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第25話
「う、…」
言い聞かせれば言い聞かせるほど自分が惨めになっていく。
口にして後悔する。この恋は簡単じゃない。
いつも消えたくなるタイミングで現れ、励ましてくれた。
雑に見えるような扱いも、心地よいと感じるくらい楽しい時間だった。
ひとつひとつ記憶を追う。消しゴムで消せたら楽なのに。指先がかじかむ。この小さく震える手は、寒さだけじゃないだろう。
言え、これで最後だ。決着をつけるのだ。
かすれた声で終わりにしようとした言葉は、大きな手で遮られた。
「言うんじゃない。」
「ひ、」
少しの衣擦れの音の後、旭が絶対に間違えない、大好きな声と共に強く抱きすくめられる。
どれだけ走ったのか、その体は冷え切っていた。触れ合っている部分がじわじわと熱を持つのは、気のせいだろうか。
なんで、や、どうして。と思考が入り乱れる。
こんなとこにいるべきじゃないのに、あの人はどうしたの?
そんなことを言えるほど、旭は余裕を持てなかった。
背中が熱い。寒くない。鼻腔をくすぐる柴崎の安心する香りが、なによりも容赦なく涙腺を叩く。
「俺がいらないとか、いうな。」
息継ぎの合間に、絞り出すように言われた。
「いやだ。」
口を塞ぐ大きな手が好きだ。旭の顔を殆ど隠せる程、節ばった男らしい手。
旭が握ることのできないこの手を、腕を、この人は簡単に差し出してくれる。
ぶわりと、涙が溢れた。大きな手にあたる旭の呼気は、熱く震えている。
柴崎はただ抱きしめる腕を強めた。まるで外の寒さから守るように、ぎゅう、と強く抱きすくめた。
「いじっぱり。」
「うるせぇ」
「おまえがうるせえ。」
「も、はなせ…っ」
本当に、この人は酷い。なんでいつも俺がダサい時に来るの。
触れ合った背中は温かいのに、震えが止まらない。逃げたくて仕方ない。こんな状況想定外だ。だって、経験したことないから対処の仕方もわからない。だって、こんなこと誰も教えてくれなかった。
欲しかった人が自分からくる、そんな状況なんて…
「理人。」
「や…っ、」
大好きな声が、耳朶をくすぐる。ずるい、なんで今名前を呼ぶの。
「呼ぶな、っいいの!!」
「よくない、なんで我慢する。」
「してない、」
「してる。」
「してないって、いってんだろ!!」
触れたくなくて、振り払った。このままだと本当に駄目になってしまう。遠いところで眺めるだけにしようって、決めた。さっき、そう決めたのに。
大事だったから離れたかった。なのにわかってくれない。この人にこんなかたくなな一面があるなんて、知りたくなかった。
「もう、ゆるしてよ…」
お願いだからこれ以上追い詰めないでくれ。
「お前が自分を騙すなよ!!」
柴崎が吠えた。
力任せに掴まれた肩が痛い。無理やり腕を引かれ、正面から見た柴崎は真剣な顔をしていた。
せっかく離れた距離も、柴崎が埋めてしまう。
これ以上大きい声は出さないでほしかった。
涙腺がまた緩む。小さい舌打ちの後、噛みつかれた唇から、柴崎の怒りが伝わった。
「ぃ、っ」
「痛いか?そりゃ痛いよな。」
泣きっ面に蜂とはこのことだな、なんて冗談を言っているが、全然目が笑っていない。
いやだ、なんで。俺は怒られるようなことしていない。こわい、
「こわい…っ」
「怒ってるからな。」
「も、や」
「うるせぇ。」
がぶり、大きく開けた口で、飲み込むように旭の唇に噛みついた。
上下関係をわからせるかのように貪るような口付け。やがて呼吸が落ち着いてきた頃を見計らって、慰めるように優しく唇を舐められた。
「ぁ、ふ」
唇が、熱い。上顎を優しく擦られるたび、飲みきれなかった唾液が口端から溢れる。
「もっと?」
「んぁ、」
「いいこ。」
ぼそりと囁かれた言葉に、無意識に先を求めるように唇を開く。体がじわじわとほどけていき、吐息が甘い。さっきまで不安定だった脆い心は、傷を舐めて治すかのような優しい口付けで少しづつ解れていく。
くちゅりと唾液を流し込んでやれば、コクリと飲み込んで喉を潤す。涙の幕で瞳がとろけてしまっている可愛い子を優しく抱きしめ、跨らせるようにして膝に座らせた。
「理人。」
「な、に。」
「俺のになって。」
「ふ、っ…」
時を止めたかのように固まって動かなくなった旭に、なんだかおもしろくなって首筋を甘噛みしてやれば、ひ、と可愛い声を上げ戻ってきた。
じわじわと意味を理解し始めたのか、また涙をこぼす。瞬きの合間にポロポロと落ちる雫は、旭の感情が
如実に現れ、柴崎の気持ちを熱くさせる。
腕の中の獲物は相変わらず先走る傾向にあり、いつも間が悪い。柴崎自身もたいがい歪んでいるので、自分で行き場をなくすその姿が愛おしいと思っているのだが。
白い首筋からうなじにかけて、暗がりでもわかるくらい甘く色づいたそこに鼻先を擦りつける。
吸い付くように唇で悪戯を繰り返してやれば、胸にそえられた手に僅かに力を込めて押し返してきた。
縋る様にゆっくり柴崎の服を握る。
言葉を塞ぐような熱い口付けの後、頭を撫でられつつ押し付けられた肩口に、旭の涙は吸い込まれていった。
柴崎は黙っていた。ただ、この不器用で放っておけない愛しい後輩が落ち着くまで、ずっと抱き竦めていた。
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