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第7話
すっかり日が落ちた真冬の夜、広場の中央に照らし出されるテントと人の群れが見えた。
テントの下では10人以上の人間が忙しく立ち働いている。設置されたガス台には直径1メートルはありそうな大きな鍋がかけられ、若い男が2人がかりでかき回している。どうやら美味そうな匂いはそこからしているらしい。
そして鍋の前に列を作るのは、それこそ種々雑多な身なりの人々だ。ただ、彼らには一つだけ共通点があった。皆生気のない疲れ果てた顔をしているということだ。
「恵さんだ!」
「お疲れ様です!」
近付いていく2人の姿を認め、テント下で働いていた若者達が手を止め、そこここから親しみを込めた挨拶がかけられる。恵と同じ天使の羽根の描かれたジャケットを着込み、キラキラと澄んだ瞳を輝かせている青年達だ。
そして一斉に恵に向けられたその全員の眼差しは、畏敬やら憧れやらの交じった純粋な好意に溢れていた。
その、まるでファンクラブみたいな連中一人一人に丁寧に挨拶を返してから、恵は黒河を振り向いた。
「炊き出しボランティアに参加させてもらってるんです。白いジャケットの彼らは教会の青年会の人達。紺のジャケットは、ボランティアを主催されているNPOの方々です」
その説明にザッとテントの中を見渡すと、確かにジャケットには2種類あるようだ。全員十代から三十代の若者ばかりで、男女比は3対2くらいだった。
「皆さん、こちらは僕の友人の黒河壮司さんです。どうぞよろしく」
集まる興味津々の視線に応え、恵が黒河を前に押し出した。
『友人』という紹介に反論する間もなく注目の的にされ、黒河はこんな所までついてきてしまった自分の好奇心を恨んだ。
男らしい美貌と有無を言わさぬ存在感で、常に視線を向けられることに慣れている黒河も、邪念のないいくつもの澄んだ瞳にまっすぐ見つめられると、さすがにいたたまれなさを感じる。
一見すると普通の若者達なのに、目の前の彼らはどこかが違う。純粋培養というか、すれていない感じが眼差しから伝わってくる。少なくとも、これまで黒河が関わってこなかった人種には違いない。
「夕食がまだというお話だったので、ディナーにご招待しました」
恵の冗談にドッと場が受け、微妙な緊張感がほぐれた。笑えず渋面で立ち尽くしている黒河に、四方から親しみを込めた声がかけられる。
「黒河さん、こっちどうぞ」
「テーブルありますから」
「三ツ星とまではいかないですが、味はバッチリですよ」
「いや、俺は……」
断りの言葉を口にする間もなく、数人に腕を取られ引っ張っていかれてしまう。
困り果てて恵に助けを求めるが、振り返って見た相手は、なんと吹き出しそうな顔で口元に手を当て見物している。どうやら黒河の狼狽ぶりが面白いらしい。
やられた。完全にからかわれている。
内心で舌打ちする黒河の、眉間の皺はさらに深くなった。
「黒河さん、僕は自分の仕事に入りますから、ゆっくりしていってくださいね」
恵は黒河に助け船を出すどころか軽く片手を上げ、天使の羽根をひらめかせながら厨房の手伝いへと行ってしまった。
聖らかな目をした若者と後に残され、居心地の悪さは最高潮に達したが、ここまで来ては帰れない。どうにでもなれと黒河も覚悟を決める。
こちらにどうぞ」と、パイプ椅子を勧めてくれた青年が、
「俺、三原克幸って言います。青年会の副会長してます」
と、自己紹介をした。
印象の薄い平凡な容姿の青年だが、笑顔がとても感じがいい。いかにもただ者ではない強面で、独特のオーラを放つ黒河を見てもびびったりしないのは、白ジャケットの青年達共通の特徴か。
「黒河さんは、恵さんとはどういうお知り合いなんですか? 教会関係とか? それとも神学校ですか?」
克幸という青年はまったく物怖じせずに、純粋な興味といった様子で、舎弟が聞いたら腹を抱えて爆笑しそうなことを言い出した。さすがの黒河も、初対面の相手に『神の僕か』と聞かれるのは初めてだ。
「そう見えるか?」
「いいえ。でも人は見かけでは判断できませんから」
克幸はニコニコと笑いながら、悪びれずそう答える。やはり憎めない。
「あいつの、親父の方と知り合いだったんだ」
「あ、ハレルヤの藤代先生ですよね! すごい先生です。俺一度説教聞きに行って、感動して泣いちゃいましたもん」
恵の父親はそんなに優れた牧師だったのか。それならきっと今頃は、彼の信じていた天国で平穏に暮らしていることだろう。
そう思えば、神を信じていない黒河でも少しだけ救われる。
「あいつはどうして親父の教会に残らなかった。わざわざこっちで修行する、何か理由があるのか?」
黒河の問いに克幸は首を傾げる。
「俺達もわかんないんですよ。何か事情があるんでしょうけど、恵さん、自分のことはあまり話さないから」
困惑顔は笑顔に変わった。
「でもその事情のおかげで、俺達は恵さんに会えたんだから、ホントにもう大感謝ですよ。優しくて大人で努力家で、信仰心も厚くて器大きくて……あんな人ちょっといませんから。俺達みんな尊敬してるんです」
同年代の恵を『尊敬している』とためらいなく評した、青年の目は純粋に輝いている。
黒河は違和感を覚え、微かに眉を寄せた。
もしかしたらここにいる連中には、恵の完璧な仮面の部分しか見えていないのか。
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