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第9話
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まだ1月の下旬だというのに、早くも冬の終わりを予感させるのどかな暖かい朝だ。淡い日差しにすら焼かれる気がして、上空を仰いだ黒河は眩しげに目を細める。
裏社会に生きていた頃は、主に夜が黒河の生活時間帯で、日曜の朝10時にこうして外に出ることなどほとんどなかった。『別荘』では規則正しい生活を強いられ、太陽の下での強制的な運動時間もあったが、しょせんは塀の中だ。
自由の下の眩しすぎる日差しは、闇に慣れ切った体にはいささか堪える。
道路を挟んだ向かいに建つ赤いレンガ塀の建物の、尖った三角屋根のてっぺんには木の十字架が乗っている。クラシカルな門の入口にかかっているのは、『のぞみ教会・日曜礼拝10時半から』の立看板。日曜だというのにきちんと身支度を整えた人々が、先刻からパラパラとその門をくぐっていく。
近付いてくる気配を感じ、黒河は寄りかかっていた塀から身を起こした。
「黒河さん」
うっとおしい日差しの中、涼やかな声が届いた。その声に単なる呼びかけ以上の親しげな響きを感じ取り、黒河はやや戸惑う。
いや、きっと錯覚だ。自分の存在は彼にとって日常を脅かす厄介なものにすぎないはず、快く思われるわけがない。
今朝の恵は天使の羽根付きジャケットではなく、シックなコート姿だ。地味な茶系のかっちりとしたデザインは、普通でも大人びて見える彼をさらに年かさに見せている。
「ここのところお姿が見えなかったので、もういらっしゃらないのかと思ってました」
再び姿を現したことを嫌がる風でもなく、むしろ歓迎するように恵は言った。
実はここ数日、彼の父親・実の高峰ハレルヤ教会付近へ探りを入れに行っていたとは、もちろん言えない。
三原克幸の言っていたとおり藤代実の牧師としての評判はすこぶるよく、信者からも地域の人間からも慕われ信頼されていた。息子の恵も高校卒業までは父の教会に通っていたようで、教会員にも可愛いがられ、青年会の奉仕も熱心にしていたという。
なぜわざわざ遠方の神学校に行くことになったのか、その理由を尋ねても皆、首を横に振るばかりだった。
謎は謎のまま残り、収穫はなかった。だが、搦め手で攻めず直接本人に尋ねたとしても、謎の微笑でごまかされるだけだろう。
「寂しかったか」
「はい」
笑いを狙って言ったのが、あっさり認められ拍子抜けする。
「明日からもう来ないというときはそう言っていただけると、僕も心の準備ができます」
相変わらず取り澄ました上辺からは、冗談なのか本気なのかまったく判断できない。だが平坦な口調のその裏には、一抹の本心が見え隠れしている。そんなふうに思えてしまう。
「安心しろ。おまえが素直に援助を受けてくれるまでは、つきまとわせてもらう」
「はい」
頷いた恵の形のいい口元が、一瞬明確な笑みを刻んだ気がした。
「黒河さん、今日は日曜礼拝です」
「知ってる。だからここで待ってたんだ」
「もしかして、礼拝に出席していただけるんですか?」
「何かまずいのか」
「いえ、大歓迎です。ただ……」
恵はためらうように言葉を切り、
「今日は牧師先生が不在で、代理で僕が教壇に立つので……ちょっと緊張するなと」
と、やや恥ずかしそうに笑った。
時折見せる年齢相応の笑顔。そう、彼もこんなふうに普通に笑えるのだ。
わからない。なぜいつも仮面をはずさず、他人に隙を見せず暮らしているのだろう。自らを清く正しい型に嵌め込み律する姿は、黒河の目から見ると不自然で、どこか痛々しく映る。
「それはラッキーだ。素人お断りでなければ、ありがたく聞かせてもらおうか」
「お手柔らかに。さぁ、どうぞ」
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