11 / 34

第11話

「そんなに、償いたいの?お前は。」 指先に、濡れたフローリングの不快感を感じながら、ひくりと喉がなる。柴崎のまつ毛の長さが分かるほど、二人の距離は詰まっていた。 「お、」 「お?」 「俺が欠けさせてしまったので、」 笑えることに、旭の声は掠れていた。ああ、嘘だろ。俺はこの人を前に、緊張をしているのか。 ふわりと香る。呼気からはすこしだけアルコールの匂いがした。 「うん。」 首筋が痛い。柴崎は叱るでもなく、真っ直ぐに旭を見つめていた。 「だから新しくしない、と」 「ふうん。」 「ほっぺ、いたい…です。」 「旭さぁ、」 旭を捕えた武骨な指は、なだめるようにすべらかな肌を撫でる。 細められた柴崎の視線に息が詰まる、なんだこれは。一体どういう状況だ? 零したアルコールが、じわじわとフローリングを濡らした。カーペットを侵食していくそれと、張りつめた空気に、なんだか息苦しさを感じながら逃げ出したくなる。 柴崎の手は、旭が訴えてからなだめる様に撫でているだけだ。 いつでも抜け出せる。顔を横に向ければ簡単にはらえるのに、それができない。 は、と震える呼気を漏らす。柴崎に緊張が伝わってしまったのか、くすりと笑われた。 「助けてくださいって、言ってみ。」 「は、」 「そしたら、条件付きで許してやる。」 「じょうけん…」 舌っ足らずになったのは、唇に滑らされた指が遊ぶように触れてくるせいだ。 ふにふにと下唇を優しく撫でるかさつく指に、痛くもないのにじく、と口端からなぞるように柔らかな熱が灯る。 たすけてほしい、この空気から逃げたい。 背を預けるベットからも、なんだか答えを急かされているような気がした。 プシッと炭酸の抜ける音を立て、唇に押し付けられたそれからは、ほのかに桃の香りがする。 「あいにく注ぐグラスがねーから、このままな。」 「おさけ?」 「これ、飲んだら許してやる。」 にっこり。先程の雰囲気を打ち消すような顔して微笑む。無邪気を装っているが、やり口は腕白なヤクザだ。断るとなにかされるかもしれないと、なんとなしに思った。 「飲酒強要…。」 「バカラ」 「おいしくいただきます!!」 カシュリ、軽やかな炭酸の抜ける音に助けられた。 回らない思考で、不意にこれで本当に許してくれるのだろうかと思ってしまう。 何が楽しいんだかわからないが、目の前の美貌の男は面白そうにみつめてくる。 許してくれるなら背に腹は変えられない。一杯くらいじゃ酔わないので、柴崎が持っている缶チューハイに口をつけた。 「…っんく」 今度は落とさないようにと、チューハイを持つ柴崎の手ごと両手で持ち、コクリ。 自分で持とうとしたのに、このまま行けと無言の圧を感じ取ったのだ。 以外と手首が太いんだな、とか、手に根を張るように走る血管に指先が触れると、どくりと鼓動が早くなる。 ええい、いまいましい!となんてことないですよという風に装ってはいるものの、耳先をわずかに彩る体温の高さは、おそらく旭の手から明朗に柴崎に伝えている。 しゅわり、と微炭酸なそれを久々に喉で感じ、その擽ったさに目を細めた。 優しく、飲みやすいようにと傾けてくれる手に甘え、そのまま味わう。飲みきれない分が顎先を滑ったとき、かちりと前歯が淵にあたった。 アルミの淵に伝う甘い雫に引き寄せられるように、赤い舌がそれを掬う。 淵と舌が唾液の糸で繋がって、一息つこうと甘い吐息を漏らしたときだった。 ごくり、と自分では無い喉を鳴らす音が聞こえた気がした。 「も、休憩…」 「あくまめ」 いまなんて?聞き取れない柴崎の声を追うように顔を揚げた。 視界が暗くなる。微かに鼻先が触れる感触に、キョトンとしたのもつかの間で、瞬きの合間には既に唇が重なっていた。             * 部屋の温度は冷えてないのに、際立って感じる柴崎の濡れた唇は、まるで隙間を許さないと主張するように押し付けられていた。 「ンん…っ」 「口開けろ。」 下唇を甘噛みされては啄まれ、誘導されるように薄く開いたそこを褒める様に、優しく舌で撫でられる。 流されるとはこういうことなのか。とか、これが噂に聞く酔った勢いか。とか、色々考えてみたけれど、旭は一杯じゃ酔わないし、なにより男に口づけをされているのに嫌悪感は見当たらなかった。 なんだこれは。とは思ったけれど、部屋に響く水音や、ジワリと上がる体温。耳朶をくすぐる指先になんだか身を任せたくなって、はたりとまぶたを閉じた。 なんだかふわふわして、あったかい。頭はボーっとしているし、さっきから愛でる様にすり寄ってくる甘い唇に、先ほどまで考えていたことを奪われる。 目をつむれば武骨な指先がよしよしと頭を撫でてくれるし、薄眼で見つめた柴崎の瞳は旭が大好きな色をしている。 頭の中がメルヘンなことになっているに違いない。そのくらい、いまは夢心地だった。 くすぐるように撫でられた旭の薄い舌は、小さくなって震えているけど、この行為は気持ちがいい。 「息継ぎ、ほら」 「んは、ひ…」 「ん、」 「ぁ、く」 はふはふ、こくり 二人の混ざりあった桃味のそれは、さらりと優しく喉を撫でた。なんだかその感覚にズクリと腰を刺激され、ぱちりと瞬きをした。

ともだちにシェアしよう!