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第20話
「ア~ニキっ! みぃつけたっ!」
いきなり背に届いた聞き覚えのある弾んだ声に、黒河は深く嘆息し、露骨に眉を寄せ振り向いた。
パタパタと駆け寄ってくる見るからにヤンキー風の美青年は、明らかに歓迎していない黒河の顔を見てぷーっと頬を膨らませる。
「なんすかその顔はぁ! わざわざこんなわけわかんねぇド田舎まで足運んでやったのによぉ」
アッシュグレーに染めた癖毛、パッチリした二重の目とマシュマロのような愛らしい唇。そこらのアイドル顔負けの可愛い顔だが、ちょっと口を開けばイメージはガタ落ちだ。
その男、小暮 雅 は、可憐な外見とチンピラ風の軽い言動からは想像もつかない、素晴らしい才能を持っている。いわゆる『金儲け』という一点に特化した才能だ。
笹山組の企業舎弟だった小暮は、組に湯水のごとき軍資金をもたらした立役者だ。金の出所は主に株のトレードだが、その手段は違法すれすれの合法レベル。司法の網をかいくぐっての綱渡り的手腕の凄さは、その道に詳しくない黒河にもわかり、舌を巻くほどだった。
組長の息子同然で、その人柄に惚れ込んだがゆえに組の発展に尽くした、いわゆる『任侠道』の黒河と違い、小暮はドライで合理的な、典型的なインテリヤクザだ。いつ裏切ってもおかしくない気紛れな諸刃の剣は、なぜか笹山組長と黒河を個人的に気に入り、組のために手を貸してくれていた。
実質上は組の中枢部に身を置きながら、隠し弾である小暮は表向きは堅気で、裏の世界には顔を晒していなかった。それが幸いして例の全面戦争から逃れ、カタがつくまでどこかに潜伏していたらしい。
何一つ共通点がないにも関わらず、その闊達で奔放な男は妙に黒河と馬が合い、親しく交流していた。お調子者的な見かけによらず、内面は硬派で信頼に足る男と黒河も頼りにしていたが、服役した時点で縁は切れたものと思っていた。
それだけに、出所の日黒河をわざわざ門前に迎えに来た彼に、一緒に堅気のビジネスをやらないかと持ちかけられたときには驚いたものだ。小暮は今投資コンサルタントの会社を起業したばかりで、大っぴらにはできない大口顧客も大勢抱え、羽振りもいいらしい。
黒河には一生贅沢をして暮らせるだけの隠し金があったし、専門外の仕事では役に立たないだろうと、そのときは断った。
だが、小暮は諦めていなかったのだろう。黙って姿を消した黒河を見事に探し出し、今目の前で文句のありそうな顔をしている。
「やーっと『別荘』から帰ったと思ったら、何なのよ、いきなり雲隠れしやがってさぁ。根本から全部聞いたよ。何? 例の被害者の息子追っかけてんだって? 酔狂だねぇ、ったく」
根本というのは、恵親子のことを調べさせた興信所の所長だ。組時代からの付き合いで、黒河が自由に使える優秀な手駒だった。
「根本がしゃべるわけがない。おまえ、どんなあくどい手で口を割らせたんだ?」
小暮は外人みたいなオーバーアクションで肩をすくめてみせる。
「あら、アニキ知らなかった? 全人類の99.9%はおぜぜで動いてくださるのよ」
黒河は舌打ちする。根本も黒河と小暮がツーカーの仲だということは知っているし、小暮にならおそらく話しても問題ないと判断したのだろう。
「ねぇねぇ、ちょっとどーしちゃったわけ? 『別荘』で更正して、そういう一日一善みたいのに目覚めちゃったわけ? チョーキモイよそれぇ。つーかさ、パッパと慰謝料払って3分ではい終わりって事案をさ、何もうひと月近くも引っ張りまくってるわけなのよ?」
流れる滝のようにまくしたてる小暮の口上を久しぶりに聞くと、このところ恵の品の言い丁寧な言動に慣らされてしまっているだけに耳を塞ぎたくなる。
「0.1%に当たったんだ」
「はい~?」
「世の中には金で満足させられない人間もいる。おまえにはわからんだろうが」
「いや~、まったくわからんねぇ。あのね、さっきの99.9%ってのは比喩なのよ? 下界に住んでる人間なら、まぁず確実に動かせるね。動かねーヤツは神の国の人だわさ」
「かもな」
