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第3話
適当なパーカーとジャージに着替えた陽向は、ホームセンターで買ってきた大量の土と鉢を手にアパートを訪れた。
「え? 何で、あんたが?」
アパートの階段下には、玄沢の姿があった。傍らにいる女性と楽しそうにおしゃべりしている。
驚いたことに、玄沢は私服だった。
カーキ色のブルゾンに、チェックのダウンシャツ、ゆったりとしたカーゴパンツ。
昨日のスーツ姿もダンディで様になっていたが、カジュアルな服装もよく似合っている。というか、意外と若く見えることに驚く。
(そういえば、この人って何歳くらいなんだろう……?)
改めて、玄沢のことについて自分が何も知らないことに気づかされた。相手は、自分のことを詳しく知っているのにも関わらず。
「あぁ、喜屋武さん」
玄沢の傍らにいた女性が陽向の存在に気がつき、近づいてくる。彼女こそクレームをしてきた大家の妻だと気づくのに、二、三秒かかった。
「もう、こうゆうことは本当に困るんですよ。警察にも連絡しようと思ったんだけどね、この方がすぐに謝りに来てくれて」
大家妻が親しげに玄沢を見た。玄沢も「いいえ」と微笑み返す。
想像していたよりもずっと、穏やかな雰囲気だった。もっとネチネチ小言を言われるか、怒鳴り散らされるかと覚悟していたのに。
(もしかしなくとも、この人のおかげ……?)
ちらりと玄沢を見たのち、ハッと今の状況を思い出して、陽向は勢い良く大家妻に頭を下げた。
「本当に、すみませんでしたっ……! 今後、こうゆうことはないように気をつけますので!」
「そうして頂戴。まあね、喜屋武さんはゴミ出しもきちんとしてくれているし、若いのに地域の清掃活動にも出てくれているから、しっかりした人だっていうのはわかっているのよ。とにかく、今日はこの鉢植えをどうにかして頂戴。私はこれからちょっと用事があるから、もう行かなくてはいけないけど」
「はい、大丈夫です。責任もって元に戻しておきます」
「そう、頼んだわよ」
と言って、大家妻はアパートの隣にある自宅へと帰っていった。
「普段の行いに救われたな」
振り返ると、にやにや笑いの玄沢と目があった。
「……それを言うために、わざわざ来たの?」
「まさか。今日は依頼人の代役だ」
玄沢はポケットから出した軍手の一組を、陽向に投げて寄越した。
「え、手伝ってくれるの?」
「これも仕事のうちだ。君の言葉を借りるなら、俺たちは〝敵〟同士。でも今日ばかりは協力し合わないとな」
玄沢は「よし、やるか」とブルゾンを脱いで伸びをした。
服装と相まってか、今日の玄沢はぐっと親しみやすく、気さくにさえ感じられた。昨日はほとんど笑わず、淡々としていて冷たい印象さえあったのに。
まぁ、あれは仕事中だったからかもしれないけど……いや、今も仕事中だが。
(なら、俺がお礼を言うのも筋違いか。この人はあくまでも、海斗のためにここにいるんだから……)
「さて、何から始める?」
玄沢が軍手をはめ、きょろきょろと辺りを見回した。
大家妻がやっておいてくれたのか、苗は一つ一つ水の入ったバケツに入れられ並んでいた。
朝方少しばかり降っていた雪は今は止んでいて、灰色の雲の間からはおぼろだが日差しもさしている。
陽向は、自分が持ってきた鉢を指さした。
「じゃぁ、まず苗にあった鉢を探して──あっ、それじゃなくて、もうちょっと大きいのがいいかも」
「これか?」
「うん。あとは根も少し切った方がいいかな。ちょっと苗を持っててもらっていい?」
陽向は玄沢の前にかがむと、苗の根を剪定はさみで切りつめた。
「慣れているな」
玄沢は苗を持ったまま、陽向の手先をじっと見つめる。
「一つ聞くが、どうして鉢を投げる前に、苗を抜いたんだ? 我を失っていたにも関わらず?」
揶揄するような口調に、そっぽを向く。
「……だって、花に罪はないから……」
「なるほどな」
玄沢は一人、納得したように頷いた。
「確か、君のおばあ様は、イギリス人だったな」
まるで大発見をした科学者のような口調で玄沢は言った。記憶の中の資料をたぐっているのか、宙を仰いでいる。
「沖縄の出身の君のおじい様は、戦前政府のプランテーション政策で、出稼ぎのためにハワイに渡った。そこでイギリス移民である農場主の娘と恋に落ちた。だが真珠湾のあおりをうけて、娘とともに命からがら沖縄に帰国。終戦後、二人は女の子を授った。それが君の母親だ」
「すばらしい。そしてたぶん、あんたはこう思っているんだろう。イギリス人の例にもれず、うちのおばあは園芸好きで、俺もその影響を受けたと」
「違うのか?」
「その通りだよ。見事な推理だ。ホームズ君」
「初歩だよ 、ワトソン君」
くすり。どちらともなく、笑いがもれた。
不思議だった。
昨日は散々な目に合い、今日も最悪な寝覚めをしたにも関わらず、どうして今、こんなに穏やかな時間が過ごせているのだろう。
──しかも、敵である玄沢と。
「そういえば、玄沢さんって何歳な──あ、いや、ですか?」
何個目かの植え変えが終わった時、陽向は何気なく聞いた。
「今更だ。もういいよ」
玄沢はちょいと片手を上げた。
「三十五だ」
「へぇ」
意外といえば意外だし、そうでもないといえばそうでもなかった。今みたいな私服姿だったら、二十代後半といっても通じそうだし、逆にクラシックなスーツを着ていれば四十代前半に見えなくもない。
さすがは探偵というべきか。
(にしても七歳差、か……それくらいなら丁度いいかも?)
