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第13話

○●----------------------------------------------------●○ 1/14(金) 本日、PV増加数が同数だったため、『君がいる光』、『春雪に咲く花』 どちらも更新させていただきます。 動画を見てくださった方、ありがとうございます! 〈現在レース更新中〉 ↓↓以下の作品の1話動画のPV増加数に応じて、 その日更新する作品を決めさせていただいていますm ◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 ) https://youtu.be/VPFL_vKpAR0 ◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年) https://youtu.be/N2HQCswnUe4 ○●----------------------------------------------------●○ 「落ち着け。俺がいる」 凜とした声がして、肩に冷たい掌がかかった。この冷点下の中に比べれば、温かいともいえる温度だ。 「久周……?」 まさか、いるとは思わなかった。というより、必死に彼のことを考えないようにし過ぎたせいで、すっかりと頭から抜けていた。 「あぁ、俺だ。静かに」 冷たいひとさし指が唇にかかる。だが、すぐに離れてしまったそれを惜しいと思ってしまった自分を叱咤する。 「あれは……一体、何なの?」 障子の向こうに目を向ける。未だに影たちは呻き声を上げながら、春海の部屋の前を幾度も徘徊していた。 「ここの住人だ。お前の〝気〟に引きつけられてでてきたらしい」 「僕の気……?」 「今日、落ち込んでいただろう?」 顔を覗き込まれ、春海はハッと息を飲んだ。同居人が人殺しかどうかで悩んでいたなんて、本人を前にしては言えない。 黙っていると、ふと久周の手が肩に回り、身体を相手の胸元に引き寄せられたことに気がついた。かすかにだが頬に、大きな久周の胸の感触まで感じる。 先ほど居間で何も感じなかったのが嘘みたいだった。まるで大きな繭に包み込まれたような安心感を覚える。とくとくと、久周の魂の鼓動まで鮮明に感じるほどだった。 どれくらいそうしていただろう。気がつくと、障子の向こうから聞こえていた足音が消えていた。あとに残ったのは穏やかな夜の沈黙。庭では虫がリンリンと鳴き、後ろの森では葉が子守唄のように囁いている。 「どうやら、行ったようだな」 ふっと久周の手が肩から離れ、春海はハッと我に返る。 「……もしかして、今、あの人たちが出てきたのは……僕のせいなの?」 「お前自身ではない。ただ幽霊っていうのは、負の気に引きつけられやすいから」 口の中に苦いものが広がる。たかがちょっと——いや、ちょっとではないが悩んだせいで、あんなに多くの幽霊が出てくるなんて。もし大正期の小説家でも住んでいたら、一体どうなっていたことやら。 「何があったかは知らないが、気をしっかり持てよ」 ポンと春海の頭を叩いて、久周はいつもの位置——障子の前に行こうと立ち上がる。 「待って……!」 咄嗟に手を伸ばす。指先に、久周の冷気と滑らかな絹の感触がかすめた。 「あ、あの……ありがとう、助けてくれて」 久周がいるであろう方向をじっと見つめる。すると久周はふっと笑い、 「たいしたことしていない。それより、もう寝ろ。ひどい顔をしているぞ」 と、障子の側に戻った。残された春海は仕方なく布団に入る。だが目は閉じず、天井をじっと見やる。 久周は自分を助けてくれた。彼が人殺しではないかと疑っている自分を、だ。 「どうした? 眠れないのか?」 久周が障子の方から聞いてきた。こくりと頷くと、軽い足音がして久周が布団の横に座ったのがわかった。 「本当は、もうちょっとあとの方が良かったんだが……」 冷たい久周の手が瞼の上に置かれた瞬間、春海の目の奥がカッと熱くなった。真っ白な閃光が幾筋にもなって頭の中で煌めく。 「……これって……」 「テレビとやらで見た映像だ。って言っても、これは湖らしいんだが。でも桃色で綺麗だろう? どこか外国にある湖らしいんだが、春海に——春海の名前に合っていると思ったんだ」 ごにょごにょと最後の方は聞き取りずらかったが、相手が何を言いたいのかはわかった。 「……じゃぁ、今日ずっとテレビを見ていたのって、僕に……海を見せるため?」 「思ったより海の映像がなかったけど。あとで、もうちょっと探してみるよ。お前には色々と世話になっているからな、これくらいはしてやりたい」 久周の指先が、額にはりついた春海の髪を優しくどかす。ふわふわと蝶の羽がかすめるような感触に、春海の喉から自然と吐息が漏れる。 目を閉じた春海をじっと見下ろしながら、久周がぽつりと呟く。 「これからも極力、俺がついているけど、今みたいにまた怖い思いをすることがあるかもしれない。それでも良かったら、このまま付き合ってくれないか? 俺は今まで記憶を取り戻したいと思いながら、どこかで恐れていた。