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第5話

         卒業してから風の噂で聞いたのは、目の前にいるかわいい後輩が夢を叶えたという話だった。 狭い業界だ。母校に足を運べば口の軽い進路指導担当から、そういえば旭君が今年度卒業生の中で唯一デザイナーになったのよ。と教えられたのだ。 だからこそ、勤め先である百貨店に新しくオープンするキャストの顔合わせ時に、その姿を見つけた時には、内心かなり動揺した。 お前は一体何をしているのか。と 卒業して以来、4年ぶりに会った旭は少し痩せていて、心なしか諦観のようなものを感じた。それでも、自分に気づいた際には形の良いアーモンド型の目を見開き、飼い主の帰りを迎えた犬のように全身で喜びを表現した。 汗をかいた旭のグラスがカランと涼しい音を立てる。飲めないわけじゃないけど、飲まないようにしている。なんで?と、突っ込んだことを聞くには、まだ早いだろうか。 それを理由に、見た目だけでもアルコールに見えるようにと、得意でない炭酸系にしたのは、先輩を立てる為の気遣いだろう。 あいつは昔から、自分のことはズボラなくせに、こういう些細な気遣いは出来る男だった。 柴崎には聞きたいことがたくさんあった。でも人を思いやる言動が苦手だから、何から口にしていいかわからない。 先輩、確かレバニラ好きでしたよね。と、モゴモゴしているうちに、いつ頼んだのか柴崎の好物でテーブルが埋まっていく。 「お前の好きなもん、注文しろよ…。」 「頂いてます。麻婆豆腐!」 メニューの中で、量のあるそれはシェアして食べる専用だ。 知らない間に、自分を押さえるようになった後輩は、無意識に気を使う。何だかそれが歯痒い。 ちらりと見やると、辛さからか赤く色づいた唇が目に毒だった。 「ドリンク全然へってねぇけど、なんか頼むか?」 邪な思考を取り消すかのように、氷が溶けて薄くなったドリンクの交換をすすめると、今更気づいたのか、ああ。と声を漏らす。ほらまたこうやって自分のことは後回しにしてと、柴崎がメニューを手に取ると、気にしないでくださいと止められた。 先輩に気を使われてるとでも思ったのか、苦笑いを見せる旭に、そんな顔をさせたいわけじゃないんだ…と、柴崎は自分の空回り具合に辟易した。 「これはこれで、悪くないですよ。」 なにが、とは聞けなかった。 視線をさまよわせた後、「実は、今日…、」と意を決したように口を開くが、その先は言いあぐねているようだった。 「お前が何事にもまっすぐなのはわかってるぞ。」 「先輩?」 「まぁ、これはさすがに超えられねーわってなったら、言え。」 見開かれた目に、零れ落ちるんじゃないか、と変な心配をした。 「ずるいなぁ…。」 追加注文した麻婆豆腐の辛さにやられたのか、鼻の頭を押さえるように言う。 「そんなに辛いのか?」 「そうですね。でも、いけます。」 こいつは泣くのもこじつけが必要なのか、 そのいけますが、旭自身を追い詰めていることになぜ気づかないのか。 「………、」 気づいたら、目の前の小さな頭にポンと手を置いていた。触れた旭の毛並みは少し固い。それでもなんだか離し辛くて、ゆるゆると撫でてしまう。 小動物を撫でるような、そんなへっぴり腰な力加減で、 「…25にもなって頭を撫でられると、なんか変な感じ。」 ずびっ。という間の抜けた音がやけに耳に残る。 「いい、顔上げんな。」 なにやってんだ、俺は。 柴崎は旭のそんな様子に何だかやるせなくなって、思わず厄払いをするように、めちゃくちゃに撫でまわしてやった。俺だって完全に無意識だわボケ。と人の頭なんか撫でたのお前位だなんて事実は気恥ずかしいから言わないが。 いい加減にしてください!と手を外されたが、柴崎は悔しそうな顔をする旭を見ることができて満足だった。耳が赤かったのは、決して見間違いではないだろう。 酔っ払いが騒がしい、こんな狭い丸テーブルの斜向かいに座りながら、お互い取り繕ったような空気が何とも心地よかった。 いつだったか、旭は柴崎の瞳を水の中の透き通ったビー玉のようにきらきらしていると、足りない語彙力を埋めるかのように褒めてくれた。 柴崎は涙で潤ませた旭のその瞳も、名も知らない黒い宝石のようで悪くないと思う。 こんなこと、口が裂けても言えねぇな。と、旭が注文した麻婆豆腐を横取りするかのように平らげる。 旭はそんな柴崎を見て目を丸くした後、「先輩、照れ隠しですか?」などと可愛げのないことをのたまった。

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