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第1話(3)
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↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓
毎日昼の12:00時あたりのPV数を見て、多い方の作品をその日22:00に更新したいと思いますmm
◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 )
https://youtu.be/VPFL_vKpAR0
◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年)
https://youtu.be/N2HQCswnUe4
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「慰謝料……?」
「ええ。ここ数日、私は氏の依頼を受けて、貴方の──喜屋武さん、でいいんですよね?」
こくりと頷くと、玄沢は続けた。
「貴方の素行調査と尾行を行った結果、謝花氏に対する数度の暴行未遂、名誉毀損、脅迫また器物破損行為が見られました。これを刑法にあてると──」
「ちょっと待って、暴行? 名誉毀損? 脅迫?」
「ええ、先ほどの鉢を氏に投げつける行為しかり、加えて数ヶ月前、氏の顔──正確には頭部の脇ですね。そこに三針縫う怪我を負わせたり」
「ちょっと待って……! あれは、海斗がっ──」
玄沢は手で制すると、懐から取り出したレコーダーを再生した。
『この万年発情期のクサレチ○コザルがぁ~!』
『シナサリンドー(ぶちのめすぞ)!』
さあっと、背中が冷えていく。
まさか自分が、こんな下品なことを言っているとは。キレている時の記憶はあまりないから、わからなかった。
ごほんと、玄沢が咳払いをする。
「貴方の氏に対するこれら日常的な名誉毀損や脅迫は、言葉による暴力とみなされます。さらに公共の場でこのような発言を行った場合、都の迷惑防止条例に反し──」
「わかった、わかったから!」
「では承諾していただけますね。氏はこれらの一連の行為による肉体的、精神的苦痛の代償として、貴方に三十万円の慰謝料を要求しています」
「さ、三十万!?」
海斗の方を見ると、相手はさっと顔を伏せた。陽向は、玄沢に慌てて顔を戻す。
「ちょ、ちょっと待って。そんな金払えるわけ……そもそも何であんたがこんなことを? あんたは警察でも、弁護士でもない。ただの探偵だろう!」
「その通りです」
玄沢はまったく動じずに言った。
「しかしこの近辺には、いえ日本には、貴方たちのようなLGBT──マイノリティーの人々の問題を真っ向から受け入れ、権利を主張するプロフェッショナルが、ほとんど存在しない。ゆえに私のような者が、時に警察や弁護士の領域までカバーしなくてならないこともあるんです。彼ら──警察や弁護士の一部の者たちも、ある程度までは私のことを黙認してくれますし、時には、協力もしてくれる」
ひくりと陽向の頬が痙攣する。
「それは……俺のことを脅しているわけ?」
「さあ」
玄沢は白々しく言うと、感情のうかがえない真っ黒な瞳で陽向を見据える。
どくり。
腹の中から何かがせり上がってくるように陽向は感じた。
これは怒りか? それとも、恐怖?
「もちろん、私は一介の探偵なので強制力はありません。もしこの支払いに不服なようでしたら、裁判で争ってもいい。ただ貴方の場合──」
玄沢が、手元の資料を手に取った。
「不利な証拠が揃っていまして。先ほども言ったように貴方は六ヶ月前、謝花氏に水槽を投げつけ、三針を縫う怪我を負わせた。この時ばかりは、警察も事情を聴きに来ていますね」
「だから、あれはっ……!」
上がってしまいそうな声をグッと抑えた。横目で海斗を睨みつける。
「……あれは、こいつが、うーちゃんを、ギャンブルの景品としてキャバ嬢に渡そうとしたから……」
「うーちゃん?」
「ウーパールーパー。俺が故郷から唯一持ってきたペットのうーちゃん」
「あぁ……」
玄沢は一瞬、言葉を詰まらせた後、辺りを見回した。
「で、そのうーちゃんとやらは? もしかして、その時、水槽と一緒に……?」
「まさか。ちゃんと出してから投げたよ。うーちゃんは……死んだ。三ヶ月前に。もう結構なおじいちゃんだったし」
潤みそうになる目を、瞬きをして何とか抑え込んだ。
(ってか、なんで俺はこんなことを、この人に話しているんだ……!)
玄沢の手元のファイルを奪ってやりたい衝動に駆られる。
あのファイルの中には、一体、どれだけの自分の情報が入っているのだろう。まさか、高校の夏休みに先輩の家で勢いのまま初体験を済ませたこととか、成人式の日に酒を飲み過ぎて急性アル中で運ばれたこととかも入っているのだろうか?
