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第11話

 キリスト教会というのは、新来会者を放っておいてくれない所だと知った。  礼拝が終わると、ありがた迷惑なことに起立させられた黒河は司会者から全員に紹介され、コメントこそ求められなかったものの、気恥ずかしい満場の拍手を受ける羽目になった。  これっぽっちも悪気のない大歓迎の視線に晒され、居心地の悪さも頂点に達したところで、克幸と美央に両脇を固められ、広い中庭に設えられた昼食会の会場とやらに連行されてしまう。  100%善意の塊の人間というのは最強だ。喉元に刃を突き付けられても、口元に余裕の微笑を浮かべ否は否と言えたはずの黒河壮司が、今渋面で神の僕の青年達におとなしく引っ張られている。組員には到底見せられない姿だ。  だが、その組自体もう影も形もないのだから、体裁を気にするのも意味ないことだと思い直す。  キラキラした瞳の集団が待ち受ける、青年会のテーブルに連れて行かれようとしていた黒河は、途中のテーブルからの誘いに引き止められた。 「新しい方、ここが空いてますよ! さぁさぁどうぞ」 「たまには素敵な若い方とお話がしたいわねぇ」  その丸テーブルを見て、さすがの黒河もギョッとした。どう見ても全員が80歳を越えていそうな老婦人の集団が、一斉に手招きしているのだ。クリスチャンの婦人方に対する形容としては非常に失敬だが、まるで魔女の集会のごとく見える。 「うわぁ、ここそうそうたる面々ですねぇ。俺もご一緒していいですか?」 「克ちゃんは向こう行ってなさいな。ほら、呼んでるわよ」 「新しい方は私達にまかせて」  すげなく追い払われた克幸はどこか面白がるふうな笑いを口元に浮かべながら、 「黒河さんファイト」  と勝手なエールを残し、そそくさと離れて行ってしまう。 「え……おいっ」 「ほらほら、さ、どうぞお座りなさい」 「それとも、こんなおばあちゃん達のお相手はお嫌かしら?」 「ああ、いや、そんなことは」  真顔で問われては否定するしかない。女と年寄りには穏やかに、がモットーだ。つまり両方を兼ね備えた彼女らは、黒河にとって最強の敵ということになる。  両脇から腕を引っ張られ椅子に座らせられて、黒河は渋面を無理矢理微笑に変えた。  観念して腰を据えたはいいが、何をどう話したらいいのかさっぱりだ。女の扱いには慣れているが、自分の祖母くらいの年齢の女性と向き合って会話する機会などまったくなかった。対立する組の親分と相対したときの緊張の方がまだましだ。  人のいい老婦人達はまるで孫に与えるように、黒河の前に手作りのサンドイッチや菓子を積み上げる。  昼食会といっても豪勢なものはなく、素朴な持ち寄り料理が主で、家庭料理というものに縁のない黒河にはもの珍しく感じられた。炊き出しのとん汁といい、この1週間は初体験の連続だ。  美男ねぇ、昔の日活スターの誰々みたい、などと、手なづけられた狼さながらおとなしくサンドイッチを摘む黒河を値踏みする目は、敬虔なクリスチャンのご婦人方も一般人と変わりない。 「黒河さんは、聖書に興味がおありなのかしら?」  黒河がひとしきり腹を満たすのを待っていたのか、好奇心旺盛なご婦人方の質問攻勢が始まった。  くだらない質問には眉一つ寄せるだけで、相手を震え上がらせ黙らせた昔とは違う。今日の『敵』は、自分の人生の3倍近くも生きている、善意の塊のばあさま達だ。そうそう無下にはできない。 「あ、いや。炊き出しで、教会の方に世話になったものですから」  藤代恵と知り合いだ、などと言えばさらに騒がれ鋭い質問がきそうで、無難な線に逃げた。  だがその答えは、むしろ逆に彼女達の興味を引いてしまったようだ。 「あらあら! じゃあNPOの方ですか?」 「や、そっちではなく、ご馳走になった方で」  まぁ、とか。あら、とか言う声が一斉に上がる。 「今は就職口がないから、お若い方も大変よねぇ」 「苦労されてるのね。リストラかしら?」 「えぇまぁ、会社が倒産しまして。そのあと3年ほど『留学』してました。ついこの間帰って来たばかりなんですが、就職先がみつからないといったところで」  業界用語を交えての身の上話を、気のいい老婦人達は真剣に頷きながら聞いてくれている。あながち嘘ばかりではなかったが、なんだか騙しているようで少々胸が痛まないでもない。 「それはそれは。留学なさって何の勉強をされてたの?」 「主に、人間関係、ですかね」 「まぁ。というと、あれね。社会心理学ね」 「それはキリスト教とも通じるところがあるわねぇ」  これ以上純朴なご婦人方を誤解させる前に、退場した方がいいのではないかと思い始めたとき、先ほどから背後に感じていた気配がクックッと喉の奥で声を漏らした。 「っ……」  反射的に振り向いた。いつのまにか立っていた恵が、口元に手を当て顔を背けている。肩が小刻みに揺れているのは、どうやら笑っているらしい。 「おまえっ……」 「メグちゃん! 何がおかしいんですか」  一番年かさの魔術全般網羅していそうないかつい顔の婦人が、黒河が口を開く前に恵を叱り付ける。 「そうですよ。黒河さんは炊き出しのお世話になるくらい困ってらっしゃるのに」 「不謹慎よ」  回り中から大真面目な叱責を受けても、恵の笑いは止まらない。 「す、すみません。そうですね、黒河さんは、とても生活に困って……」  どうやらツボに入ったらしく、言葉が続かない。黒河はお上品なご婦人方に気付かれないよう、秘かに舌打ちする。 「黒河さん、お食事が終わられたら、少しあちらで教会のご案内をさせていただきたいのですが」  心優しき老婦人達が、晩御飯用にとサンドイッチやケーキをタッパーに詰め込み始めるのを潮に、やっと笑いの収まった恵が黒河の顔を覗き込んで誘ってきた。居心地の悪さを察して、連れ出してくれるつもりなのだろう。正直助かった。  立ち上がった黒河に老婦人のリーダーが、紙袋に入れたお土産を手に手を添えてしっかりと持たせてくれる。老女の手は皺くちゃで骸骨のように細かったが、優しいぬくもりを持っていた。 「神様はいつもあなたを見守り、手を貸してくださいます。疲れたらまたここにいらっしゃいな。一緒にお祈りしましょう」  黒河の身の上話を心から信じ込んでいる聖らかな婦人達は、老いても天女の微笑で、苦笑しつつ礼を述べる黒河を見送ってくれた。  前を歩く恵の肩は、まだ時折小刻みに震えている。思い出し笑いらしい。  憎らしくなってその小さな頭を小突いてやると、楽しそうな笑顔が振り向いた。教壇に立っていたときの、悟り切った横顔からは想像できない、可憐な花が匂い立ちほころぶような笑顔に、黒河は一瞬目を奪われる。  もっと見ていたいと、純粋に思った。感情の読めない達観した顔ではなく、年相応に戻った、ただ楽しいから笑うというだけの明るい笑顔を見ていたい。  一体どうすれば見せていてくれるのだ。金を渡すことでは、おそらく叶えられない。  いやそれ以前に、なぜ自分はそれほどまでに、彼の飾らない笑顔に惹かれるのか。  黒河はそっと息を吐き、刹那の動揺を鎮める。

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