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第11話

○●----------------------------------------------------●○ 1/18(火) 本日、『春雪に咲く花』の方のPV増加数が2ビュー分 多かったので、こちらを更新させていただきます。 動画を見てくださった方、ありがとうございます! 〈現在レース更新中〉 ↓↓以下の作品の1話動画のPV増加数に応じて、 その日更新する作品を決めさせていただいていますm ◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 ) https://youtu.be/VPFL_vKpAR0 ◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年) https://youtu.be/N2HQCswnUe4 ○●----------------------------------------------------●○ (一体、今更、海斗が何の用だ? まさか、謝るつもりじゃないだろうな。そんなことしても絶対に許さないけど!) 怒りのままに、メールボックスを開く。 『たすけて』 絵文字も句読点もない。慌てて打ったような一文。 さあっと血の気が引くのを感じた。 たいしたことない。こんなの、いつものことだ。どうせまた、窮地に立っているふりをして同情を誘い、許してもらおうという魂胆なのだ。 そう頭では理解していても、胸の動悸は不安で大きくなるばかりだった。 カチコチ。 どれくらい固まっていただろう。時計の音が、やけにうるさく感じる。 (……やっぱり、これはおかしい) むくりとソファから身を起こした。 たとえ同情を誘うのが海斗のやり口だとしても、今までだったらメールなどではなく、直接会いに来ていたはずだ。自分や他の従業員にどんなに冷たい目で見られたとしても、懲りずに毎回、仕事場まで金をせびりに来ていたのが、そのいい証拠だ。 急いでスウェットを脱ぎ、カーディガンとチノパンに着替える。コートをひったくるようして着て、急いで外へ飛び出した。 駅前でタクシーを拾い、自分のアパートへ向かう。 他の場所は思い浮かばなかった。海斗がいるとしたら、ここだ。 一年間、奴と過ごしてきた直感がそう告げていた。 たとえここに海斗がいなかったとしたら、それはもう自分の範囲外。あとは警察に連絡して任せようと自分に言い聞かせる。 深夜料金を払い、タクシーを下りる。 急ぎ足でアパートの階段を登り、ポケットから鍵を取り出す。鍵穴を探す自分の手が小刻みに震えているのがわかった。 ガチャリ。 早朝三時の澄んだ空気に、鍵の開く音が大きく響く。 そおっとノブを回した。自分の家だというのに、なぜか緊張した。心臓がバクバクと鼓動を増す。 しーん。部屋の中は真っ暗だった。 海斗は電球まで持っていったのだろうか。剥き出しの窓から入る月光と、月光が雪に反射した淡い光だけが頼りだった。 目をこらして見る。 特に、何の物音も人影もなかった。 はあっと大きなため息をつく。どうやら杞憂だったようだ。 憤慨しながらも少し安心して、玄関のドアを締めようとした。その時、あるものが目に入った。 玄関から部屋にいたるまでの廊下に、なにやら染みのようなものが点々と落ちている。 (何だ、これ? 前に来た時はなかったよな?) ドアを手で押さえながら、身を乗り出して見る。 黒だと思っていた染みは、赤かった。 ——血だ! ギョッと身を引く。アドレナリンが、一気に身体を駆け巡る。ドクドクと心臓が痛いほどに鳴る。 足でドアを留め、手を伸ばしてみた。血は乾ききっておらず、触れると指先にねばりのある赤い染みがこびれついた。まだ温かい。 少なくとも、一時間以内についたものだろう。 (まさか、これ、海斗の!?) 「……海斗、海斗っ!」 ドアを開けっ放しにしたまま、部屋に駆け上がった。血の痕は廊下だけで、あとはどこにもついていなかった。 「海斗!? 海斗!? どこかにいるのかっ!?」 一通り部屋の中を探し回ったが、海斗の姿も、手がかりになりそうなものも見つからなかった。暗い部屋の中、呆然と立ち尽くす。 バタン! その時突然、ドアが閉まる大きな音が鋭く響いた。ビクリと肩が竦む。 恐る恐る振り返ると、玄関のドアが閉まっていた。 (風でずれたのか……?) ドアを開ける。今は雪こそ降っているが、風はまったくなかった。