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第5話

○●----------------------------------------------------●○ ↓現在、以下の2つのお話が連載中です。↓ 毎日昼の12:00時あたりのPV数を見て、多い方の作品をその日22:00に更新したいと思いますmm ◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 ) https://youtu.be/VPFL_vKpAR0 ◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年) https://youtu.be/N2HQCswnUe4 ○●----------------------------------------------------●○ 夕方。大通りにある繁華街のネオンが、ちらちらと灯り始めた頃。 ゲイバー『ケンタウロス』には、既に多くの客たちが集まっていた。 店内は薄暗く、クルミ材の壁にはプラネタリウムが投影されている。点々とあるテーブル席、ソファ席にもそれぞれアイアンのランプがおかれ、あちこちで光の島が浮かび上がっていた。 開店してすぐという時間帯ながら、客はそれなりにいた。みな酒を手に談笑し合ったり、相手を探してフロアを眺めていたりしている。 店内は、バー特有の静けさと熱っぽさがいりまじった雰囲気で包まれていた。 その時、ドアが勢い良く開き、雪まじりの風とともに一人の男が店内に入ってきた。 彼は客たちの注目にも一顧だにせず、ツカツカとフロアを横切り、真っ直ぐにカウンター席に向かう。 その騒がしい足音に気づき、一人、スツールに座っていた玄沢がギョッと振り返った。 「おい、一体、どうし───」 陽向は、相手の横のカウンターにバンと手をついた。 「いいから、付き合ってよ」 フロアからギャーと客たちの悲鳴が上がる。 「ちょっとそこの新参者! 玄沢さんはゲイじゃないんだから、手を出さないで!」 「そうだ、そうだ! 玄沢さんは僕らのアイドル──いや、ヒーローなんだから抜け駆けは許さないぞ!」 「うるさぁあ~いいっ!」 陽向はバンと足を踏み、騒がしいヤジを睨み付けた。 「これ以上、俺の邪魔をしたらサリンドー」 しーん。フロアが水を打ったように静かになる。 陽向は満足げに鼻息をもらすと、据わった目で玄沢を振り返った。 「海斗が逃げた」 「は……?」 「だから、海斗が消えたんだっ……!」 陽向は、ガシガシと自分の頭をかき回した。 「しかもあいつ、人んちの家具を全部、売っぱらいやがって!」 言っているうちに、さらに怒りが増してきた。今なら怒りで人体発火してもおかしくはないとまで思う。 「今度こそ、絶対に許さないっ、あいつ! とっつかまえて、あいつの口にあいつの足つっこんで、フライにしてから東京湾に沈めてやるっ!」 「ヒィー!」 フロアから、恐怖の悲鳴があがる。顔色をなくした客たちが陽向から距離をとろうと、じりじりと下がっていく。 「まぁ、落ち着けよ」 玄沢は客たちに「大丈夫だ」と無言のジェスチャーを送ってから、陽向の肩に手を置こうとした。が、途中で引っ込める。 ハッと、陽向は我に返った。怒りで我を忘れていたが、昨日、玄沢にひどいことを言ってしまっていたことを思い出す。 いたたまれなくなり、おずおずと二三歩離れる。それを見て、玄沢もぎこちない苦笑を返してきた。 「落ち着け。あの男が逃げる訳ないだろう。せっかくまとまった金が手に入る間際だっていうのに」 「……それがあいつ、クローゼットの奥に隠してあった俺のへそくりまで持ち出しやがったんだ」 玄沢の表情が硬く締まる。 「今時、たんす預金か? 一体、いくらあったんだ?」 「五十万」 突然、玄沢が立ち上がり、吼えた。 「お前、一体何をやっているんだ! そんな大金があるところに、ほいほいあいつを残すなんて……!」 フロアがざわつく。だが一番驚いたのは、陽向の方だった。 「き、気づかないと思ったんだよ。自分の部屋のクローゼットの奥に隠してあったし、まさか海斗がそこまで見るとは──」 「くそっ! あの男っ!」 玄沢は、カウンターを拳で叩いた。しかし、自分を見つめる客たちの視線に気づくと、こほんと咳払いをする。 