脳裏に断片的に残る光景は……とても陰惨で……俺は自分で自分が恐ろしかった。もし何か取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないと思うと……」 震えそうになる喉を、久周はぐっと引き締めた。その顔が泣き出す寸前のように引き攣り歪んでいることが、見えない春海にもわかった。 「でもやっぱり俺は知りたい。自分が何をして、どうして死んだのか。そう思えるようになったのは春海のおかげだ」 「え? 何で? 僕は何もしていないと思うけど」 疑うこと以外は。 久周は春海の髪を遊ぶ手を止め、唐突に切り出した。 「俺が記憶を思い出せば……お前に、海の光景を見せてやることができるかもしれない」 「?」 「覚えてないのか? 俺は海軍だったんだ。それこそ海なんて飽きるほど見ている」 驚きに返す言葉が見つからなかった。 「それって……つまり、僕のために記憶を見つけるってこと?」 「別に、ただのついでだ。俺のためでもあるし。もういいから、寝ろよ」 子どもみたいなぶっきらぼうな言い方に、思わずくすりと笑いがこみ上げる。 ——やっぱりこの人は違う。 春海は、心の底から確信した。 記憶があるとかないとか関係ない。久周は絶対に、相手が誰であれ、人を殺すような人ではない。 絶対にだ。 春海は久周が今日一日、テレビの中で得た世界中の美しい光景を瞼の奥に感じながら、深い眠りについた。 ※ 翌朝。いつも通り、セナの散歩をして朝ご飯を食べる。奎が来るまでにはまだ時間があるから、その前に図書館に行くことにした。 「何かお探しですか?」 白杖とセナを見たからか、それとも春海が新しい住人だということを知っていたからか、図書館に入るなり、司書が話しかけてきた。 「ええ。水原集落の……地方誌を探しているんですけど」 「すみません。そちらの方は点字化されていなくて……」 「普通のもので構いません。家に、同居人がいるので」 何気なく言うと、司書は何を勘違いしたのか「あら」と口に手をあて、にこりと微笑んだ。 「その方も幸せ者ですね。こんな綺麗な人に想われているなんて」 言葉の意味を飲み込むのに、ゆうに数秒はかかってしまった。 「あっ、いえ、違うんです! そういう意味じゃなくて……!」 「いいんですよ。そんな幸せそうな顔で言っても説得力ありませんから。そうそう、地方誌ですよね。今持ってくるので、少しここで待っていて下さいね」 春海は案内されたカウンター横の席に座って、本が届くまでひたすら火照った顔を鎮めることしかできなかった。 図書館で本を物色してから屋敷に戻ると、門の前にトラックがついていた。後ろに、奎のSUVも停まっている。 「春海! どこに行っていたんだ! 心配したぞ!」 門から飛び出してきた奎は、一つの傷でも見逃さないように春海の顔を点検し始める。それが足の先から頭の先まで行く前に、春海はやんわりと手で制す。 「ちょっとセナの散歩にね。君こそ、随分早かったね」 「平日だから、道路が空いてたんだ。それより、散歩って一人で平気なのか? ヘルパーさんは?」 「丹波さんが来るのは週に一回だよ。僕だって集落の中でなら一人でどこでも行けるし。都内でもそうしていただろう?」 「そりゃ、都内は設備がしっかりしているから」 「ここも一応、都内——東京都内だけどね」 丹波御用達の台詞を言うと、奎がふっと頬を緩めさせた。 「確かに。でもここが東京だなんて、ほんと信じられない」 屋敷の後ろに広がる原生林と、眼下に広がる奥多摩湖を眺め見て、奎は感嘆の息をもらす。そして、くるりと春海の方を振り返った。 「さて、と、荷物は業者の人に運んでもらっているから、一端、中に入ろう。——はい」 目の前に、奎の肘が差し出されたのがわかった。 「え? でも……」 「いいから。掴まって」 親切だが有無もいわせぬ口調に「じゃぁ」と言って、春海は相手の肘に自分の腕をからめる。 「自分の家なのだから誘導は必要ないのだが」、そんなことを言ってせっかくここまで来てくれた相手の気分を害したくはなかった。 奎はメッシュ素材のTシャツに、カーゴパンツを着ていた。自動車と、ミントとシナモンが混じった複雑なコロンの香りがふわりと漂う。洗練された都会の匂い。素朴な自然の香りに慣れた春海の鼻には、それはどこか別の世界のもののように感じた。 「今日もおしゃれだね、奎は」 恒例となっているお触りファッションチェックを終えてからいうと、奎は焦ったように言う。 「で、どうなんだ? 一人暮らしは? 少し痩せた? ちゃんと食べているのか? 髪も結構伸びたな?」 玄関に向かう途中も質問攻めにされる。母親から「聞いてくるリスト」でも渡されたのか、それとも自発的に聞いているのか。どちらもありえそうなのが怖い。 屋敷に入ると、なぜか緊張した。 果たして久周は、今の自分の状態を見て、何と思うだろうか。男が別の男の肘に腕を絡ませ、一歩後ろでひっつくように歩いているなんて。 (……いや、何も思わない、か) それでも奎がするりと腕を離した時、ほっとしたのは確かだった。 「じゃぁ、僕は荷下ろしの方を手伝ってくるから春海はここで待っていて」 「え? なら僕も手伝うよ」 「まさか。