと狂ったように吼え始めた。春海の盾になるように前へ立ちふさがり、姿勢を低くして奥座敷に向かって低く唸る。
騎士 だ。どうやら、現代にも騎士 はいたらしい。
春海は今にも飛び出していきそうなセナの胴体に手を回し、何とか宥める。
「ナイ──じゃなくてセナ。どうしたんだい? 何かいるのかい?」
意識を巡らせるが、座敷の中には何の──誰の気配もしなかった。気がつけば部屋は凍えるように寒くなっていて、まるで冷蔵庫の中にいるようだった。
「一体、どうなっているんだ?」
ヒタヒタヒタ……。
ふいに足音が聞こえた。誰かが、奥の座敷から居間に入ってこようとしている。
(……もしや泥棒?)
身体を強ばらせ、神経を集中させる。
何かがおかしかった。春海はこれまで、何百人もの人の足音を聞いてきた。足音を聞いただけで、その人の性別や体型、体重などおおまかにわかるほどだ。
しかしこの足音は……何もなかった。
まるで体重を感じさせない、正確にいうならば、存在を感じさせない足音だった。例えるならば、空気が入った袋が歩いているような……。
──幽霊屋敷。
丹波の声が脳裏に甦る。ぞわりと背中のうぶ毛が逆立った。
(いや、まさかそんなはずはない。幽霊なんて見たことないし……いや、幽霊に限らず、僕は何も見たことはないけど……)
こんな状況にも関わらず──いや、こんな状況だからこそ、自分自身につっこみをいれる。
「誰? 誰かいるんだろう?」
恐る恐る辺りを見回すが、何の返事もない。しかし気配はまだある。やはり泥棒か?
それにしても、引っ越した直後に盗みに入られるなんて、ついていないにも程がある。神様から好かれていないというのは生まれて早々に承知していたが、まさかここまでとは。
春海は声が震えないように喉をしっかりと引き締め、座敷に定まらない視線を向ける。
「お願いだ。今すぐ出ていってくれないかな。そしたら、誰にも言わないから。警察も呼ばないし」
ギュッとセナの胴体に回した腕に力を入れる。セナはまだ狂ったように吼えていた。
「──貴様、俺のことが見えないのか?」
セナの声を割って、男の声がした。まるでトンネルの奥から吹きぬけてくるような低くくぐもった響きだったが、確かに聞こえた。
「セナ、ストップ」
背中を叩くと、セナがぴたりと鳴き止む。だがまだ警戒しているのか、口元からは低い唸り声が漏れている。
春海は前を向いた。声の響きからして、男は丁度、座敷と座敷の間──欄間の下にいるらしかった。
「君は誰なんだい? もしかして集落の人?」
「あぁ、そうだ」
返事があったことと、返事の内容に安堵の息をつく。
声からすると、意外にも相手は若いようだ。たぶん二十代くらいだろう。声は変に反響して聞こえるが、それ以外は普通、むしろ自信に溢れたしっかりとした声だった。
たぶん、背も高い。痩せすぎでも、太りすぎでもない。もっと言うならば、引き締まった頬筋とすっきりとした首筋の持ち主だろう。
昔の白黒の映画で聞いた男優──当時、欧米人にもひけをとらない端正なマスクと体格とで一世を風靡したという俳優の声に似て無くもない。
「……もしかして、君、丹波さんから頼まれて来たとか? 彼女も一緒?」
キョロキョロと辺りを見回すが、他に人の気配は一切しなかった。唯一感じるのは、観察するように見てくる男の強い視線だけだった。
「貴様、盲 なのか?」
男が不躾に聞いてきた。
「め、くら? ええっと、確かに昔の人はそう言っていたらしいね。でも一応、今は差別語として禁止されていて──」
「何も見えないのか?」
男は春海の話など一切聞かず、ひたすら答えを待っていた。
仕方なく春海は腰にかかった小さなポーチから、掌ほどの大きさの手帳を取り出した。
「これ見える? 障害者手帳一級。僕は先天性の全盲なんだ。生まれた時から何も見えない」
「……俺のことも?」
「残念なことにね。さぁ、今度は僕が質問する番だ」
春海は手帳を戻し、正座をした。セナはすっかり警戒を解いたのか、春海の膝にぽすっと頭を乗せてくる。
「君は一体、誰? どこに住んでいる人?」
「ここだ」
「へ?」
春海は一瞬、何かの聴き間違えかと思った。
「ちょっと待って。僕もここに住んでいるんだ。正確には今日からだけど」
もしかして前の住人か? それとも業者の手違いで二重契約に?