「……すまない、取り乱した。話を聞きたいから、座ってくれ」 玄沢は何事もなかったような様子で、隣のスツールの背を引いた。 大人しく従う。玄沢の思わぬ激昂に、すっと自分の胸の方が軽くなったのを陽向は感じていた。 店のBGMが軽快なジャズに変わり、凍えきったフロアにやっと温度が戻る。客たちも、再び楽しげに談笑し始めた。 「いらっしゃい。これ、うちのオリジナルカクテルよ。飲んで、頭でも冷やしなさい」 バーカウンターにいたドレス姿の人物が、陽向の前にグラスを差し出してきた。ラメの入ったドレスの胸元から、固そうな胸筋が垣間見える。 「ありがとう、リエママ」 玄沢がにこりと微笑むと、リエは手を振った。 「いいってことよ。玄沢ちゃんがここで探偵業をしてくれているおかげで、依頼人も貴方目当ての見物客も来てくれるから、店としても大繁盛よ」 「俺は客引きのパンダか何かか……まぁ、リエさんには依頼の仲介やら事務所のことやらで色々お世話になっているので、いいですけど」 「ふふふ。でもね、惜しむらしくは——貴方がゲイじゃないってことよっ……!」 リエはぐっと拳を握り、カウンターに沈み込んだ。 「何で領域(テリトリー)にこんなおいしそうな獲物がいるっていうのに、狩れないのっ……!」 「そうだ、そうだ」 と、フロアの方から同意の悲鳴が上がる。 複雑な顔をしてそれを見ている玄沢の横で、陽向は一気にあおったグラスをバンとテーブルに置く。 「ごちそう様です」 陽向の勇ましい飲みっぷりを見て、リエが盛大に笑い始めた。 「あはは、ずいぶんと活きがいい子ね。さては、さっき店に電話してきたのは貴方ね。『探偵は来ているか』って、ものすごい勢いでかけてきたのは──依頼人なの?」 リエが玄沢を見る。玄沢はしばらく首を捻ってから、曖昧に答えた。 「……いや、何ていうか依頼人が慰謝料を要求していた相手で……」 「ふうん、複雑ね」 「複雑なんだ」 「複雑じゃない!」 陽向はおかわりしたグラスを、再びカウンターに勢いよく置いた。中の氷がガランと跳ね上げる。 「話は簡単だ! 俺はあいつを見つけだして、地獄に葬る! そして穏やかな生活を取り戻す! それだけだっ!」 「わかった。わかったから、落ち着け。これもやるから」 玄沢が手をつけていない自分のグラスを、陽向の方にやった。陽向はそれをとると、飢えた獣のように飲み干した。 「……ふう……」 ようやくアルコールがきいてきたのか、徐々に神経が落ち着いてくる。と思ったら、今度は怒濤の後悔が襲ってきた。 「……ごめん……」 「は……?」 急にしゅんとしてしまった陽向を、玄沢が奇異の目で見る。陽向は、空になったグラスを両手で包み込んだ。 「昨日は言い過ぎた。ごめん。反省している。俺、頭に血が上ると、何、口走るかわからなくて……」 「……だろうな。今のを見ていたら、誰にでもわかる」 くくくと玄沢は笑った。笑い声は次第に大きくなる。 「はは……いやまさか、このタイミングで謝られるとは思っていなかった……お前は本当に、忙しい奴だな」 背中を震わせて笑っている探偵を、ママやお客たちが信じられないというような目で凝視していた。 ようやく笑いおさまったのか、玄沢が目元に浮かんだ涙を拭きながら顔を上げる。 「それじゃあ、まずは今日のことを詳しく話してくれ」 長い息を吐いた後の玄沢の顔は、既に探偵の表情に戻っていた。 「ええっと、それが、ちょっと海斗と話さなきゃいけないことがあって、アパートに行ったんだ。そしたら、家の中が空っぽで。隣の人が言うには、昨日の昼の三時頃に質屋のトラックが来て、家具を全部運んでいったって……——あ、アキサミヨー(まさか)っ!」 陽向は、勢い良くスツールから立ち上がった。 三時といえば、自分と玄沢が帰ったすぐあとだ。もしかしてその時から、海斗は今回のことを計画していたのだろうか。 「やり直そう」と言った、その舌の根も乾かないうちに、質屋を呼び自分の金を盗んだ? 怒りよりも、どんぞこの失望を感じた。乾いた笑いがこみ上げきて、倒れ込むようにスツールになだれ座る。 「はっ……まさか、海斗がここまでする人間だとは思わなかった……こんな、こんな——」 項垂れた陽向をちらりと見て、玄沢は静かな声で言った。 「こう言っちゃなんだが、俺もだ。謝花にはここまでする決断力も、行動力もないと思っていた」 「ところが、そうじゃなかったってことだよ。