ドアにはストッパーもかかっていたはずなので、風で閉まったにしてはおかしい。 ぞわりと、戦慄が足下から上がってくる。 気のせいかもしれないが、誰かに見られているような視線を感じた。 バクバクと、心臓が肋骨の中で暴れ回る。 陽向は外に飛び出すと、階段を下りながら急いで携帯を取り出した。震える指で、コールボタンを押す。 ルルルルルル……。 呼び出し音が、鼓膜を虚しく通り過ぎる。 (お願いだ! 出てくれ!) 朝の四時。普通の人であれば出るはずもない時間帯だ。そう思いながらも、願わずにはいられなかった。 閑静な住宅街の通りは、夜明け前の一番深い闇と静寂に満たされていた。 ヒタヒタヒタ……。 コール音にまじって、自分のものとは別の靴の音が後ろから聞こえてきた。それはまるで陽向の後をついてきているかのように、つかず離れずの距離から響いてくる。 陽向は携帯をギュッと耳に押しつけて、靴音が聞こえないふりをした。 (……お願い! お願いだ! 出てくれ!) コールが数十秒続いたのち、プツリと音が切れた。絶望が、身体を駆け巡る。 その時。 「──はい」 低いしっかりとした声が、耳を包んだ。 「陽向か? どうした? 何かあったのか?」 「玄沢さん……」 ほっと安堵が全身に広がる。言葉にならない気持ちで、胸がいっぱいになった。 「玄沢さん……あの、俺……」 陽向の声に潜む緊張を察したのか、玄沢がゆっくり力強い声で言った。 「落ち着け。大丈夫だ。ゆっくりでいい。話してみろ」 冷静なその声に勇気づけられて、陽向は深呼吸をした。目だけで後ろの暗闇を確認する。 「笑わずに聞いてもらえると嬉しいんだけど……たぶん、俺、つけられている……」 電話の向こうで、玄沢が息を飲んだ。 「つけられている? 今、どこにいるんだ?」 「アパートの近く」 玄沢が眉を顰めたのが、声からだけでもわかった。 「お前、何でこんな時間にそんなところにい——」 玄沢は状況を思い出したのか途中で言葉を切ると、険しい声で続ける。 「いいか。今すぐ人のいるところに向かえ。アパートの近くにコンビニがあっただろう? そこに行け。後ろは見るな。走ったりもするな。歩いて——ただし早足で向かえ。コンビニについたら、何でもいい、店員に話しかけて一緒にいろ。絶対に一人で、離れたりするな。今すぐそっちに向かう」 電話越しに、玄沢が車のキーを取ったのがわかった。 「いいか、一端切るが、焦らず真っ直ぐコンビニに向かえ。わかったか?」 「わかった……大丈夫」 「いい子だ。じゃ、切るぞ」 プッと通話が切れた。陽向は携帯をまるでお守りのようにギュッと胸の前で握ると、言われた通り早足で歩く。 心臓が、これ以上ないほどの速いリズムを刻んでいた。 だが、不思議と頭は冷静だった。 玄沢の力強い声が、まだ耳の奥にこだましているからだろうか。 歩き始めて数分、コンビニの眩しい光を見た時、自然と安堵のため息がもれた。 中に入るなり、眠そうにあくびをしている店員に、唐揚げを頼む。その間、ちらちらと外に目をやった。 人影はなかった。当然、玄沢もまだ来ていない。 それから玄沢の車がコンビニの駐車場につくまでの数十分、時間がやけに長く感じられた。 「陽向!」 コンビニの自動ドアを押し開けるようにして、玄沢が入ってきた。 ダークスーツにネクタイ。早朝にしては、やけにきっちりとした格好だった。おろしたての白シャツがコンビニの蛍光灯の光の下、やけに鮮やかに映る。 「玄沢さんっ……!」 もつれる足で陽向は相手に駆け寄る。玄沢は伸ばされた陽向の腕をとると、自分の方へしっかりと引き寄せた。陽向の首の横で、声を潜める。 「大丈夫か? 姿は見たか?」 「ううん……でも、足音が……」 玄沢は頷いた。 「わかった。とにかく、ここから離れよう」 陽向は玄沢に手を引かれるまま、外へ出る。去り際、店員が「今のは何だったんだ」という目で見てきているのがわかった。 玄沢は助手席に陽向が乗ったのを確認すると、辺りを一瞥し、自らも運転席に乗り込んだ。 ブルル……と車が動き出す。 ここにきてようやく、陽向は指先まで体温が戻ってくるのを感じた。 車内は百合のような香りで満ちていた。見ると、白い大きな花束が後部座席にぽつん置かれていた。 「……ごめん……」 雪もようの道を車がしばらく走った頃、陽向は何とか言葉を絞り出した。 「もしかして、今日、何か予定があったとか……? そうだったら、何と言っていいか……」 玄沢のダークスーツを、ちらりと見る。フロントガラス越しに、玄沢と目が合った。 「それより、何がどうしてこうなったのか説明してくれ」 「それが……」 ここまでしてくれて、話さない訳にはいかなかった。 