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第2話
「行くところは?」
雪で滑りやすい階段を慎重に下りていると、階段上から玄沢が声をかけてきた。
右手にトランク、左脇にガジュマルの植木を持った格好の陽向は、その場で立ち止まる。するとやってきた玄沢が、すかさずトランクを持ってくれる。
陽向は、前を行く玄沢の広い背中を見つめた。
「……敵にこんなことしてもいいの?」
「敵?」
玄沢がふっと鼻で笑う。
「謝花はただの依頼人だ。そして君は俺の調査対象であって、敵でも何でもない。それで、行くところはあるのか?」
依頼人の前じゃないからか、玄沢の口調は、先ほどよりもくだけていた。
「友達にしばらく泊めてもらえないか交渉してみるつもり。それまではホテルにでも泊まるよ」
沈黙。玄沢は階段下で立ち止まり、何か考えるように足元の雪を見つめていた。
ここにきて雪はさらに大降りになり、先ほどの戦闘の痕もなかったかのように綺麗に覆い隠してくれていた。
唐突に、玄沢が口を開く。
「良かったら、うちに来ないか?」
「へ?」
陽向は思わず聞いた。
「もしかして、それって口説いてる?」
「は?」
玄沢は虚をつかれたように振り返ったあと、ぶんぶんと首を振る。
「あ、いや……そうゆうつもりでは……うちとは言っても事務所で、夜の間は俺も使ってないから、寝ることくらいならできるかと」
「あー……」
陽向は手を上げた。
「ごめん、思い出した。海斗が言ってたもんな。あんたはゲイじゃないって」
「…………」
玄沢は黙り込んだ。陽向は、その姿を数段上の階段から見下ろした。
「ねぇ、いつもこんなことしてるの?」
「こんなこととは?」
「男に金をぼったくられたあげく、家を追い出されたみじめなゲイに宿を提供したり、荷物を持ってくれたり……しかも依頼人じゃないんだぜ。普通の探偵はここまでしないだろう?」
からかうような言い方に、玄沢はむっと顔をしかめた。吐き捨てるように言う。
「あぁ、普通の探偵はこんなことしないな。だが相手にしている依頼人も普通じゃないから、しょうがないだろう」
チリッとした怒りを感じた。階段を下りきったところで立ち止まり、相手を仰ぎ見る。
「……あんた、やっぱり俺のこと馬鹿にしてるんだろう?」
「馬鹿に?」
玄沢はしばし逡巡したのち、頷いた。
「あぁ、してる。今だから言うが、君の彼氏は──」
「元彼。ま、そう言っていいかも今ではわかんないけど」
「……君の元彼は正真正銘のクソや──……いや、ただ君には似合わない」
「君にはって、俺の何を知っているんだ?」
「二十八歳。未婚。両親とは幼い頃に死別して、十八まで母方の祖母に育てられた。その祖母も亡くなり、就職のために上京。趣味は『怒りをおさえるメソッド』などの啓蒙書あさりと、貯金」
「へぇ、よく調べたね。さすが探偵さん」
「そう毛を逆立てるな」
「立ててないよ!」
陽向は眉間を押さえた。怒りを抑えようとするあまり、知らず声が震えてしまう。
「自分が馬鹿だってことは、十分承知している。キレたら周りが見えなくなって突っ走る性格だってことも。でも大丈夫。そんな風に壊れ物みたいに扱ったり、家にまで呼んで監視したりしなくても、誰彼構わず鉢を投げたり、はさみで脅したりしない。あんたが仲良くしている警察や弁護士の世話になったりもしない。今はただ、そう……一人になって考えたいだけだ……」
長い長い息を吐いた。白く冷やされた息が、煙となって空に消える。
陽向は玄沢の手から荷物を取ると、ぺこりとお辞儀した。
「ありがとう。気持ちだけはもらっておきます」
一拍の間のあと、玄沢がぼそりと答えた。
「……わかった、お気をつけて」
陽向は振り向くことなく、雪の道を歩き出した。
※
ルルルルル……。
翌日。電話の音で目が覚めた。陽向は手探りでベッドサイドの携帯を取る。
「ふぁい?」
「玄沢です。朝早くにすいません」
ずんと内臓が五センチほど浮いた気がした。まったく朝一番に聞くには、心臓に悪い声だ。
眠気が一瞬にして吹っ飛ぶ。
「どうしたの? 何で俺の番号を?」
ベッドから身体を起こす。サイドテーブルの時計を見ると、七時十分だった。
まだ雪が降っているのだろうか。ホテルのカーテンの隙間からは、灰色がかった光がもれていた。
「謝花氏に聞いたんです。事後承諾ですみませんが、ちょっとトラブルで。その……邪魔だったか?」
ビジネストーンの声がくずれ、少しだけ甘くかすれる。陽向の頬に、苦笑いが知らずに浮かぶ。
「もしかして、昨日一人にしてくれって言ったの気にしてくれてる? 大丈夫。昨日の夜は、たっぷりと一人で考える時間があったから」
陽向は携帯電話を肩で固定し、あちこちに散らばっているビールの缶を隠蔽する。
もうその心配はないのだが、もし玄沢が自分を尾行していたら、ホテルの向かいのコンビニで大量の酒とつまみを買っている自分の姿を目撃できただろう。
「で、トラブルって?」
ゴミ袋に大量の缶を放り込みながら尋ねる。電話の向こうで玄沢が眉を顰めているのがわかったが、あえて無視する。
「……それが、謝花氏の元に大家の奥さんからクレームが入りまして」
「クレーム?」
「何でも『自分が大事に育ててきた植木の鉢が何者かによって壊されていた。他の住人から聞くと、二○一号室の住人がその近辺で争っており、鉢が割れる音も聞いたと。もしそれが事実なら、今日中に鉢植えを直してくれ。出来なければ、即刻退去しろ』と」
「た、退去っ!?」
その言葉を聞いて、二日酔いの方も一気に覚めた。
「海斗はっ!? もともとはあいつのせいなんだから、あいつにやらせればいいっ!」
「それが、氏は不動産屋巡りで手が離せないと。それでこっちに泣きついてきたという次第で」
「フムリンっ(くそったれ)!」
陽向は一言吐き捨てると、ぐぬぬと唸った。
「……わかった、俺がやる」
電話を反対の手で持ち直す。
「悪いけど、大家さんに伝えておいてくれないかな。すぐに直しに行くって。あ、俺も依頼料とか払った方がいい?」
皮肉まじりに言うと、
「結構だ」
そっけない一言が返ってきた。そのまま、電話はブツリと切れる。
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