すぐにハッと気づく。
玄沢はゲイではない。こうして今付き合ってくれているのも、仕事だからに他ならないのだ。
もやもやと考えながら手を動かしていると、玄沢がおもむろに顔をのぞき込んできた。
「前から思っていたんだが、不思議な色だな」
「え?」
「いや、その目もおばあ様譲りなのか?」
玄沢が、じっと瞳の中までのぞき込んでくる。
「へーゼルっていうんだっけか、そうゆうの。ぱっと見は茶色に見えるのに瞳孔にいくにつれて緑やグレイにも見える」
「……よ、くわかったね。まじまじ見ないとわからないのに。こんなに早く気がついたのは、玄沢さんで二人目だ」
「ちなみに、一人目は?」
「海斗」
玄沢が憮然と鼻を鳴らした。それが何だか子供みたいな仕草で可愛らしかった。
陽向は、土を鉢に入れながら言う。
「うちのおばあはもっと濃いヘーゼルだったよ。それに沖縄には、ハーフって珍しくないから、俺みたいなクオーターは外見的にも地味な方で。ほら、俺って瞳以外はほとんど日本人顔だし」
「何言っている、そんな生っ白い肌していて」
玄沢は、シャベルを握っている陽向の腕をちらりと見た。陽向は落ち着かず顔を伏せた。気のせいだと思うが相手の視線が全身に移動しているような気がして、作業に集中しているふりをする。
「細かいところまでよく見てるね、目とか」
「外見的特徴は尾行する時に、欠かせないものだからな」
「へぇ、じゃぁ玄沢さんを尾行するのも簡単そう。その外見だし、俺だったらすぐに見つけ──」
とんでもないことを言いそうになって、慌てて付け加えた。
「ほ、ほら、背ぇ高いし、体格もいいから」
「背? 別に、普通より少し高いくらいだろう」
玄沢は、ますます怪訝そうな表情をした。
「ずっと聞きたかったんだが、どうしてあの時、俺の方を見た?」
「あの時?」
「駅前で」
「あ、ああ、それは……」
あんまりにも姿が様になっていたので、見とれていました……とは言えない。
「え~と、俺の担当した雑誌を持っていたからかな。玄沢さんみたいな年齢の人があれを見ているなんて珍しいと思って」
「そうか」
と、玄沢はほっと胸をなで下ろした。
「てっきり尾行がバレたのかと思って、冷や冷やしたよ。雑誌だって、あんまりにも君が俺のことをじっと見るものだから動揺して、咄嗟に調査資料の中で見かけたものを手に取ってしまった。あれは失敗だった。まったく、こんなんじゃ探偵失格だ」
「そういえば、玄沢さんは何で探偵になろうと思ったの? しかもゲイ専門なんか。あ、いや、特に深い意味はないから。ただの好奇心」
「素直だな」
玄沢はふっと笑い、手元に視線を戻した。
「平日の昼間は、普通の探偵もしているよ。ゲイ専門は、知り合いがやっているゲイバーから仲介をしてもらった時だけだ。──さてと」
玄沢が立ち上がり、伸びをする。
「そろそろ休憩でもするか。さすがにずっと屈みっぱなしは腰にくる」
玄沢は階段の上がり口にどかりと座り、大家妻がくれたペットボトルのお茶を飲む。
はぐらかされた、とわかっていたが、陽向はそれ以上つっこんで聞く気にはなれなかった。
「休まないのか?」
もくもくと植え続ける陽向に、玄沢が聞いた。
「あ、いや。もう少しで終わりだから、これだけやっちゃおうと思って」
「働き者なんだな」
「別に普通だよ」
「いや。尾行している時も思ったが、君には止まっている時間というものがまったくない。平日は遅くまで仕事。休日は地域の清掃活動やらボランティア。さらに家事まで全部こなしている」
「まさか、盗聴……? いや、盗撮……?」
「まさか。たとえ、依頼人の許可があったとしても、そこまではしない。あの男——謝花がいそいそと家事なんてしているとは思えなかっただけだ」