いやいや、まさかそんなはずはない。ロマンス小説じゃあるまいし。
「貴様は、今すぐここから出ていけ」
どうしようかと頭を巡らせていた春海に、男がきっぱりと言った。
まるで「王様の命令は絶対」とでもいうような傲慢な口調だ。さすがの春海も、これには心穏やかではいられなかった。
「君が誰だか知らないけど、今日からここは僕の家なんだ。何だったら業者さんに電話して確認してくれてもいいし──」
「何を言っているかわからないが、ここは百年前から俺の家だ」
春海は、ぽかんと口を開けた。
百年前? 百年前と言ったのか、この男は?
「ま、まさかそんなはずないでしょう? 声からしても、君は二十代そこらで──」
「確かに死んだ時は二十三だったか、生まれたのは大正二年だ。それ以前にもこの屋敷は俺の祖父の代から使っていて──」
「ちょちょちょ、死んだ!? 死んだって……!?」
頭を抱えていると、相手が一歩、二歩と近づいてきた。冷気がますます濃くなり、シャツの下で一斉に鳥肌がたつ。
男は春海の数歩前でピタリと止まると、冷気を纏う指で指差してきた。
「いいか。これは警告だ。今すぐこの家から出て行け。でないと、あいつらみたいになるぞ」
「あ、あいつらって……?」
「初めにここに来た若造とか、やたら『ろはす』『おーがにっく』とか意味のわからないことを言っていた夫婦とかだ」
「!? それって丹波さんが言っていた!」
突然、肺の底から笑いがこみ上げてきた。
「あははは! そういうことか!」
腹を抱えて笑い出した春海を、男は変人でも見るように一歩下がった。
「貴様、目以外にも悪いところがあるのか? 獣つきか?」
無遠慮なコメントは無視して、春海は目じりに浮かんだ涙を拭う。
「わかった、わかったから。君は頼まれただけだろう。僕をちょっと驚かせてやれって」
いわゆる「歓迎会」というヤツだ。新参者が新しくコミュニティに入る時の通過儀礼。よくある話ではないか。
だが笑いは、長くは続かなかった。
たとえ悪意のないイタズラだとしても、自分は普通の人間とは違う。目が見えないのだ。そんな人間にこんなことしたら、どんな思いをするか、わからないわけではあるまい。
(そっか……いい人だと、いい人たちだと思っていたのに……)
『大丈夫ですか?』と、わざわざ電話をしてきてくれた丹波の声がよぎる。バン越しに挨拶をしてきてくれた住民の人たちの声も。
(……ここならすぐに馴染めると思っていたのに……もしかしたら、僕は歓迎されていないのだろうか……)
小さい集落は外部の者が入ってくるのを嫌うという。しかし、言ってもここは東京だからそんなことはないだろうと高をくくっていたが……。
「おい、大丈夫か? どこか痛むのか?」
男の声が、すぐそばから振ってきた。どうやら胸を押さえた春海を見て、慌てて駆けつけてくれたらしい。
(何だ、意外といい人じゃないか……)
春海は顔を上げ、男がいるであろう前方をじっと見つめた。
慣れたからかもしれないが、男から漂ってくる冷気はもうそこまで冷たくは感じなかった。はじめはおどろおどろしく感じていた声も、今は無駄にいい声とまで思えてくる。
「もし良かったら……君の顔を触らせてもらっていいかな?」
勇気を出して聞いてみた。
もし彼が本当に強盗やイタズラ目的だったら顔を知られる前にここで逃げていくだろう。でも、もしそうじゃなかったら、これは……彼の人となりがわかる大きなチャンスだ。
「……は?」
男の戸惑った様子が、空気にのって直に伝わってくる。
(やっぱりダメか……)
半ばわかりきっていたことだ。健全(?)で若い(たぶん)男(これは間違いない)が、同性に触られて嬉しいはずがない。
「ごめん、今のは忘れて」
と謝ろうとした瞬間、意外な答えが返ってきた。
「無駄だと思うぞ」
「無駄? 無理ではなくて?」
ふんと男が鼻を鳴らす。
「無駄だと言ったんだ。それでも良ければ好きにしろ。これで貴様も俺か何かわかるだろう」
つまり、触れてもいいということか?
そう解釈した春海は、そっと手を伸ばした。すっと男が顔を近づけてくれたのが冷気の流れでわかった。
手を彷徨わせる。だが、そこには何もなかった。髪も皮膚も唇も、触れられるものは何もない。
感じるのは凍てつく冷気と、深い森を彷彿とさせる香り、そして──。
「これでわかっただろう?」
息がかかりそうな程近くから、男のはっきりとした声がした。
「俺は、この屋敷の幽霊なんだ」
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