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 それは予想外の事態だった。そのマンションへ大神と香西が侵入したのは証拠を収集するためであって、監視対象の犯罪を暴くためではなかった。環境保全や地球愛をうたう団体が資金集めのために人身売買やドラッグ取引に手を染めているなど、ほとんどの人は考えないし、このときは〈スコレー〉も見逃していた。しかし見てしまったものは放置できない。 〈スコレー〉本部に緊急連絡を送ったあと、大神は香西と共に閉じ込められていた身元不明の男女を救出し、同時にめぼしい情報を漁った。協定で〈スコレー〉は犯罪を即時通報することになっている。しかし関係当局が到着したあとに〈スコレー〉が得られるものはほんのわずかだ。  罠にかかったのはその時だ。いや、罠ではなく注意散漫によるミスというべきか。机の奥に隠されていた小箱をたしかめようとしたとき、あやまってスプレーのボタンを押してしまったのだ。  噴射された気体を吸いこんだと気づいたが、すぐには何も起きなかった。少しあとでわかったのは、このドラッグが粘膜に吸収され、効果を及ぼしはじめるまでに十五分ほどかかるということだ。 「どうした?」  動きが不自然に止まったのに気づいて、香西がたずねる。大神は首をふった。痺れや吐き気はなく、視界も揺らがない。 「大丈夫だ。急ごう」  移動すること数分、車両めざして裏通りをいそぐ途中で異常に気づいた。運転席に乗りこんだのはいいが、シートベルトに手をかけたとたん、ふわっと体が舞うような、泳いでいるかのような感覚をおぼえた。 「大神?」  香西の声がエコーがかかったように耳に届した。視野がぐにゃりとゆがんでいく。だめだ、目をあけていられない。 「……香西。運転、変わってくれ……」  やっと声を出し、車のドアをあける。香西がすばやくやってくると大神の腕を引く。 「大丈夫か?」 「さっきの……スプレーだ」  聞いたとたんに相棒は後部座席へ大神を引きずった。中へ押し込んでドアを閉める。 「横になってろ。どんな系統かわかるか?」 「あそこにあったんだ。幻覚剤……セックスドラッグか……」 「アレルギーは?」 「こういうのは……経験がなくて……」  チッという、香西の唇から漏れた舌打ちの音が大神の視界で虹色の輝きをおびた。車が動きはじめたとき、大神の脳はこれまでみたことのない奇妙な世界に目覚めていた。幸福感と切迫感と、何かをしなければならないという焦燥が交互にやってくる。いつのまにか車は止まっていた。座席のドアがバタンと開く。 「休んでから戻ろう」  そういった香西のあとをついて歩きながら、大神はどうしてこんなに不自然な歩き方をしているのだろうかと思う。世界は奇妙な彩りに覆われて、ビジネスホテルの扉をあける香西の背中から視線が離せない。導かれるまま大神はツインベッドのひとつに倒れこむ。無意識のうちにはぁはぁと息をつき、これも無意識のうちにベルトをゆるめる。 「水」  ぼんやりした視界に冷たいペットボトルが差し出された。ボトルをつかもうとしたはずなのに、大神がつかんだのはボトルを差し出す相手の手首だった。猛烈な欲求が襲ってきたのはそのときだ。 「大神?」  横になったまま香西の手首を引こうとして――ハッとして力を抜く。整った細面の顔が怪訝な表情を浮かべて大神をみている。喉仏、首筋、ワイシャツに包まれた胸と腰に視線がいく。まずい。 「香西、離れろ」  どうにかそう答えたとき、相手の目に理解がひらめいた。 「媚薬か」  冷静な答えにカッと頬が熱くなった。大神は股間を隠すように横を向き、香西の視線を避けた。 「……こんな風に効くものかよ」  首のうしろに響く答えはさっきと同じく冷静だ。 「勃たない相手にも既成事実を作れるのさ」 「詳しいのか?」やぶれかぶれで大神はたずねた。 「どのくらいで醒める? 冷たいシャワーを浴びたら?」 「だめだ。心臓に負担がかかる。そのままでも数時間……長くても半日あれば醒める。それまで……」 「半日? 何をいってる……本部が黙ってない――」  本部は至急の報告を求めてくるはずだ。今この時も。きつい股間をどうにかしたいのに、香西がそばにいてはそれもできない。ちくしょう、こんな――  そう思ったとき、体の上に重みがのしかかる。 「香西?」 「静かに」  そのあと起きた出来事は、奇妙な夢でもみているようだった。  スラックスのフックが外され、床へとずれ落ちる。下着の中に押し込まれた香西の手――いつのまにかおのれの股のあいだにあった、淫靡な水音をたてる、唇……。  媚薬はいつもの大神にはありえないような持続をもたらした。生き物のようにうごめき、吸い上げる舌に追い上げられて、一度精を吐きだしてもおさまらない。二度目を求めて腰を突き出しても、彼のバディは拒まなかった。眉をよせたまま目を閉じてすぼめた唇を動かしている。大神の中にこれまで想像もしなかった衝動がわきあがる。この髪をつかみ、ねじ伏せて、快感や苦痛にあえぐさまがみたい。  いや、俺はほんとうに、これまで想像もしなかったのか……?  二度目に達したとき大神は小さく声をあげていた。放出する快楽のなかぼうっとしていると、水が流れる音が響く。前髪を濡らした香西がユニットバスから出てきて、顎をしゃくる。 「動けそうか?」  何も起きなかったかのような、あっさりした響きだった。 「ああ……」  大神はスラックスをひっぱりあげ、香西と入れ替わりにユニットバスへ入った。身じまいをして出ると、香西はスマートフォンで本部と話しているところだった。 「はい、すぐに戻ります。トラブルなしです」  本部に戻った後、香西が書いたレポートにも、大神が提出した書類にも、この一件は残らなかった。だからといって忘れたわけではなかった。変わりなくバディとして接していても、いつのまにか意識する自分を止められない。  香西遠夜が「目的のために極端な手段もためらわない」ことで一部の関係者に知られていると大神が悟ったのは、それからまもなくのことだ。「極端な手段」に何が含まれるのかについても。

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