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第15話

†††  藤代恵を観察し続けて4週間、ひと通りその生活サイクルは把握した。  工場、教会、神学校、ボランティア、そのいずれの場でも彼は常に優等生であり、多くの人間に尊敬され愛されていた。周囲にその評判を聞いてみても悪く言う者は一人もいないどころか、彼の名を出すと例外なく全員が笑顔になり、熱っぽい口調で語った。それは生活に疲れた目をしている、工場の同僚達ですら同様だった。  スケジュールがみっしりと詰まっている恵を、息抜きに誘い出すのは至難の業だ。動物園のときは勢いで連れ出してしまったが、改まってどこかに遊びに行かないかなどと言い出す柄でもなく、黒河は手をこまねいて彼の聖なる活動を日々見守るしかなかった。  恵が頑強に援助を拒んでいる以上、割り切って手を引くことももちろんできたが、今となってはそれも難しかった。黒河自身が、彼の謎に絡め取られてしまっていたからだ。  許されない罪を誰かに懺悔したかったのだと言い、清く正しい生活のすべてを償いだと言い切る。その真意はどこにあるのか。それを見極めないうちは、どうにも寝覚めが悪い。  いやおそらく、もうそういったレベルではない。気になるのだ。気になってたまらないのだ。  彼が本当の彼のままで自然に笑えるようになるまで、そばにいて見届けたいと、そう思ってしまうのだ。  裏社会で生きていたとき黒河が心を動かされたのは、個人の能力だけだった。有能な人間は大切にし使える舎弟として育て上げたが、個人的な感情を刺激されてもっと知りたいなどと思うことはなかった。逆に黒河に好意を持ち慕い寄ってくる者は掃いて捨てるほどいたが、相手の想いに引きずられ情が湧くことは皆無だった。  恵に『秘密』を打ち明けられた瞬間、『理性』ですべてを考える習慣がついていた黒河の、しまいこんでいたはずの『感情』が動かされた。彼が自分を覚えていて、また会えて嬉しいと言ったとき、認めたくはないが明らかに胸が震えたのだ。  その我ながら不可解な感情は、おそらく藤代恵に対してだけ発動するものだ。  彼の父親の死に責任を感じているだけだったら、こんな気持ちにはならない。小切手を一枚切って、勝手に使えと押し付ければ自己満足するだろう。  だが、それができない。むしろその心の暗い深淵に、自ら関わりたいと足を突っ込み始めている。  しかし動物園以来、恵がそれ以上の打ち明け話をしてくることはなく、それもまた黒河を苛立たせていた。  彼が自ら閉じこもっている部屋の中から、強引に腕を掴んで連れ出したい――ふいに、そんな衝動が突き上げることがあった。  しかし、それではおそらく何の解決にもならない。胸の奥に巣食う苦悩を彼自身が昇華させない限りは、本質的に何も変わりはしないのだから。

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