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第26話
あ~あ、と小暮が声を上げるのを背で聞きながら中に飛び込み、相手が振り向く間も待たずその腹に重い拳を叩き込む。ダンボールの山を盛大に崩しながら、中野は呆気なく昏倒する。堅気を加減せずぶん殴ったのは初めてだ。
恵の方を向いた。光の失われていた目が黒河を映し、わずかに見開かれる。重なり合う視線の中に、同じ想いを確認する。
会いたかった――ただ、それだけを。
後ろ、と恵と小暮の声が合わさる。とうに察していた気配に向かって、黒河は鋭い蹴りを繰り出す。構えていたナイフが弾け飛び、手首の砕ける感触が伝わった。小悪党は無様な悲鳴を上げてその場に転がる。
倉庫の暗い壁にまで反射する赤色灯とけたたましいサイレンが、クライマックスにピリオドを打つ。遅すぎる警察のご登場らしい。
怒りを抑えきれず、のたうち回る中野の方にさらに一歩踏み出そうとした黒河を、小暮が背後から引き止めた。
「はいそこまで~! あとは警察サンにお任せしましょ。それが、善良なカタギの市民というものです」
「放せ! ぶっ殺してやる!」
「あんた、まーた『別荘』入りたいわけ? そしたらその子、どうするわけ?」
恵を見た。言葉にならない想いを語りかけてくる、澄んだ瞳。守りたいと初めて思った、たった一つのもの。
その足元に転がった携帯は、電話しているところをみつかって中野に壊されたのか、半分に折れてしまっている。
もう会わないと言ったくせに、黒河と繋がるか細い糸をちぎれる寸前で掴んでくれた。
「小暮、もう大丈夫だ」
黒河は相棒の手を振りほどき、恵の前にしゃがんだ。
白磁の頬にうっすらとついた痣は、中野に殴られたのかもしれない。手を伸ばしそっとそこに触れると、
「もう、痛くないですから」
と、か細い声が答え、再沸騰しそうな怒りを宥めた。
「遅くなって悪かった。怖かったか?」
微笑んでやると、逆に恵の顔は一瞬泣き出しそうに歪んだ。胸が締め付けられる。それでもかろうじて涙を堪えた恵は、震える唇で告げる。
「来てくれるって、信じてましたから……」
絡まった鎖を解き赤い痣がついた細い手首を撫でてやると、恵はやっと安堵したのか深く息をつき目を瞬いた。
ドラマでも現実でも、クライマックスの終わりを待って絶妙なタイミングで登場してくれる警察が、狭い入口から雪崩れ込んでくる。あらかじめ通報者の小暮から説明を受けていたのかその行動はスムーズで、無様に泣き喚いている中野は速やかに連行されていった。
被害者である恵と、通報者の小暮、黒河も事情聴取のためにパトカーに乗るよう促された。
一人で立ち上がった恵の足取りは思ったよりしっかりしていたが、支えた腕はまだ微かに震えている。肩をそっと抱いてやると、伝わるぬくもりが逆立っていた黒河の心を癒してくれた。
恵を先にパトカーに乗せながら、黒河は小暮を振り向いた。
「おい」
「あいよ」
「おまえの会社に就職してやる。ありがたく思え」
「ちっとばかし上から目線がむかつくけど、正社員採用してやるよ! ウェルカム・カタギの世界! アニキ、更正おめでとう!」
警察の前だというのにとんでもないことを言ってはしゃいで、騒がしい相棒は片目をつぶり親指を立てた。
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