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第24話
結局自分は逃げるしかないのだと自覚した。
「っ、」
ひくりと喉が鳴る。
何気なさを装て店を出た。人混みを避けるように突き進む。
次第に冷たい風が追い込むかのように、気が付いたら走っていた。
白い呼気が頬を乾かす。とにかく、この場から離れたかった。
旭は、先程の光景を思い出していた。
なにも後ろめたい事なんて無いはずなのに、目があったら、途端にもう駄目だった。
柴崎の気持ちは知らない、もしかしたらという期待はだけは心の内側に、ちいさく種火として燻っていたけれど。
ああして、自分では見たこともないような顔で、声で、綺麗な女性とやり取りをしていた姿をみた時、そこに並ぶ姿が正しいのだとすぐに認識した。
あの人には、素をみせるのか。なんて思ったとき、自分が嫉妬していることに気が付いた。
あの一瞬、目があったあの時、俺を捕えて変わる表情をうれしいと思ってしまうなんて。
綺麗だなんて思ってしまうなんて。
急に後ろめたくなったのだ。
俺、さっき何を言いかけた?と。
なんで?と、一言口から零れそうになった。
なんで?は俺のセリフなんかじゃない。イレギュラーは俺自身だった。
駅から少し外れるだけで、ここは静かな住宅地になる。その中のだだっ広い公園は、旭が学生時代に柴崎とよく来た思い出の地だ。
走り出してからは足が止まらずまっすぐにここに来てしまった。
泣き顔で電車に乗るのも嫌で、落ち着くまでボーっとしていたいと思った時、真っ先に思い浮かんだのがここだった。
結局どれだけ振払おうとしても、あの人のことで頭いっぱいなんだなぁ、と少し笑った。
「さむ…。」
主に頬が冷たい。ぽろぽろ零れる思いは全く収まる気配はなく、悪戯に頬を冷やすばかりである。大きな木の下のベンチ。入口に背を向けたそこは、いい具合に死角になっている為、中さえ入ってこなければ不審者扱いにはされないはずだ。
軽くほこりを払い、腰を下ろしたベンチの下を枯葉が通り抜ける。風が少し強い。曇っていて月が見えない、そういえば一雨来るとか言ってたっけ。濡れるの嫌だなあ。
「でも、今は動きたくないなぁ。」
なんだかどうでもよくなって、とりあえず笑ってみた。困ったり、どうしようもなくなった時に出る癖だ。前の職場で気味が悪いとか言われたことを思い出し、成長の無さにまた笑う。
でもここには誰もいない。情けなく泣く大人の男しかいない。
自分以外いないなら、言ってもいいだろうか。
震える指先で乾いた唇に触れる。
あの夜に柴崎と恋人のような口付けをした。
今は乾いてカサカサになっている。
「すき」
頑張って口にした。そのすべての思いをぎゅっと詰めた。そんな二文字。
それでもとにかく縋りたかった。やっと吐き出したその二文字に縋りたかった。
今まで言いたいことをずっと我慢してきた旭は、初めて自分の隠してきた気持ちを口にしたのだ。
相手はいない、誰も聞いていなかった。それでもいい、言えたのだ。
たとえ、ぽたぽたと気持ちが融解し、地面に染みをつくったとしても。
もう顔はあげられない。ぐちゃぐちゃだ、全部。
好きだと自覚した。だから気持ちを確かめたかった。
けれど飄々とした柴崎を見て、あの夜の事が彼の中で終わっているのだろうと思った。だから、旭はいい後輩でいる為に諦めた。
諦めたはずたった。
「嫌だな、なんて。」
駄目だろ絶対。この気持ちは普通じゃない。
普通じゃないから背けなきゃ。
「いやだぁ、」
泣き言、駄々っ子。可哀想な旭が芽吹く。
一度言葉にすると、もう駄目だった。
「なんでこんな風になっちゃうの。」
おれ、また逃げてる。嫌だななんて。なんでこんな感じになっちゃうんだろ。寒くて、疲れて、ご褒美代わりに飲みたかった新作のフラペも飲めなかったし、手袋忘れたから手も悴むし、なのに胸焼けしたみたいに心臓の周りがぐるぐるひり付く。
いっつも不器用で、こんな感じ。自覚してるのに治らない。
あぁ、ちゃんと柴崎さんにごめんねって言えてない。
疲れ果てて座ったベンチを拳で叩いたら、抗議するようにギシリと音が立つ。
冷えて痺れるつま先からは、もう動きたくないと主張するようにじんじんとした痛みを放つ。
お得意のネガティブが優しく慰めてくれるはずもなく、必死で深呼吸をして、胸の中の澱みを吐き出した。
柴崎さんなんかきらいだ。俺をこんなふうにするあんたなんか。
ほら、言ってしまえ。そうなるように。
「柴崎さんなんか、きらいだ。」
喉が詰まるような感覚を軽くしたくて吐き出した言葉は、一人のせいか思ったより耳に響いた。
なんだか余計泣きたくなる。
昔からそうだった。欲しいものがあっても、一歩引いたところからでしか見れない。へたっぴな笑顔を張り付けて、必死で周りに溶け込もうとするたびに、なんか変。と言われて仲間外れにされる。それが嫌で、足りない頭で考えたりもした。
考えた結果、仲間外れにされないように、自分が欲しかったものでも、いらないと言って受け渡すことにした。向こうが気を使わないように、自分には必要ないからと演技をして。だからその代り、傍にいて。一人にしないでと。これが一番当たり障りない。
人のものは取ってはいけない、旭が求めたことで、周りが不快になるならば、それは最初から旭のものではないのだ。
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