……いや、そんなのは今更どうでもいい。美しくもバカな思い出なのだから。
今、何より最悪なのは、一瞬でも見惚れてしまった男が、自分から慰謝料をぶんどるために雇われた探偵だったってことだ。
(くそっ、くそっ、くそっ! もう世の中なんて信じないっ!)
「そう警戒しないで下さい」
玄沢が資料をまとめながら言った。
「私はただ、お二人が互いの希望を満たせるようにお手伝いしたいだけです」
「二人の、じゃないだろう? あんたは海斗が雇った探偵なんだから、海斗の希望を、だろう?」
「喜屋武さん」
玄沢が小さなため息をついたのを、陽向は聞き逃さなかった。
陽向はバンと手をテーブルにつくと、カウチから猛然と立ち上がる。
「だって、そうだろう!? でもな、俺にだって言い分はあるんだっ!」
ソファの隅ではらはらと事の成り行きを見守っている海斗を指さした。
「こいつのボディガードも兼ねてたんなら、よくわかるだろう! こいつがいかにだらしのない尻軽男か! 飲むは打つわ買うわ! 定職にもつかないで、ギャンブルで生計をたててるし、週に一度は俺の職場まで来て、金を催促するし! そこらへんでひっかけたキャバ嬢やら男娼やらと、昼間から人ん家でしっぽりとヤルし──」
はたと気づいた。嫌な予感が頭を過ぎり、玄沢と海斗が見守る中、慌てて自室に駆け込む。
「フラー(バカ)!」
寝室の状況を一目見るなり、陽向はダッシュでリビングに引き返した。
「しまった」という顔をしている海斗の胸ぐらに掴みかかる。
「このフムリン(クソったれ)! 海斗! お前また人のベッドで、人のベッドで……!」
「ご、ごめっ、でも俺のとこ万年床だし、雰囲気がなくてっ……それに、ちゃんと陽向が帰ってくる前に片づけようとしたんだっ!」
「そうゆう問題じゃないっ……!」
「落ち着いて下さい。喜屋武さん」
玄沢が海斗に殴りかかろうとする陽向を制した。大きな手が、陽向の肩にかかる。
「離せ! これが落ち着いていられるかっ! この野郎、人のベッドでキャバ嬢と……!」
情けなくて、涙が出そうだった。
海斗が他の奴と寝ている(しかも複数)のは、前々から知っていた。身持ちが固くない奴だということも一緒に住む前から知っていたし、何より付き合っているかどうかもわからない自分が口を出していいことなのかわからなかった。
だから気にしなかった。いや、気にしないようにしていた。
ただ気が向いた時だけとはいえ、少なからず関係を持っている身としては、自分たちが抱き合ったベッドに男娼やら風俗嬢を連れ込むなんて、デリカシーがないにもほどがある。
陽向は風のような敏捷さでテレビの横にあるペン立てからハサミを取り出すと、じりじりと海斗に近づく。
「俺は今、確信した。お前のそのキン○マを取った方が、世界のためになる!」
まるで世界の期待を一身に背負ったような狂気の目をして近づいてくる陽向に、海斗は叫んだ。
「や、やめろ! 俺のコレは国宝級なんだから、無くなったら日本の損失、いや世界の損失だ! 玄沢さん、助けてくれ〜!」
「やめろっ、喜屋武! 本当に警察に行きたいのか!?」
玄沢がハサミを持つ陽向の手首を背後から掴んだ。陽向はハッと我に返り、相手の顔をまじまじと見つめ返す。
玄沢の顔には、驚愕と動揺の色が浮かんでいた。
「ハサミを置いて座るんだ。さぁ」
玄沢は陽向の手から慎重にハサミを取り上げると、カウチまで誘導する。
陽向の肩を抱くその手はとても大きく、温かかった。背中に感じる胸元は固く広く、まるで大樹に抱かれているような安心感がある。
陽向はうっかり相手に身を委ねてしまいたい衝動に襲われた。しかし自分を抑え、相手から出来るだけ距離をとった。
玄沢は海斗の探偵──つまり敵だ。次から次へと襲ってくる災難でいくら弱っているとはいえ、敵の胸元で甘い妄想に浸ってしまうなど、あってはならないことだ。
「大丈夫か?」
玄沢がカウチに座った陽向の顔を心配そうに——もしくは恐る恐るのぞき込んできた。事務的だった口調が、ここにきて優しいとさえ思える響きになる。
ぐらり。またもや絆されそうになる自分を叱咤し、陽向はこくりと頷いた。
「……もう大丈夫です」
玄沢の手を自分の肩から外すと、伊は膝に肘をつき、組んだ両手の上に額をつけた。
向かいに座った敵方二人が、こちらの様子を固唾飲んで見ているのがひしひしと伝わってくる。
