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第28話

「まず言っておく。おまえは何も悪くない。悪いのはおまえの親父や、周りの男どもだ。考え違いをするな」 「で、でも、元々は、僕が罪深いから……」 「どうしてだ」 「僕が、同性に惹かれてしまうのが……」  絶望的な恥を口にするように、恵は消え入りそうな声でつぶやいた。 「それは悪いことか」 「聖書には、罪だと」 「俺は聖書のことはよくわからないが、おまえの神はそんなに了見の狭いヤツか」  恵は戸惑いがちに視線を移ろわせる。答えに迷っているふうだ。 「じゃあ聞くが、元々おまえを作ったのはその神だろう。どうして、おまえが同性にしか惹かれないように初期設定したんだ」 「それはっ……牧師の息子である僕に、信仰者として成長するよう試練を与えるためです。人より多くの試練を乗り越えることができれば、それだけ天の御国に近付けるから……」  きっと彼自身、ずっと疑問に思い問いかけていた最大の問題なのだろう。答えは澱みがなかった。  しかし、黒河は首を振る。 「違うな」 「ではなぜ……っ」 「俺は専門家じゃない。うまくも言えないが、おそらくおまえの神は、おまえが弱者の気持ちを理解できるようにと、そうしたんじゃないのか? 炊き出しで並んでいる連中を見ていた。おまえと話しているとき、連中の疲れ切った顔は希望で明るくなってたぞ。おまえは自分が悩んだ分だけ、弱い人間の心がわかる。牧師になるには一番必要なことだろう。違うか」 「弱い人の心が……わかる……?」  茫然と、恵は繰り返す。思いもかけなかったという声で。 「そうだ。それともう一つ、もっと大事な理由がある」  恵は微かに首を傾げる。わからない、仮面をはずしたその顔は素直にそう言っている。 「もう一つ……何……?」 「俺と出会うためだ」  苦悩に満ちていた顔が一瞬空白になった。黒目がちの思慮深い瞳が、今は子供みたいにポカンと黒河を見返している。  柄にもなく気障な台詞を吐いた自覚はあった。だが今は見栄も恥もすべてを捨てて、率直な言葉で想いを伝えたかった。刺だらけの鎖でがんじがらめになっている、傷付いた心を救いたい。 「黒河さんと、出会うため……」  紅い唇が繰り返す。自分に言い聞かせるように。 「忘れるな。おまえは自分で説教のとき言ってただろうが。神は、俺達の罪を赦してるんだろう?」 「で、でも、僕の罪は……」 「自分だけは赦されないと思ってるなら、それは傲慢だぞ。説教した本人が疑ってどうする」 「僕の罪も、赦されている……?」 「そうだ。だから、俺がおまえのところに来たんだろうが」 「え……」 「おまえの神はそんなに意地悪なヤツじゃない。おまえのことを心配して、いろいろ考えてくれてる。こうして、俺と会えるように仕組んでくれたんだからな」  恵は二、三度瞼を瞬くと、改めて黒河を見上げてきた。まったく表情のなかった瞳には、今わずかに光が見えている。 「じゃあ……あなたはやっぱり、僕を救いに来てくれたんだ……」  呆然とつぶやかれる一言に、黒河は微笑を返す。  手を伸ばし艶やかな黒髪に触れると、整った眉が一瞬泣きそうに寄せられた。 「おまえがいつまでも、つまらないことで悩んでるから、俺が引っ張り上げてやるしかないだろう」  髪を撫でていた手を滑らせ、滑らかな頬に触れる。向けられる不思議そうに開かれた瞳が、たまらなく愛しい。 「今夜は、おまえのとっておきの秘密をたっぷり聞かせてもらったからな。俺も、最後の秘密を明かすぞ」  もう、黙っていなければならない理由などどこにもない。一生口にすることなどないはずだった美しい言葉を、黒河は迷わず告げる。 「愛してる」  恵の瞳が大きく見開かれた。 「おまえが好きだ」  言葉を変えて、繰り返す。  澄んだ湖のような瞳に漣が立つ。  頬に当てた手に、冷たい手がそっと重ねられた。 「僕も……好き……」  震える唇が、か細い声で告白に答えた。  怯えさせないように手を伸ばし、震えている体を抱き寄せる。 「恵」  耳元で初めて呼ぶ名前を囁くと、相手はわずかに身じろいだ。 「恵……」  黒河は繰り返す。その名前それ自体に大切な祈りが込められているかのように。  巡り会ったのは救うためであり、また救われるためでもあった。  絶望を通り越した虚無の淵から引き揚げてくれた、聖らかであどけない笑顔。乾き切った胸に泉を作ってくれた、大切な存在。  これからは、彼のために生きていける。黒河にとっては腕の中のこの心優しい子羊こそ正しく神の恵み、自分に新しい生をもたらしてくれた宝物なのだ。  愛しい。すべてが欲しくてたまらない。だが、身も心も壊さないよう大切に扱いたい。  これまでの一夜の相手に対しては考えられなかった理性を総動員して、黒河は恵を両腕でくるんだまま動きを止める。  じっと動かなかった恵が、首をひねって黒河を見上げて来た。 「黒河さん……」  わずかに潤んだ瞳、熱っぽい声で呼びかけてきた紅をさしたような唇に、我慢も限界に達した。指を伸ばし唇に触れても、今日は駄目とは言われなかった。  そっと口付けると細い体が震え、全身が硬直する気配が伝わった。啄むだけのキスでも、彼にとっては相当な覚悟であろうことが察せられた。  口付けたまま強張った背中を何度も撫でてやると、震える手が伸ばされてそっと腕を掴まれた。助けを求め、すがりつくように。 「大丈夫か?」  一瞬でも放したくなかったが、大切にしたい想いが勝った。もう嫌だと言ったら、それ以上は進まないつもりだった。  恵はうっすらと閉じていた瞼を開き、不安げな瞳を黒河に向ける。 「無理しなくていいぞ」  頬に触れるだけのキスを落とすと、袖を掴んだ指にキュッと力が込められた。 「悪いことじゃ、ない……?」  ほとんど聞き取れないほどの声で、問いかけられた。 「おまえの気持ちはどうだ? 俺が好きで、触れられたいと思うなら、それは自然なことで悪いことじゃない」 「好き……本当は、こういうふうにしてほしいって、思ってた」  普段の余所向きの毅然とした態度は消え去り、恵は弱々しい自信なげな声で訴える。黒河は思わず微笑んだ。 「俺も欲しかった。おまえに触れさせてくれ」

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