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第2話

 日差しのきつい日だった。ここのところ雨は降らず、木も乾いて苦しそうにしている。  木を切っていた手が汗ですべり、手斧が放り投げられた。小ぶりの斧は勢いをつけて斜面をくだって滑り落ちていく。  木こりを始めたときから使っている貴重な斧だった。探していると、ふいに音が聞こえた。歌声のようだった。 「…………」  木こりは気がつくとあの洞穴の近くに来ていた。歌は、格子のはめられた洞穴から聞こえている。  ふいに歌が止んだ。 「あっ木こりの旦那、そこにいるのか」  驚いた。歌っているのがこの囚人だからというのと、こいつがまだ生きていることにだ。獣に食われて、とっくに死んでいるかと思った。 「さっき、斧が落ちてきたぞ。今度はあんたが落とした。俺が柿で、あんたが斧だ。これ、商売道具だろ?」  うす暗い洞窟からチラリと斧の光が反射して見える。 「俺の斧を地面に投げてよこせ」  洞窟に向かって命令する。 「俺は閉じ込められているのに、無理だよ。ここは狭くて、立ち上がることもできないんだぜ……腰がいたいよ。あんた、すぐ近くにいるんだろう。目の前にあるから、取りに来たらいいぜ」 「近づいたら俺の斧で、首をかっ切るつもりか。罪人」  虫の声が何重にも重なって反響している。 「そんな怖い声出さなくても、斧はここに置くよ。俺は何もしないから、取りに来たらいい」  斧が格子の前の草むらに置かれる。そのとき、ほっそりとした長い指が格子の間から一瞬見えた。  しゃがんで斧を拾い上げた拍子に顔が見える。 「ああ、やっと木こりのあんたの顔がわかった」  洞窟にいたのはかなりの美丈夫だった。声で聞く想像より、ずっと若い見た目をしている。色素の薄い目に、夜に生える白面。髪は肩の長さまであった。  薄い唇に笑みを浮かべた、どこか幼い表情に――自分を問答でからかった、イブキという男なのだと一致した。 「おもったとおりだった」  嬉しそうな声を出す。 「なにがだ」 「きっといい男だって。木こりのことを思っていた。なにせ、声がいいだろ?」 「ふざけているのか」 「怒ったのか? でも本当だよ。がっしりとしていい男だ。俺とは正反対の顔をしている。俺はよく女顔だ、とからかわれるからな! 木こりというから、熊みたいな髭の木こりを考えていた。あんたは街の色男にも負けないよ」  洞窟の男の声に媚びはなく、ただ本当に、話したいから話す。そういう感じがした。  自分の顔に頓着は無かった。色男だと言われても、ひとりで住んでいるから、水面に映る顔を誰と比べるわけでもない。 「あーしっかし、人と話すのは久しぶりだ。といってもこんな穴ぐらじゃ、話すタネなんかないけどなあ」  美しい容姿とは裏腹の、さっぱりとした口調だ。 「よく平気で喋られる、こんな場所で」 「うーん、こう見えても柿は落ちてくるしなんたって奥には湧き水もある。飲めるし、体も洗えるんだ。草や茸は生えてくるから、喰える物もあるし。案外悪くないよ、ここは」  よく目を凝らすと、イブキの後ろに続く洞窟はかなり長さがありそうで、水の気配がする。そういえば、この穴の外の近くには湖があった。そこから沸いているものなのか、奥は広くなっていて、深い部分に溜まった泉で水浴びをしているらしかった。 「昔は巫女が、ずっとこの穴蔵で暮らしていたんだろう」 「巫女?」  聞き返したが、男は答えなかった。  格子の手前には薄いゴザが敷いてあり、人の形にくぼんでいる。 「檻の男の心配をするなんて。木こりの旦那は肝っ玉だね。俺が怖くないのか」 「お前なぞ、怖いものか」  怖くはないが、不思議だった。檻の中の環境を快適という男の真意はよくわからない。強がりには聞こえなかった。 「運の良い悪党だ。住み着くつもりか」 「あはは。木こりの旦那、名前はなんて言うんだ。近頃じゃ俺たちみたいに学のない農民にさえ名前が当てられる時代になると言うぜ」 「名前なぞ捨てた」  本当だった。麓から離れた、山道の途中にある小屋で一人暮らす木こりにとって、名前は必要なかった。太陽と共に目覚め、木を切り、自分の畑を耕し、日が沈むと同時に眠る。飢えずに喰っていけるか瀬戸際の生活。 「ふーん。教えてくれなくてもいいけど、じゃあ勝手にシダって呼ぶよ」 「シダ?」 「山のシダだ。大きくて、あんたみたいだろう」  山には至るところに鬱蒼としたシダが生い茂っている。 「シダは、あまり俺と変わらない年ごろをしているよな。俺は十六だが、シダは家族はいるのか」 「いない」  一人でここにいる、と返した。 「ずっと山の中か。寂しいな」 「寂しいも何もない。生業だからだ」 「生業ね。嫌な言葉だ」  それまでへらへら笑っていた男に、ほんのわずかな放心の間があった。 「お前はどうしてこの檻に入っている」 「おお、俺に感心が出てきた? すこしばかり嬉しいなあ。俺のこと、塵芥みたいな目で見てたのに」 「うるさい……」  本来人好きで、饒舌なのだろう。イブキは「今の俺にはこいつがいるからね」とふところから何か取りだした。 「かわいいだろう。洞窟の上に巣があるんだが、そこから落ちてきたみたいでさ」  深緑のメジロが所在なさげに羽を震わせている。 「茸をやったら、なついたんだ。かわいそうに、まだ飛べないみたいで」  丸いメジロの目がくるんと動いて木こりをひと目見た途端、イブキの胸元に隠れた。 「シダの目があんまり怖いから隠れたみたいだ」 「俺は何もしていない」 「黙ってても、顔が怒ってるもんな、木こりどの」  けらけら笑うイブキに、質問をはぐらかされたように感じた。 「お前は本当に罪人なのか」 「どうだろうね。ある意味じゃ、そうかもね」  話ながら、違和感があった。イブキには悪人の狡猾さも、世を恨む目もしていない。 「俺はここにいなきゃいけないんだ。それが生業だから」  その夜、自分の小屋に帰った木こりが布団の中で目を閉じると、頭の中で歌が響いた。 イブキが歌っていたあの歌だった。

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