玄沢さんはまだいい。海斗に会って数日なんだから。でも俺は……何だかんだいって一年以上一緒にいて、海斗がこんな人間だと気づけなかったなんて……」 喉の奥をキュッと締める。そうしなければ怒りや虚しさ、悲しさがすべて、酒とともに腹の奥から飛び出してしまいそうだった。 「……本当に、俺、馬鹿だ……あんな奴のこと、信じて……こんな風に手ひどく裏切りられるなんて……」 両手で自分の顔を覆う。こんな情けない顔、誰にも見せたくなかった。 「大丈夫だ」 ふいに、温かい手が背中にかかる。その手は慰めるように、陽向の肩から背中にかけてを優しく撫でていく。 誰のものかは、見なくてもすぐにわかった。 陽向は鼻をすすり、顔を上げる。 思ったよりもすぐ近くにいた玄沢は安心させるように、大きく頷いてみせる。 「……本当に、俺、馬鹿だ……あんな奴のこと、信じて……こんな風に手ひどく裏切りられるなんて……」 両手で自分の顔を覆う。こんな情けない顔、誰にも見せたくなかった。 「大丈夫だ」 ふいに、温かい手が背中にかかる。その手は慰めるように、陽向の肩から背中にかけてを優しく撫でていく。 誰のものかは、見なくてもすぐにわかった。 陽向は鼻をすすり、顔を上げる。 思ったよりもすぐ近くにいた玄沢は安心させるように、大きく頷いてみせる。 「大丈夫だ。俺がなんとしてでも謝花を探し出す。なんせ依頼人だしな」 「俺も依頼料、払うよ。どうせ海斗はケチるだろうから。あっ、でも契約が二重になっちゃのはまずいのか」 「いや、大丈夫だ」 玄沢は、言いにくそうに口を開いた。 「実は、謝花との契約はもう完了している。お前が慰謝料を払うと約束した時点で。お前の言う通り、金を受け取るまでの間の依頼料を払いたくなかったらしくてな」 「はっ、あいつらしい。となると、今度は俺が正式な依頼人ってことか。……あれ、ちょっと待って。じゃぁ、『九日後にまた』って言っていたのは……? 契約完了していたなら立ち退きにも付き合わなくていいはずだったんじゃ?」 「気になったんだよ。謝花がアパートからちゃんと出ていくか、お前がきっちり謝花と別れられるか。だから適当な言い訳をして、様子を見に行くつもりだったんだ」 ぽかんとしている陽向を見て、玄沢は慌ててつけ加えた。 「ここまでやって、むだ働きは嫌だったんだ。それだけだ」 「ええっと、何ていうか……ありがとう、ここまでしてくれて」 陽向は一拍おき、もじもじと切り出した。 「俺が言うのも何だけど、玄沢さんの仕事は本当にすごいと思う。俺たちゲイのために、ここまでしてくれる探偵はいないよ」 玄沢は、何ともいえない複雑な笑みを浮かべる。 「まぁ、そのために探偵になったからな。それでこれからだが——」 「あの……」 遠慮がちな声が、後ろからかかった。 振り向くと、ベリーショートの女性が青白い顔で立っていた。タートルネックのセーターにパンツスタイルという格好で、ちょっと中性的な雰囲気だ。 玄沢はすぐさま立ち上がり、名刺を渡す。 「ご連絡いただいた方ですね? 私、こうゆうものです」 「あっ」 陽向は、思わず声を上げていた。 どうして気づかなかったのだろう。 玄沢がここにいるということは、誰かから依頼が入ったということだ。他の、自分と同じように苦しんで玄沢に助けを求めている人——もしくは自分よりも苦しんでいる人から。 なんて自分は自己中なのだろう。 陽向はつんのめるようにして、慌ててスツールから飛び退いた。 「ご、ごめんなさいっ……! さっきの依頼の話はなしで! 海斗の方は俺一人で何とかすからっ! じゃ!」 「おい、待て……!」 ドアに向かおうとした陽向の手を、玄沢が掴む。 「何だってお前は、そう短気なんだっ……!」 自らの声で我に返ったのか、玄沢は長い息を吐いた。それから陽向の肩をおさえスツールに座らせると、後ろから覆うようにして耳元で囁く。 「ここで待ってろ。いいな」 「ひゃっ」 陽向は耳元を押さえ、こくこくと頷いた。 「……わ、わかった」 「いい子だ」 玄沢はかすかに笑うと、 「リエママ、いつもの部屋借りるよ」 と言い、依頼人とともに、カウンター横にあるカーテンの向こうへ消えてしまった。

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