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第25話
走りながら時計を見る。10時半。炊き出しはもうとっくに終わっている時間だった。
静まった街中を、黒河は全力疾走する。目的の倉庫までは10分もあれば着けるだろう。
どんな極限状態に置かれても、これほどまでに危機感を覚えたことはなかった。当然、我を忘れて全力疾走したこともない。
裏社会に生きていた頃の黒河は、常にどこか冷めていた。組の誰かが死のうと、組自体が潰れようと、極論自分自身が殺られようと、こういうこともある、仕方がないと、割り切ることができたと思う。
それゆえ刑務所の中で抗争の結末を聞いても、どこかで諦めすんなりと受け入れていた。
だが今は、失いたくないものがある。自分の命よりも、大切だと思えるものがある。
それはひどくうっとおしく厄介で、なくてもとりたてて不自由しないものだった。
しかしそれがあるからこそ、今の黒河は生かされているのだ。
決して鳴ることのなかった携帯。2人を結ぶ最後の糸。それを、恵は掴んでくれた。土壇場で、黒河の助けを求めてくれた。
差し伸べられた手なら、迷わずに掴む。そして、もう決して放さない。
打ち捨てられた倉庫は、うっそりと闇に包まれまるで蜃気楼のようだ。今にも朽ち果てそうなその外壁を巡り、黒河は入口を探す。正面の鉄の扉には頑丈な南京錠がかかっており、ぶち破ることは見るからに不可能だ。
だが恵がここだと言っていた以上、どこか他に入口があるはずだった。
「っ……」
正面の入口を諦め側面に回ったところで、しゃがみこんでいる人影に気付き思わず足が止まった。その人物は黒河の気配に顔を上げ、のん気にヒラヒラと手を振ってくる。
小暮雅だ。
「小暮……こんなとこで何してる!」
声を荒げる黒河に、小暮はシッと人差し指を口に当てる。
「結構早かったねぇ。あ、だいじょぶだいじょぶ、アニキの白鳥ちゃんはまだ無事よ」
「おまえ一体……っ」
「まぁまぁ落ち着いて。根本の手下におぜぜをやって、ヘンタイ坊やの見張り役を代わってもらったんだわさ。今夜炊き出しの最終回だろ? あのクソガキが、絶対よからぬことを考えとるだろうと、オイラ睨んだワケよ」
ぬけぬけと語る小暮の脇に、崩れかかった通用口のドアが見える。押しのけて中を覗いた。
オレンジ色の光がぼんやりと、無造作に積まれたダンボールの山を照らしている。光源は床に置かれた懐中電灯だ。
恵は壁に背をもたせ、脚を投げ出した格好で座らせられていた。グッタリと首を折っているので、その表情は見えない。細い手首に絡まった鎖は、壁を這うパイプに繋がれている。
飛び込んで行こうとした黒河の腕を、後ろから小暮が掴む。
「放せっ!」
「だーいじょーぶだって言ってんじゃん。今ちゃんとオマワリサン呼んだからぁ。ほら、証拠動画もばーっちり!」
と、空気の読めない男は右手に持ったスマホを示しウィンクするが、黒河は当然平静ではいられない。
「そんなもの待っていられるか! 大体おまえ、どうして黙って見てる!」
「現行犯逮捕じゃねーと、あのドヘンタイのボンボンぶちこめないっしょ? 白鳥ちゃんを囮に使って悪いとは思ったけど、まぁ、いざ危なくなったらオイラが出てくつもりではいたのよ? まさか氷の刃と恐れられた黒河壮司が、まっつぁおになってすっ飛んでくるとは思わなかったけどさ」
小暮はニヤニヤしながら、動揺を隠すことができない黒河を珍しいものでも見るように眺める。
「白鳥ちゃんのストーカーの件、片付かないとあんたが戻ってこないと思ったから、化けの皮がはがれるまで泳がせてみたってわけ。しかしめでたく一件落着しても、こりゃーそうそう帰ってきてくんないかもねぇ」
淡い光の中に、長身のシルエットが入ってくる。中野だ。卑しい笑いに口元を歪め、弱々しく顔を上げた恵に舐めるような視線を注ぐ。
その右手に握られているダガーナイフが目に入った瞬間、黒河はドアを蹴破っていた。
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