そんなことさせたら、君のお母様に怒られるよ。大人しく待っていて」 子どもに言い聞かせる様に言ってから、奎は裏口を通ってアトリエに行ってしまった。 「誰なんだ、あいつは?」 どこからともなく、どろんと久周が姿を現わす。心なしか漂う冷気はいつもより冷たく、チリチリとしていた。 「彼は、友達の奎だよ。作品とか制作の道具を持ってきてくれたんだ。美術雑誌の編集者で、視覚障害者向けの触れるアート特集記事の取材で知り合ったんだよ。それからはいい友達なんだ」 春海は、なぜ自分がこんな言い訳めいたことをベラベラと並べ立てているのかわからなかった。 「そ、それより、さっき図書館に行って、色々と借りてきたんだ。もしかしたら役に立つかもと思って」 居間の隅に置いてあった鞄を取り、中身を卓の上に並べる。それを見て、久周が卓の定位置に座る。 「……丹生(にう)神社に関する地方誌と、水原の地形図、それとこれは……人柱の歴史? 一体、どうゆうことだ?」 「前々から、もしやと思っていたんだ。でもまさか、そんなことあるはずないって思って……だってそうゆうのは、何ていうか日本昔話くらい昔の話だと思っていたから」 春海は本の表紙を撫でながら、ぽつぽつと言った。 「でも神社に行ってから、だんだんともしかしたらって思うようになったんだ。いつだったか、ある話を聞いたことがあって。昔は……その、僕みたいな人が、選ばれたって」 「選ばれた? 一体、何に? それに、お前みたいな人って?」 「つまり、目が見えなかったり、手足が不自由だったり……そうゆう人だよ。昔は川とか山とかで災害があった場合、神が怒っていると考えて、その怒りを静めるために人が海や川に身を投げていた。人柱として。タケさんがいうには、神社の脇にある氷川という川は、荒川として有名だったらしいから、そういうことがあっても不思議じゃない。柳田國男の本にも書いてあった通り、特に、身体のどこかが欠けている人間は、昔から神聖化されやすい。だから、神への貢ぎ物としての対象にもなりやすかったんだろう。僕が思うに、この屋敷に住み着いているのは、そうして命を落とした人たちの無念の魂なんじゃないかと」 引きずられた足や、怒りと哀しみに彩られた呻き声を思い出し、春海は唇を噛みしめた。 「つまり……生け贄ということか。でも、何でこの屋敷に?」 「それはわからないけど……」 小さな声で言うと、久周が首を振った。 「お前にとっては昭和初期なんて昔話と同じだと思っているかもしれないが、文明開化を迎えてもう何十年と経っている。そんな非近代的なことが水原で行われているなんて話は聞いたことがない」 「水原ではって、君は……もしかして思い出したのかい……?」 いや、と言いながらも久周は曖昧に頷いた。 「断片的にだ。子どもの頃の記憶とか、勝手に後ろの森に行って叱られたり川で遊んだりとか……そうゆう何でもないことなら。だが、あの時、この屋敷であったことは何にも……」 久周はもどかしそうに歯を鳴らす。 「君は……」 春海は口を開き、閉じた。聞きたいが、聞きたくない言葉が喉の中でわだかまっている。が、結局、問わずにはいられなかった。 「君は……ここに住んでいた人を知っている? その、君が生きていた時の。お隣のイネさんが言うには、彼は……片目が不自由だったらしい」 「……深影(みかげ)? もしかしてそいつは、氷川深影という名前か!?」 ガタンと卓の上から本が一冊落ちる。久周は、春海の肩を掴まんばかりに詰め寄ってきた。周りの冷気がぶるぶると震え、久周の動揺が如実に伝わってくる。 「彼を……知っているの?」 「え? いや、知っているというか……手記にその名前が……いや、違う……その前にもどこかで……なんか俺にとって大事な奴、だったような——……」 久周は記憶を振り絞ろうとするかのように、頭を抱えた。 春海は自分の心が身体から滑り落ち、畳の上に千々に散ってしまったような錯覚を覚えた。 やっぱり、あの夢は本当だったんだ。久周と……深影。彼らは友人だった。しかも、かなり特別な。 春海はかすれそうになる声を抑えながら、久周に尋ねた。 「もし、彼が生け贄に選ばれたとしたら、君はどうした……?」 「——もちろん、助けるさ。俺の命をかけても」 自分でも予想していなかった言葉なのか、久周は慌てて言葉を飲み込んだ。 「と、とにかく、生け贄とかなんとか、もし仮にそんなことがこの集落で行われていたとしても、誰かが普通、気がついていただろう。だが、俺も集落の人間もそんなことは知らない」 「知っていても黙っていたのかもしれないよ。結局、普通の人間にとって、僕たちみたいな人間は厄介者でしかないから」 「お前……」 しーんと重たい沈黙が流れる。久周が信じられないものを見るような目で見つめてきているのを感じたが、顔を逸らすことはしなかった。 「春海! ちょっとこっちに来て、道具を置く位置を確認してくれないか!?」 その時、タイミング良くアトリエの方から奎の声がかかった。 「……ごめん、僕、行かなくちゃ」 春海は返事を聞く前に、逃げるように座敷から抜け出した。

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