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第22話
「なんかイライラしてっからよー、てっきり女のおぉぉおぅ…ぐっ」
「最低。」
女の子の日、とは続かなかった。
柴崎のしょうもない言い草にいち早く反応し、隣にいた無防備な足をかかとで思い切り踏みつけたからだ。
気軽な様子に遊びに来た時点で、なんだかもやもやと何とも言えない気持ちが取り巻いていたが、これは完全にアウトだ。
何がいけないではない、こいつには俺に対しての心遣いがないのだと今知った。せっかく色々考えたりしてたのに、本人がこれでは締まらない。
旭は呆れた視線で痛みをこらえている柴崎の横顔をみやった。タイミングよく通路を通ったお客様に微笑みながら挨拶はしているものの、ジャケットの裾をシワになるくらい握り締める程には効いたようだ。まあ、お見送り後には結局しゃがみこんでしまったが。
「あれ、柴崎さんがいる。」
「お帰りなさいませ。」
「たでーま、ねえなんで蹲ってんのこの人。」
「ウンコ我慢してんじゃないですか。」
休憩から戻ってきた北川にぽかんとされるも、さすがの店長である。察したらしい、うちの子苛めるから噛まれるんですよー?とたしなめていた。
「あぁ、今のはわりとえぐかった…。と、」
ふぅ、と痛みをなんとかやり過ごしたのか立ち上がると、まるで見計らったかのようにピリリリ、と電子的な音を立てながら柴崎のピッチが着信を告げる。
「柴崎です。」
先ほどのやり取りが薄れる程、耳心地良い明朗な声で連絡事項を告げ、やり取りをしながら出ていく。去り際にちらりと目線をやり、低い位置で空を撫でるかのように挨拶をするのを見て、思わず唇を真一文字に結んでしまった。
「ずるい。」
何でそんなかっこいいことすんの。
さっきあんな情けなかったくせに!
旭の心の叫びは顔に出ていたらしい。北川がぼそりと呟く。
「柴崎さんってくそほどモテるらしいぞ。」
「あんなこと、遊んでなきゃできないっすよ。」
ただでさえ、あの容姿である。専門の時も年上の女性と付き合ったり、どこぞのモデルと腕くんで歩いてた、など。極めつけは外国人女性とスポーツカーで去っていく姿など、ともかく格の違う恋愛で浮名を流していたのは知っていた。
そしてエセ柴崎などという彼に憧れて見た目から入る男信者がいた事にもはや笑うしかない。彼等は結局柴崎と比べられて儚く散っていったが。
「イケメンで、仕事が出来て、高身長で有望株。」
「何が言いたいんですか。」
「柴崎さんが好きになる子はどんな子なのかなって。」
北川の問いかけが耳を通り抜けた時、頭で回答を考えるよりも早く、ポロリと答えが出た。
「職場恋愛とかは絶対にしなさそうな感じ。」
「あー、たしかにな。」
学生時代付き合ってた女性の特徴でも答えるのが普通だったのではないか、とか後から思ったが、まるで自分に言い聞かせるように無意識に口をついて出た答えがしっくりきすぎていて、驚いた。なんだこれ、地味に傷つく。
自分で出した答えはそのまま願望になっている気がして、居心地が悪い。なんだか消化しきれなくなってしまった感情に振り回されたかのように、今日の個人売りはあまり良くなかった。
旭は後悔していた。なんで今日は我慢できなかったんだろうと。
「いつになったら答えてくれる?」
「その気はねぇっつの。」
仕事終わり、疲れた体を糖分で癒したくて新作のフラペチーノに吸い寄せられ、入店したことがきっかけだった。
ぼんやりと霜がかった自動ドアが開き、活気ある店内には到底不釣合いな不穏さを残す男女のやり取りが聞こえてきた。
なんだか聞き覚えのある声だった。まさかそんな、とは思ったけれど、ここのカフェは努めている百貨店からもほど近く、彼もたまに利用すると言っていた。
やだな、と思った。見なきゃいいのにと自分の思いとは裏腹な行動に辟易する。恐る恐る見上げると、二つ前にいる男の尻ポケットから、年季の入ったピンクのウサギが揺れており、ますます嫌な予感は確信に変わる。
背を向けている男はなんだか気だるげで、しどけなくもたれてくる連れの女性に対して辟易している様子であった。
この声のトーンは聞き間違えることはない。柴崎だ。隣にいる女性は、忘年会の時の…、と考えが及ぶ。
視界に入ったプライベート場面に目が離せない。悪いことをしているつもりはないのにどんどん体温は冷えていき、自分が急に狭い空間に閉じ込められたかのように身を縮こまらせた。
その人に触らないでと、自分が女性なら言えたのだろうか。
喉に張り付く不快感はそのまませり上がり、呼吸がし辛い。なんだこれ、いやだ、やめてほしい、こんなふうに…俺だって、
その時、どこからかシンプルな着信音が鳴った。はっと思考の海から無理やり引き上げられた旭は、視界に写る二人を振り切るように列から外れようとした。
だが自分は毎回間が悪いという事をすっかり失念していた。
旭が列から出て入口に戻ろうとしたとき、スマホを耳に当てた柴崎が後ろに振り向いたのだ。
カチリ、と音を立てるように目が合うと、そのまま逃げるようにカフェを後にした。
後ろで柴崎が何かを言っていたような気もするが、今回ばかりは逃げたかった。
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