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第3話
イギリスの伝統的なスーツを軸に、ベーシックカジュアルを展開したキングスパロウという名のうちのブランドは、エスカレーター目前のゴールデンゾーンという立地条件のおかげか、良くも悪くも様々なお客様がお立ち寄りされる。
オープンこそ問題はあったが概ねうまくいけど、日がつれ経つにつれて増え始めた様々なお客様の要望や客数に対し、スタッフ4人で店を回すのはなかなかに大変だった。
「藤崎さん、コンペチ見に行ってきます。」
「もうそんな時間か、うち以外も見てきてくれ。」
「らじゃりました。」
事務所に行き、定時に売り上げを確認するのは、専らの旭の役目だった。周辺の競合ブランドの売り上げ具合を見て、かじ取りをするのも販売員の仕事の一つである。
他ブランドよりも先手を打ってしかるべし、だ。
とはいってもかじ取りをするのは旭ではないのだけれど、やはりこういうものはモチベーションが大切なのである。
「柴崎さーん!コンペチ!長いのください!」
「短縮31番。410012くくり3014だ。打て。」
「わっかんねぇんでお慈悲ください。」
「しかたねぇな」
事務所の百貨店バイヤーである柴崎とは、専門学校の先輩後輩の間柄である。
初日顔合わせの際に紹介された際、二人して大きな声を出してしまいシニアマネージャーに咳払いをされたのは記憶に新しい。
柴崎はなんだかんだいいつつも、自分の仕事を止めてレジのテンキーをこ気味のいい音を立てながら操作してくれる。みみみみ、と妙ちくりんな音を立ててぬるぬると吐き出されたレシートをべしりと剥がすと、受け取った旭はそれをホワイトボードに貼った。
「おげぇ!隣に負けてんじゃん!まじかよぉ…」
コンペチという売上レシートは、他のブランドも見に来るためにメモ紙に書き取るのがマナーだ。
さらさらと書き写しながら、ブランド番号を確認する。テンキー登録の為、二桁の数字でしか表示されないブランド名を、必死で暗記したことは記憶に新しい。
「旭、今日七時上がりだろ?飲み行くぞ。」
ふんふんと集中しながらペンを走らせていた旭の邪魔をしてきたのは、柴崎だ。
「柴崎サンのおごりなら喜んで。」
「一皿350円の店があるからそこな。」
「逆に言わないでほしかったなそこは!」
後輩のよしみか、こうして新しい職場に慣れない旭を、何かと気にかけてくれる柴崎の気遣いはなんだかくすぐったいような気がした。
がしりと肩に回された男らしい腕に文句を言いつつ、こんなカジュアルなやり取りでも息抜きになっているのは、自分が一番わかっているのだ。
予算通りとはいかないものの、修正の利く範囲で売り上げを伸ばせた一日だった。早番だからと、いつもは洋次と二人で手分けしてフォローする備品の補充や、売り場回復など、狭い中転がるようにして働いた。
平日の、客数が少ない夕方の時間帯。接客につく二人の上司が気持ちよく動けるようにと、旭なりの気配りでその日の業務をこなした。それなのに、
「旭はまだカジュアルな接客から抜け出せてないね。」
「すみません…」
フォローに回った結果、接客がフランクになりすぎたらしい。北川は困った顔で旭に言った。
「販売自体は3年やっていたんだよね?俺が旭に求めている期待は大きすぎているのかな?」
「いや、すみません、努力します…。」
自負はあった。販売員として努めていた3年で顧客もついていたし、なにより個人の売上だって悪くはなかった。しかし、そんな自尊心を高めてくれた職場環境も、変わってしまえば勝手も違う。
自分の接客スタイルを確立できていない今、一番出遅れているのは紛れも無い事実。だからこそ、旭は焦っていたのかもしれない。
「早番だから、早く帰りたい気持ちはわかるけどね。」
「そんなつもりで店頭立ってるつもりないです!」
悔しかった。旭は、この仕事が好きだからこそ、そんなことを言われたことが悔しかった。
「まぁいいや、明日もよろしく、お疲れ様。」
定時だからと一方的に切られたやり取りに、じくじくした気持ちが取れず、これから柴崎との飲み会なのに気分が盛り下がってしまった。
中身のない指導で時間がオーバーするのは頂けないが、自分に原因がある中で、こんなふうに仕方なく切り上げられるのはなんだか嫌だった。
「なんだかシケた面してんなー。」
五階にある従業員休憩室で待ち合わせた柴崎は、プカリと煙草の煙を吐き出しながらからからと笑う。
「揉まれてんな、旭。」
「…お疲れ様でございます。」
パイプ椅子に腰掛けてながら、先程のやり取りを思い出していた旭は、口から絞り出すような声で挨拶をする。
ふむ、と片眉を上げた柴崎が小さく笑うと、わさわさと頭を撫でてからかった。
「ちょ、っもおお!!」
「愚痴があるなら居酒屋できいてやる。いくぞ。」
「…ゴチソウサマデス。」
季節はぎりぎり秋だ。なんだか底冷えする気温に体を縮ませながら柴崎についていく。目的地は歓楽街近く、薄暗い雑居ビルの地下にある熱烈食堂という中華料理屋に案内された。
「ここのエビマヨが格別でさー」
「お綺麗な顔してこんな溜り場みたいな飲み屋にくるんですね。」
事実、中華であれど、立地柄か様々な人種が多い。もしかしたら近場の百貨店関係者がいるのではとびくびくする旭を尻目に、柴崎はというと慣れた手付きでタッチパネル式のメニュー画面を操作していた。
なんだかそれも様になっていて少しくやしい。
「俺だって一応お前より2年早く社会に出てるからな。酸いも甘いも経験済みよ。」
「柴崎さんが言うとなんかアダルティでやだな。」
「やらしいならまだしもアダルティって…。」
相変わらず変なとこでカタカナ使うよなー。と、水の中のビー玉のように透き通った綺麗な目を細めて、柴崎は笑った。
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