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第31話

†††  礼拝堂正面のステンドグラスから柔らかな日が差し込み、教壇に立った天使と見まごう清廉な美貌に神秘的な陰影を落としている。ガラスの人形めいた体温を感じさせない完璧な造形は、以前はただ近寄りがたさだけを感じさせたものだが、今はどことなく優しげでものやわらかに見えるのはきっと錯覚ではない。  神の愛を代弁する言葉の一つ一つも以前よりわかりやすく、聴衆に寄り添う内容となっている。  以前の彼は、罪の贖いを説いていた。今その同じ唇からこぼれるのは、大いなる恵みの素晴らしさだ。  一人一人に語りかけるように礼拝堂をおもむろに見渡す澄んだ瞳が、一番後ろに陣取った黒河の目と合った。一瞬見開かれた目が瞬き逸らされ、口元が恥じらったように少しだけ微笑む。今日は来られないと昨夜メールしてあったから、きっとびっくりしたのだろう。  完全週休2日制で土日は休めるという条件だったはずなのに、見かけによらず仕事人間の社長は人使いが荒すぎる。金曜の夜から呼び出され今朝まで、数時間の仮眠を挟んだだけで、この週末もこき使われた。裏社会に身を置いていたときには、スケジュールは自分の都合で自由にできたので、上司の命令には逆らえないという一般社会の勤め人の窮屈さを、最近の黒河は新鮮さと共に思い知っている。  小暮の仕事を手伝い始めて1ヶ月、やっとそういった生活にも慣れてきたところだ。  恵の方も、例のストーカー事件がトラウマになることもなく、心身ともに平穏な日々を送っている。  根本からの報告では、監禁と傷害罪で逮捕された中野は執行猶予がついたが、父親に勘当同然に留学させられてしまったらしい。本人も相当痛い思いをしたようで、以前の強気はどこへやら、しょげ返り腑抜けのようになってしまったという。もう恵に危害を加えてくることもないだろう。  もっとも、中野だろうが誰だろうが、今後恵に手を出してくるような命知らずな輩がいたら、黒河がただではおかない。安らかな彼の笑顔を見ていることが、黒河自身の生きがいでもあるのだから。  口の減らないビジネスパートナーにさんざんからかわれながら、日曜の早朝から車を飛ばして礼拝に出席してよかった。  素人の感想に過ぎないが、恵は明らかに信仰者として成長した印象がある。それが自分のせいだなどとおこがましいことを言う気はないが、語る彼の瞳が安らかであることに、少しでも役立っているとしたら嬉しい。  説教が始まる前に、隣に座った克幸が言っていたことを思いだす。 『最近の恵さん、なんかワンランクアップしたって感じなんですよ! や、前からすごい人ではあったんですけど、下々の俺達なんか近寄れない別世界の人ってとこあったのが、話しやすくなったっていうか、表情とかやわらかくなって、よく笑うようになったんですよね』  確かに教会でも工場でも、冗談を言って仲間と笑い合ったりふざけたりする恵の姿をよく見かけるようになった。  いいことだ。頭でっかちな聖句を高みから偉そうに語るより、罪深い子羊達と目線を合わせ、心を通わせる牧師の方が、本物の信仰者に近いに違いない。  教壇に立つその姿は凛と自信に満ちていて、以前のような脆さや儚さは見えない。どうか彼がいつまでも安らいでいるようにと、その頭上の十字架に祈らずにはいられない。

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