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第10話

「まーテキトーに座ってくれや。」 「クッションがおしゃれで笑える。」 この部屋はなんだかおもしろい。途中までこだわろうとして挫折したような、飽きっぽい柴崎の性格を如実に表している部屋だった。 壁紙は温かみのあるアイボリーなのに、カーテンは深みのあるダークグレー。今抱きしめたばかりのクッションはモロッカン柄のタッセル付きのクッションで、なんだかご婦人方がお茶会を開くサロンとかにおいてありそうな代物だ。 触ると冷たそうな透明なテーブルも、今座っているカーペットの春の若葉を連想させるような鮮やかなグリーンもすべたがちぐはぐだ。極めつけはビールを注がれたこのグラスである。 「…なんか見たことある。」 「あぁ、バカラな。」 柴崎がぽんと答える。余りに軽々しく言うものだから、旭は一瞬聞き逃しそうになった。 しかし百貨店で働いていれば誰もがわかる。バカみたいに高いそれ。 「バカラぁ!?あんたなんてもんに注いでんですか!!!」 「こういうもんは、お飾りじゃなく使ってやるのがいいんだ。」 「男気やべぇな…。」 俺はこれに歯ブラシ入れた事もあるぜと妙に胸はっていうが、そういうことではない。 「てか、なんでそんな大層なバカラグラスなんか持ってるんですか?」 「外商顧客と意気投合したらもらった。」 「信じられん…っ。」 あげる方もあげる方だが、普通こういうものはもらわないんじゃないのか、と思ったが。バカラグラスでビールを飲む経験だなんてなかなかできないので黙っておく。 飲み慣れているのであろう柴崎の様子が、なんだか大人でかっこ良くて恨めしかった。 なんとなしに、自分の分のグラスに注がれたビールをちらと見た後、半分抗議の視線を柴崎に送った。 「…俺、酒はちょっと飲めないんですけど。」 「飲めないんじゃなくて、飲みたくないんだろ?前にきいたっつの。」 にやりと悪い顔で笑う顔も様になるなぁ、と思うも納得はいかない。 「知ってて進めるだなんて性格悪いですよ!それにどうせ飲むなら飲みやすいチューハイとかがいい…。あ、」 「いいねぇ!言質とったからいきますぜ旭さん?」 はめられた!!! 心底信じられなくて、思わずグラスを持つ手とは逆の手がバカラグラスを落とさないように底に添えられる。ガシリと肩を組まれ、逃げ場をなくした旭の頬に押し付けられたのはよく冷えた桃の缶チューハイだ。 「策略家―!!ぜってぇのまねーからなこんなん!!」 「先輩の家に転がり込んでまで飲めないとかいうのか~?」 「あんためんどくさいな!!もう酔っぱらってんのか!?」 「いんや全く。」 柴崎があまりにもしつこく押し付けてくるので、しびれを切らした旭が無理やり押し返した時、事件は起こった。 ゴトン!と音を立て倒れたビール入りのバカラグラスが転がり、そのまま絨毯をよけ落ちたのだ。 「ひえええええええええ!!!!!」 あれまぁ、という間抜けな柴崎の声は旭の悲鳴でかき消された。 慌てて四つん這いのままワタワタと近づき、恭しく手に取ったバカラグラスは、お約束のように床に落ちた時の衝撃で飲み口の部分が僅かにかけていた。 「あーらま、絨毯の上じゃなかったし仕方ねーな。」 「べっ、弁償します!!おおお、同じの買ってきます…っ!!」 「なにやら廃盤品とか言ってたけど?」 「ひぇっ…」 高いグラスの存在を忘れて暴れた自分の落ち度だ。僅かにかけたそこに追い詰められ、冷や汗しかでてこないのに、柴崎は気にしてないと言わんばかりに平然としているその心理は一体どうなっているのか。もしかしたら旭が汲み取れないだけで内心怒りしかないのだろうか。 のんきにビールを飲んでいる様子が信じられず、もう何がどうしたらいいか自分では考えられなくなる。 「別に構いはしねーよ?」 「そっ、ういうわけには…っ。」 「顔に助けてくださいって書いてあんの見えんだけど。」 カタリと音を立ててテーブルにグラスが置かれた。 ちょっとおちつけ、と柴崎の大きな手で頬を掴まれる。 無理やり向き合わされた柴崎の澄んだ薄蒼の奥の瞳孔が、きゅっと狭まった気がした。

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