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第3話
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『死んだ父親と所縁の者』とは、ずいぶん遠回しで都合のいい説明だ。もっとストレートに言えば、こういうことになるだろう。
――父親の死に責任の一端がある。
4年前、年明け間もない1月半ば、まだ夜も明けきらぬ早朝、閑静な住宅街に響き渡った不穏な銃声が、すべての事の始まりだった。
愛人のマンションから出て来た指定暴力団大利根会の副会長を狙った2発の銃弾。そのうち一発は見事標的の左肺を貫通したが、逸れたもう1発がたまたま通りかかった一般人の頭蓋にめり込んだのだ。
藤代実、57歳。近隣の高峰ハレルヤ教会の牧師で、藤代恵の父だ。遠方の教会に応援説教に行くため早朝家を出て、運悪く暴力団抗争の巻き添えを食った形だった。
目的を遂げ、その場で自らのこめかみを撃ち抜き果てた加害者は、大利根会と対立する笹山組の末端構成員で、黒河の舎弟だった。組長の親分筋の身内とかで無理矢理預けられたその鉄砲玉は、頭に血が上ると感情を抑制できない野獣で、悪い意味で期待どおり、地雷を踏んでくれたのだ。
たった一人のハネッ返りの独断専行が笹山組長の努力を無にし、ぎりぎりで抑えてきた大利根会との全面戦争の口火を切ってくれた。
当時黒河は28歳の若さにして、笹山組の若頭を務めていた。殺るか殺られるかの土壇場で発揮される豪胆さと冷静な判断力、持ち前の格闘センスとカリスマ性であっという間に地位を登りつめた黒河は、任侠道を重んじる武闘派ヤクザにしては珍しく、儲ける事にかけても研ぎ澄まされた生来の勘を持っていた。
極道の世界も一般社会と同じだ。どれだけ金を生み出せるかで、その力関係が決まってくる。有能な企業舎弟を見出し育て、潤沢な利益を生み出させ組の資金として供出する黒河は、組員の誰もが認める立派な跡取りだった。弱小だった笹山組を地区のナンバー3にまで押し上げたのは、まさしく黒河の手腕によった。
黒河としては別に、望んで入った裏社会ではない。捨て子の自分を引き取って実の息子同然に育ててくれた恩人の男が、たまたま極道の組長だったというだけの話だ。
大利根会副会長襲撃事件の後、返しきれない義理のあるその笹山組長が、何年か臭い飯を食ってきてくれと黒河に頭を下げた。自分の右腕であり組のドル箱の黒河を、『別荘』にしばらく閉じ込めることで、大利根会側の怒りを鎮め、襲撃の件を手打ちとするためだった。
隙を見せない黒河を引っ張りたくてウズウズしていた警察に、違法カジノ経営容疑で自ら捕まり、余罪もほじくられ3年の懲役刑を言い渡された。しかしその『痛み分け』によって、相手会との大戦争はなんとか回避されるはずだった。
しかし事情は、黒河が服役している間に一変した。いったんは穏便に手打ちになったかに見えた両者の抗争は水面下で激化し、ついに暴発するに至ったのだ。
全面抗争へと雪崩れ込めば、総力で劣る笹山組に勝ち目はない。特に組の要である黒河を欠いた状態では、勝負はあまりにも呆気なくついた。
父親代わりだった笹山組長が敵のヒットマンに撃たれ亡くなり、組が崩壊していく様を、黒河は刑務所の中からなすすべもなく、ただ見ていることしかできなかった。
弱肉強食がこの世界の掟だ。油断した者はすぐに足をすくわれる。どこに罠が張り巡らされているかわからない。
結局その抗争で弱体化した大利根会も、両者の戦争を横目で見ながら機を窺っていた5代目鴨川組に吸収されてしまう。元々笹山組のものだったシマもすべて鴨川組に取り上げられ、敵だった大利根会も実質的には崩壊状態に追いやられた。
すべてが終わり、無になってから、黒河の刑期は終わった。
3年ぶりに塀の外に出てみれば、身の置き所はどこにもなくなっていた。組長は死に、組員も散り散りの状態で行方がわからず、黒河の手元には膨大な隠し金だけが残った。
自分が生きていた世界が呆気なく崩壊したことを実感しても、不思議なほど何の感慨も湧かなかった。ただ諦めだけが、乾いた胸を支配した。どんなに上り調子のときでも、いつかはこんな日が来るだろうと、どこかで覚悟していたからかもしれない。
3年前までは、他組織との付き合いや組内の人事、資金運営などで目が回るほど忙しかった日々が嘘のように、黒河は時間を持て余した。久しぶりのシャバだというのに、したいこともなければ会いたい人間もいなかった。組長の仇を討とうにも敵がすでにいないのでは、怒りも悲しみもぶつけ所がなかった。
空白だった。いっそ服役などせず先頭に立って戦争に加わり、その場で命を散らした方がいくらかましだったかもしれない。
何もせず、ただ生きている。
そんな日々の中でふと思い出したのが、抗争事件の巻き添えを食って死んだ一般人の葬儀で、出会った青年のことだ。
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