しれっと言った黒河に、小暮は愛くるしい顔立ちには似合わない苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「ジョーダンはともかく、どうせ交渉術がなってないんだろ? カタギのアンちゃん相手に凄みきかせてたってダメだぜ、黒河のアニキ。オイラが話つけてやんよ。一発だ」
「余計なことをするな。とっとと帰れ」
あっちへ行けと追い払う仕草をすると、小暮は深呼吸並みの長い溜息を吐き出した。
「アニキさぁ、どーでもいいけど、あの話はちゃんと考えてくれてるわけ?」
ビジネスパートナーの誘いの件だ。やはり、まだ諦めてはいないらしい。
普段はおちゃらけている彼のその意外な熱意には心を動かされないでもなく、とりあえず考えてみるとは言ってあったのだが、人生のほとんどを極道の世界で生きてきた黒河にとって、今さら一般人になることにはなんとなくためらいがある。
嫌なのではない。認めたくはないが、おそらく不安なのだ。外面を取り繕ったところで、荒んだヤクザの血は一生消えないのではないかという不安だ。
背に刻んだ龍が、いくら擦っても消えないのと同じように。
「ちゃんと考えてる。もう少し待て。こっちの件が終わってからだ」
黒河の返事に小暮は綺麗に整えた眉を露骨に歪めた。どうやら本気で怒っているらしい。
「どうだか。きれいさっぱり忘れちゃってたんじゃないの? ったく、こちとら忙しくて目が回りそうだってのに、こんな僻地までわざわざ来てやってみれば、このヒトったらガラでもない気紛れの贖罪に夢中になっちゃってるしさ」
「気紛れじゃない。俺にとっては最優先事項だ」
「それがわかんねーっつーの! なんでアニキが償いなんかしなきゃなんねーの? 森田のバカがとち狂って勝手にぶちかましちゃって、それがたまたま運悪く通りがかったおっさんに当たっちゃったってだけでしょ? あんたのせいじゃないじゃない」
「小暮、口を慎め。関係ない人間が一人死んでるんだ。それに森田はどんな馬鹿でも、組織の上では俺の舎弟だ。責任は俺が取るしかないだろう」
小暮は話にならんといった表情で両手を広げた。
「あー、わーったわーった。あんたが頑固なのはよーく知ってっからさ。まぁなんでもいいから、早くカタつけて帰って来てちょーだいよぉ。オイラアニキいないともう寂しくて寂しくて」
芝居がかって身をくねらせる小暮に、黒河はうんざりと嘆息する。
「その手の冗談はやめろ」
「んもぅ、つれなすぎっ。もしかしてカタギの兄ちゃんにほだされちゃったんじゃねーの? なんかさぁ、『別荘』出て来たときの放心状態とは大違い! 今すっごい充実した顔してね? 昔のアニキ、戻ってきてまっせ」
「馬鹿言うな」
内心ヒヤリとする。商売に関する勘だけではなく、小暮は人心を読む術にも長けている。
「どーかねー。合理的にパッパと事を進めるアニキにしちゃ、随分と時間かかってるじゃーありませんの? 相手にその気ないならはいそーですかでさっさと終わりで……あ、どもー! バンワ~!」
最後の挨拶は、黒河の肩越し、背後の人物に向けてかけられたものだった。
「っ……」
振り向いた。
視線の先、塀の陰に体を半分隠すような格好で、藤代恵が立ち尽くしていた。その凍り付いた表情が、彼がたった今そこに現れたわけではないことを物語っている。
挨拶を返す余裕など当然なく小暮を見つめていた、知的な漆黒の瞳が黒河に移される。ほとんど表情のないその目にわずかな揺れを見たと思った瞬間、細い体は身を翻していた。
「おい!」
追いかけようとした腕を掴まれる。
「え~! なになにっ? もしかして息子って今の? うっわ~、かっわい~い!」
「馬鹿、放せっ」
「いや~、真っ白だね~! 白鳥のよーだね~! しかもアーメンスクールに通う清純派ときたら、オイラたちとはもう住む世界が違う人種だわね! やれやれ、あんなの騙しちゃって、この極悪人! ド悪魔!」
完全に面白がっている小暮の手を振り払い、黒河は駆け出す。
「また邪魔しに来っかんな! 熱烈がぶり寄り昇り龍アタックで一気に押し倒せ~!」
馬鹿げたエールに返事をする余裕もなく、黒河は駆ける。
すぐに、先を走る恵の細いシルエットを視界に捕らえた。
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