「海斗から連絡があったんだ」 ぴくりと玄沢の片頬が動く。 「いつ?」 「二時くらいかな? メールだけだけど、『たすけて』って」 陽向は信号待ちを見計らって、メール画面をかざして見せた。玄沢は眉をひそめ、 「で?」 と先を急かした。ペダルにおかれた足が苛立たしげに、貧乏ゆすりを繰り返している。 「で、アパートに行ったんだ。そこに海斗がいるような気がして。でもいなかった。その代わりに血が、床についてて……海斗のものかわからないけど。そしたらドアが——」 「お前は、一体、何をやっているんだ!?」 突然、車が道路の側溝に急停止した。玄沢がハンドルに拳を叩きつける。 「一体、何度言ったらわかるんだ!? カッとなって一人で動くなと、あんなに言っただろう!? 今日はたまたま無事で良かったが、犯人と鉢合わせしていたかもしれないんだぞ!」 「でも……」 「聞きたくない!」 玄沢が怒鳴った。 「どうして……どうしてメールがきた時点で、俺に連絡しなかった!?」 「よ、夜中で迷惑かと……」 「迷惑! 今こうしている方が迷惑だと思わないのか!」 玄沢の手が伸びてきた。胸倉を掴まれ、助手席のガラスに押しつけられる。おぼろげな街灯に照らされた玄沢の顔は、怒りで歪んでいた。 「どうして、お前はこうも俺をイライラさせるんだっ……! お前を見ていると時々、無性に殴りつけたくなる! わざとか、わざとやっているのかっ……! 」 玄沢はそれが陽向自身であるかのように、窓ガラスを拳で何度も殴りつけた。 「違っ——ただ俺は……」 距離を置きたかった。 玄沢のことが好きだとわかり、玄沢にとって自分は依頼人以外の何者でもないと知り、距離を置きたかった。 心の安定を取り戻すために。 いくら自分でも失恋したその日に、相手と平気な顔で会えるほど神経は図太くはない。 いたたまれず、視線を逸らす。すると後部座席の花束がまた視界に入ってきた。 百合。トルコキキョウ。かすみ草。白い花だけでつくられた大きな花束。 玄沢の黒いスーツに目を戻す。 (もしかして、今日は法事か何かだったのだろうか?) さあっと血の気が引いた。パニックの波が頭を襲う。 「本当にごめんなさいっ……! 電話なんてするべきじゃなかった! 自分の勘違いだったかもしれないのに気が動転してて、思わず——」 「そういうことを言っているんじゃないっ! どうしてわからないんだっ……!?」 玄沢は窓ガラスに拳をつけ、顔を近づけてきた。 「俺はなぜ連絡せず、勝手に動いたんだと聞いているんだ……!」 「ご、ごめんな——」 「謝って欲しい訳じゃないっ! 理由を聞いているんだ!」 「理由って、理由なんか……」 好きだからに決まっている。 好きだから距離をおきたかったし、好きだから迷惑かけたくなかったし、好きだから危なくなった時思わず電話してしまった。 でもそんなこと、言えるはずない。 この気持ちは繭のまま、葬り去ると決めたんだ。 「…………」 頑なに押し黙っていると、玄沢の身体が離れた。 「……わかった」 一言いうと、玄沢は車を急発進させた。 車は、オレンジの街灯が灯る夜道を無言で走る。 陽向は潤みそうになる目に力を入れて、ただひたすら車窓を通りすぎる景色を見ていた。 車はアパートへとも事務所へとも違う、見慣れぬ道を走っていく。 「……どこに行くの?」 「…………」 「ねぇ、どこに——」 「お前は黙ってろ!」 玄沢の怒声が鼓膜を射る。 あの冷静沈着な玄沢とは思えない、怒りにまかせた声だった。 陽向は、泣き出したかった。 どうして自分は、好きな人をここまで怒らせてしまうのだろう。 虚しさと同時に、ほんの少しの怒りも湧いてきた。 自分だって、こんなことになってしまった理由は色々ある。 なのに、こんな頭ごなしに怒らなくてもいいじゃないか。 そもそも、自分は立派な大人の男だ。 何でも玄沢に許可を取らなくてはいけない義務はないし、自分の行動を何でもコントロール下におけると思っている玄沢は傲慢だ。 自分のやることが全て正しい、自分こそがこの世の全て(のゲイ?)を守っているヒーローだとでも思っているのだろうか。 思い上がりも甚だしい。 一瞬でも気を抜けば、泣き言か罵倒かが出てきそうで、陽向はグッと唇を噛みしめた。 冷え冷えとした沈黙で、車内が満たされる。それから車が止まるまでの間、陽向は今すぐここから逃げ出せるなら何だってすると、神に祈っていた。

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