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第11話
「そんなに、償いたいの?お前は。」
指先に、濡れたフローリングの不快感を感じながら、ひくりと喉がなる。柴崎のまつ毛の長さが分かるほど、二人の距離は詰まっていた。
「お、」
「お?」
「俺が欠けさせてしまったので、」
笑えることに、旭の声は掠れていた。ああ、嘘だろ。俺はこの人を前に、緊張をしているのか。
ふわりと香る。呼気からはすこしだけアルコールの匂いがした。
「うん。」
首筋が痛い。柴崎は叱るでもなく、真っ直ぐに旭を見つめていた。
「だから新しくしない、と」
「ふうん。」
「ほっぺ、いたい…です。」
「旭さぁ、」
旭を捕えた武骨な指は、なだめるようにすべらかな肌を撫でる。
細められた柴崎の視線に息が詰まる、なんだこれは。一体どういう状況だ?
零したアルコールが、じわじわとフローリングを濡らした。カーペットを侵食していくそれと、張りつめた空気に、なんだか息苦しさを感じながら逃げ出したくなる。
柴崎の手は、旭が訴えてからなだめる様に撫でているだけだ。
いつでも抜け出せる。顔を横に向ければ簡単にはらえるのに、それができない。
は、と震える呼気を漏らす。柴崎に緊張が伝わってしまったのか、くすりと笑われた。
「助けてくださいって、言ってみ。」
「は、」
「そしたら、条件付きで許してやる。」
「じょうけん…」
舌っ足らずになったのは、唇に滑らされた指が遊ぶように触れてくるせいだ。
ふにふにと下唇を優しく撫でるかさつく指に、痛くもないのにじく、と口端からなぞるように柔らかな熱が灯る。
たすけてほしい、この空気から逃げたい。
背を預けるベットからも、なんだか答えを急かされているような気がした。
プシッと炭酸の抜ける音を立て、唇に押し付けられたそれからは、ほのかに桃の香りがする。
「あいにく注ぐグラスがねーから、このままな。」
「おさけ?」
「これ、飲んだら許してやる。」
にっこり。先程の雰囲気を打ち消すような顔して微笑む。無邪気を装っているが、やり口は腕白なヤクザだ。断るとなにかされるかもしれないと、なんとなしに思った。
「飲酒強要…。」
「バカラ」
「おいしくいただきます!!」
カシュリ、軽やかな炭酸の抜ける音に助けられた。
回らない思考で、不意にこれで本当に許してくれるのだろうかと思ってしまう。
何が楽しいんだかわからないが、目の前の美貌の男は面白そうにみつめてくる。
許してくれるなら背に腹は変えられない。一杯くらいじゃ酔わないので、柴崎が持っている缶チューハイに口をつけた。
「…っんく」
今度は落とさないようにと、チューハイを持つ柴崎の手ごと両手で持ち、コクリ。
自分で持とうとしたのに、このまま行けと無言の圧を感じ取ったのだ。
以外と手首が太いんだな、とか、手に根を張るように走る血管に指先が触れると、どくりと鼓動が早くなる。
ええい、いまいましい!となんてことないですよという風に装ってはいるものの、耳先をわずかに彩る体温の高さは、おそらく旭の手から明朗に柴崎に伝えている。
しゅわり、と微炭酸なそれを久々に喉で感じ、その擽ったさに目を細めた。
優しく、飲みやすいようにと傾けてくれる手に甘え、そのまま味わう。飲みきれない分が顎先を滑ったとき、かちりと前歯が淵にあたった。
アルミの淵に伝う甘い雫に引き寄せられるように、赤い舌がそれを掬う。
淵と舌が唾液の糸で繋がって、一息つこうと甘い吐息を漏らしたときだった。
ごくり、と自分では無い喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
「も、休憩…」
「あくまめ」
いまなんて?聞き取れない柴崎の声を追うように顔を揚げた。
視界が暗くなる。微かに鼻先が触れる感触に、キョトンとしたのもつかの間で、瞬きの合間には既に唇が重なっていた。
*
部屋の温度は冷えてないのに、際立って感じる柴崎の濡れた唇は、まるで隙間を許さないと主張するように押し付けられていた。
「ンん…っ」
「口開けろ。」
下唇を甘噛みされては啄まれ、誘導されるように薄く開いたそこを褒める様に、優しく舌で撫でられる。
流されるとはこういうことなのか。とか、これが噂に聞く酔った勢いか。とか、色々考えてみたけれど、旭は一杯じゃ酔わないし、なにより男に口づけをされているのに嫌悪感は見当たらなかった。
なんだこれは。とは思ったけれど、部屋に響く水音や、ジワリと上がる体温。耳朶をくすぐる指先になんだか身を任せたくなって、はたりとまぶたを閉じた。
なんだかふわふわして、あったかい。頭はボーっとしているし、さっきから愛でる様にすり寄ってくる甘い唇に、先ほどまで考えていたことを奪われる。
目をつむれば武骨な指先がよしよしと頭を撫でてくれるし、薄眼で見つめた柴崎の瞳は旭が大好きな色をしている。
頭の中がメルヘンなことになっているに違いない。そのくらい、いまは夢心地だった。
くすぐるように撫でられた旭の薄い舌は、小さくなって震えているけど、この行為は気持ちがいい。
「息継ぎ、ほら」
「んは、ひ…」
「ん、」
「ぁ、く」
はふはふ、こくり
二人の混ざりあった桃味のそれは、さらりと優しく喉を撫でた。なんだかその感覚にズクリと腰を刺激され、ぱちりと瞬きをした。
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