陽向は顔を上げずに言う。
「…………出ていってくれ」
「え?」
海斗が陽向を見、ついで隣の玄沢と目配せを交わした。陽向は視線を上げることなく、押し殺した声で言う。
「三十万でも、何十万でもやるから、ここから出ていってくれ」
「陽──」
口を開きかけた海斗を、玄沢が制す。
「つまり、謝花氏が出ていくなら、支払いに応じると?」
「……あぁ、喜んで。こいつが俺の人生から出ていってくれるならお安いご用だ」
クッと陽向の口端から自嘲の笑みがこぼれた。
「どうですか?」
玄沢が依頼主に問うた。海斗は目を細めて、同居人をじっと見る。対する陽向は、窓の外を気にするふりをして、彼とは決して視線を合わせなかった。
窓の外で吹きすさぶ春の雪は、今の陽向の心を映し出しているかのように荒れに荒れていた。べた雪が窓ガラスを打ち、無惨に溶けて落ちる。
「…………わかった。出て行くよ」
海斗は自分の足下を見ながら、こくりと頷いた。太ももの上に置かれた拳が、かすかに震えているのが、ガラスの反射越しに見えた。
沈黙を玄沢が破る。
「これで解決ですね。ですが、一つ問題が」
「問題?」
陽向は、顔を上げた。嫌な予感がひしひしとする。
「はい。出ていくにしても、一朝一夕にはいきません。次の住居も探さなくてはいけないし、荷造りや諸々の手続きもあるでしょう。それに当面の資金の調達も……そうですね、最低でも十日ほどは必要かと。一つお聞きしますが、その間、氏をここにおいておく気は──」
「何を言っているんだ」という陽向の視線を受けて、玄沢が咳払いをした。
「もちろんないようですね。となると、謝花氏には次の滞在先が見つかるまで、ホテルで寝泊まりを──」
「ホテル!? そんな金ないよっ! しかも十日なんて……!」
「俺からぶんどる三十万があるだろう」
「それは無理です」
玄沢が淡々とした口調で言った。
「慰謝料の受け渡しは、双方の要求が完遂された時、つまり謝花氏が引っ越しを完全に済ませたあとで渡してもらいます」
「えっ、そうなの!? そんなの聞いてないよ!」
海斗が青い顔して、探偵を見た。
「当たり前です。お金を受け取ったあとも、ここにだらだらと居続けられたら、今までと変わりがないですから」
さすが探偵。陽向たちの関係を、よくご存じらしい。
海斗と自分はこれまで何度も、
「金やるから出ていってくれ」
「わかった。出ていくよ」
となるものの、数日後には結局、海斗が「金がない」と帰って来て、元通りの生活に戻る。その繰り返しだ。
きっと玄沢は思っているだろう。
こんなデリカシーもない考えなしの軽い男と、約一年も付き合っていたなんて、こいつは何と馬鹿なのだろうと。
(……そうだ、俺は馬鹿だ)
陽向はすくりと立ち上がった。
「どこへ?」
と、玄沢がすかさず聞いてくる。
「俺が出ていく」
陽向は自室へ向かった。旅行用の鞄を取り出し、手当たり次第に詰め込んでいく。
「どうして? 君が出ていく必要はまったくないんだ」
開けっ放しにしていたドアの前に、玄沢が立つ。感情の窺えない目で、荷造りする陽向の手元をジッと見ている。
「ここは君の名義で借りているアパートであって権利は──」
「あんたが俺のことをどこまで調べたかはわからないけど、俺はそこまでお人好しじゃないよ」
荷物をまとめる手を止め、後ろを振り返った。
玄沢はドアのフレームに手をつけ、複雑な表情で立っていた。陽向は両手を広げてみせる。
「十日間だ。十日経って、海斗がまだここに居座っていたら、何のためらいもなく外に放り出す。例え、外が大雪だろうと、嵐だろうと、宇宙人が侵略しにきていようと、ゾンビが跋扈していようと」
ふっと、玄沢が笑った。だが、すぐにお堅い探偵の表情に戻る。
「わかりました。その旨を氏に一字一句違えずに伝えておきます」
「よろしく」
玄沢の足音が遠ざかっていく。リビングの方で、彼と海斗が話す声が聞こえてきた。「ありがとう」とか「助かった」という声に混じって「契約」がどうとかこうとかという言葉が聞こえてきた。
陽向は音を立てずドアを閉めた。
もうこれ以上、馬鹿げた話など聞きたくない。
海斗と暮らした一年──無駄と徒労と消費に終わった一年間を思い出して、どっと疲れが襲ってきた。
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