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第26話
お互いの体温がじわじわと触れ合った場所から侵食するように広がる。
不意に芽生えた疑問がするりと口をついて出た。
「…なんできたの」
「追いかけたから。」
さも当然かのようにけろりと言放つ。そうなんだけど、そういうことではない。相変わらず柴崎も柴崎で言葉足らずなところがあるが、わかってて言わないという部分もある為なおのこと面倒くさい性格なのである。
「なんで…」
涙腺は壊れてしまったのか、だぱだぱ涙をこぼす様子に、やれやれとため息をついた。
流石にここまで泣かれると、少しくらいはバツが悪く感じるようで、持ち上げるように旭の両頬を挟んでやれば、ぱちくりと濡れた目で見返してくる。可愛い。
「心配性、陰気、実は根暗。諦め癖があって若い癖に変に達観しすぎてる。何考えてるか全くわからんお前が好きだ。」
「信じらんね…8割、悪口かよ。」
目元を淡く染め眉間にしわを寄せる。安心すると口が悪くなる。人の顔色を見ている旭が、ここまでぶっきらぼうな物言いをするのが自分だけだと思うと気分がいい。
「もう一度言うか?」
「も、わかったからいい。」
「そりゃ重畳。」
あ、とこぼしたかと思えばガシリと音がしそうな勢いで逆に柴崎の顎を掴まれた。
さっきまでの微睡んだ様子から瞬時に切り替えるとは。なんだかよくわからないが、問いただすような目線に少しだけびくつく。
「柴崎さん彼女いますよね?」
「いませんけど。」
間髪入れずに答えると、一瞬ぽかんとした顔で見上げてくる。
大方勘違いをして先走ったのだろう、何とも形容しがたい表情で見つめてくる。
やめなさい顎掴んだまま固まるの。甘い時間が終わりを告げるのが早すぎだろう。
旭、前そーいうとこだぞ。柴崎の心の声は届いたようで、ようやく顎は解放される。
「カフェのは!?」
「あれ?無理無理ケバい。」
なんということ!!と、変な日本語で打ちひしがれたかと思えば、次第に顔を赤くしていき、目線をさまよわせる。居心地悪そうにもぞとぞと体を動かすので、悪戯に腰を突き上げてやれば大きく体をはねさせて涙目で睨みつけてくる。
なけなしのプライドか、無理やり隙間を作るかのように押し返してくる旭の背中を撫でてやれば、諦めたのか徐々に力を抜いてきた。
「柴崎さん、」
「なんだい理人。」
今一番悪い顔をしている自覚のある柴崎は、終始このやり取りにご機嫌である。顔面にでかでかと、やばい楽しい。と書いてあるに違いない。
あんたはいつもそうやって…、と言葉は続かなかった。
「俺、」
「うん。」
下を向く旭のつむじにキスをすればひくんと跳ねる薄い肩が愛おしい。同じ性別の割に、こんなに体格が違うのかと今更ながらに思う。胸板にそっと添えられた手には、もう力入っていなかった。
「好きでもいいんですか。」
泣きそうな、でも我慢をしているようななんともいえない顔をしながら見上げられる。
キュ、と結ばれた唇が美味しそうで、思わずべろりと舐めあげた。
「おう。」
そして、たった二文字の肯定にたっぷりの気持ちを込めて、ちゅっと口付けをした。
こんなの、初めて…なんて聞こえないくらいの声で、もごもごと照れる姿が非常に面白くて思わず噴き出した。
驚くくらい容貌が整っているのは、異国の血が混じっているからだと。柴崎が知らない他クラスの女が勝手に話題にあげるのにはもう慣れた。
話しかけてくることもない癖に、勝手に俺のことを作り上げ、あまつさえ視線が合えばそれだけで湧き上がる。
パンダか、俺は。ならば頼むからさっさとブームは去ってくれ。そう思うくらいには、柴崎にとっての学生生活は外野とは裏腹に心のうちでは荒んでいた。
「柴崎先輩って可哀想。」
美容とアパレルに特化したこの専門学校の課題発表会で、同じくモデルとして出席することになったこの後輩は、少し変わり者だった。
と、言うよりも空気を読まないやつなのか。
ショーの練習は本番さながらの通し練習にはいり、柴崎が出演するカプセルコレクションまではまだ余裕がある。その為気晴らしに一服をしに、中庭まで出ていたのだ。
連日のパンダ扱いがストレスに変わり溜まっていた為、話しかけるなというオーラを惜しげもなく出していてはずだった。
かわいそう、などと柴崎の状況を端的にまとめやがったこの後輩は、何かの犠牲になったのか、女物の服を纏っていた。その為、文句の一つでもいってやるつもりが呆気に取られてしまう。
「…俺よりお前の恰好のが可哀想なんだけど。」
「わかります?俺も可哀想なんです。」
だから可哀想同士仲良くしてください!と勝手に前に陣取られ、これからショー練の出番なんですよ。と忌々しそうに生成りのジョーゼットで作られたドレスを摘まんでいる。
言葉のキャッチボールってこんなに一方的だったっけ?と、なんだか不思議な生き物を見るような怪訝な目で観察すると、アーモンド形の瞳をぱちりと動かし、先輩、眉間にしわ寄せても様になるってずるいっすね。などとのたまった。
最初から自分のペースに持っていくのが妙にうまい奴、というのが目の前の後輩、旭理人の第一印象であった。
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