「それを聞いて、安心したよ」
陽向はふっと息を吐くと、膝の上の土を払いながら立ち上がった。
「お得意の推理をされる前に、自分から言うとね、うちのおばあは沖縄に来たあと、差別や偏見の目にさらされながらも、沖縄戦、米国領地下、日本復帰の怒濤の時代を生きてきた。おじいの死のあとは、基地の近くの料理店で、軍人さん相手にあくせく働いていた。娘夫婦──俺の両親が交通事故で死んだあとは、マチヤグヮー(なんでも屋)を開いて、一人で店の切り盛りをしながら、俺を育ててくれた。そんなおばあの背中を見ていたから、俺も動いていないと死んじゃう鮪みたいな人間になったわけ」
ふと気配がして見上げると、すぐ横に玄沢が立っていた。深い色をたたえた黒い目が、じっと見下ろしてくる。
不憫だと思われているのだろうか? もしくは、同情か?
「君は──」
玄沢の手が、伸びてきた。陽向は息を止め、その指先の行く先を見つめた。
「あれっ、陽向がいるっ!」
緊張感のない声がした。見ると、重たそうな紙袋を持った海斗がアパート前の歩道にいて、ブルドーザーのように固い雪を巻き上げながら走ってくる。
「まだやってたんだ! それに玄沢さんまで!」
(……こいつ、いつもいつも絶妙なタイミングで現れやがって……!)
陽向は立ち上がると、足下の雪を海斗に向かって投げつけた。
「一体、誰のせいだと思ってるんだよ……!」
「ちょっと止めろって。だって、しょうがないだろう? 早く次のアパート見つけないと、陽向だって困るし?」
「それは当たり前だ!」
「陽向。おい、聞けって」
雪を避けた海斗が突然、陽向の腕を掴んだ。一年に一回はあるかないかという真剣な表情で陽向を見据える。
「──陽向。俺、今度こそちゃんとするから。仕事も見つけて、一人暮らもして……だから」
もったいぶるような一拍を空けて、海斗は言う。
「俺たち、またやり直さないか?」
「ていっ!」
陽向は肩に向かって伸びてきた海斗の手を、すばやく手刀で打ち落とした。
「もう聞き飽きたわ、そのセリフ! 俺が唯一望んでいることは、お前とは今後、金輪際関わらないことだ!」
「そんなあ、陽向ぁ……」
「犬みたいな声出すなっ! 保健所に連れてって、去勢してやりたくなる!」
「えぇ~そんなこと言って、これでヨガっていたのは一体、どこのどいつだよ」
卑猥な笑みを浮かべて、海斗が陽向の尻を掴んだ。思い切り、その手の甲を抓る。
「調、子、に、の、る、な」
一喝すると、海斗は「はいはい」と手を上げた。
陽向は、後ろに視線をやりたい衝動を抑えるのに必死だった。
果たして、玄沢は今の自分たちを見て、どう思ったのだろう?
見方によっては、じゃれ合っているように見えなくもないが。
「では、私はこれで」
玄沢は階段の手すりにかけていた上着をとると、横を通り過ぎて行った。
「あれっ、玄沢さん、もう帰っちゃうの!?」
海斗が邪気のない様子で、玄沢に声をかける。
「えぇ。私は貴方の代理で来ただけなので。でも、もう必要ないでしょう」
海斗と陽向を交互に見てから、玄沢は「では」と言って足早に行ってしまう。
陽向は、慌てて自分のコートを手に取った。
「えっ、陽向も行っちゃうの!?」
「ああっ! あとは任せたぞ!」
「任せたって、一体、どうすれば!? 俺、ガーデニングのことなんて全然、知らないよっ!」
「もうだいたい終わっている! あとは鉢を並べるだけだから、お前の美的センスに任せる! じゃ!」
「美的センスって……ちょ、陽向ぁ……!」
情けない海斗の悲鳴を背中に、陽向は玄沢の後を追った。
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