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第6話
ごうごうとうなる風が木こりの住んでいる木の小屋ごと揺らす。真っ暗な闇の中で、シダの目は冴えていた。
今夜は嵐だ。老い木は倒れ、葉はこそげ落ち、川は荒れるだろう。
寝返りを打つが、眠れない。しばらく布団の中でもぞもぞ動いたあと、起き上がった。
山道を駆け、まっすぐ洞穴を目指す。
「イブキ!」
声が風の音に紛れる。返事はない。強風に負けじと岩肌に足を食い込ませ、崖をよじ登った。
洞窟の近くの湖は、波立つだけで荒れてはいないようだった。もしイブキの檻に水が流れ込んでいたら、逃げられないあの男は溺れ死ぬしかない。
暗い檻の中を目を凝らすと、ぼんやり人の輪郭が浮かび上がる。イブキがうつ伏せに倒れていた。
「おい」と呼びかけても返事はない。
竹の檻に手をかけ、土から引っこ抜いた。力は勢い余り、想像していたよりもその呆気なさに驚いた。いくらイブキが細い男で、自分とは体幹が違っても、これぐらいなら女子どもでも檻など破れてしまうだろう。
穴の中に入り、イブキを抱き起こす。ぐったりとしたイブキの体の燃えるような熱さに驚いた。
両腕にイブキを担ぎ、洞穴を出た。風は激しさを増し、眼球を乾かすそれに顔をしかめる。
着物の合わせ目が軽く引っ張られて、下を向く。腕の中のイブキが濡れた茶色い目でこちらを見上げていた。顔色が雪のように白い。
「イブキ、お前を連れて行くぞ。ここから出してやる」
イブキは首を振った。頼りない半開きの唇から言葉が漏れる。
「だめ、だ……シダ。やめて……」
掠れた声を無視して、折れそうな体を腕に抱え込む。倒れた木を飛び越え、坂を駆け下りた。
木こりが住む小屋は頑丈に木を組み合わせて出来ている。揺れはするが、安全な場所だ。
熱で気絶したイブキの服を脱がせ、自分の布団に寝かせた。火打ち石で囲炉裏に火をおこし、小屋を暖かくする。ぱちぱちと薪が燃えるころ、イブキがうめいた。
「うう、う……」
目を閉じたイブキは苦しそうに眉を寄せている。手を額にかざそうとするとイブキが跳ね起きた。怯えるようなイブキの目に、行き場のない手が彷徨う。
「シダ……」
はっとしたような顔。汗で髪を額に貼り付けたイブキは、小屋の中をぐるりと見回した。
「ここは……どこなんだ、俺は……帰らなきゃ」
うっと頭を抱えるイブキの肩を押し、布団に寝かせた。
「俺が来なかったら、あの穴蔵の中で死んでいた。あんなところじゃ風邪も引く」
「そうか。シダ……この前はあんたの言ってくれたことを受け止められなくてごめんな」
「いいから寝ていろ。お前は病人だ」
「でも……」と尚も動きたそうにしているイブキを強引に寝かせる。
シダは天井近くに干してある野菜を菜切りで切り、中央にある大鍋に切った野菜を放り込んだ。じっとこちらを見るイブキに向かって言う。
「寝ないなら、喰え。喰わないから病にかかる」
よそった汁を差し出す。イブキは受け取ったが、口をつけようとせず、両手にある椀をじっと見つめた。
「シダ、お前は良いやつだ。どうしてここまで俺に良くしてくれるんだ」
「それを聞いてどうする」
シダは自分も椀をすすりながら尋ねた。
「俺はあんたに返せるものがないよ。なにも持っていやしない」
「俺が勝手にしていることだ。返せるものが無いと言うなら、俺のために話をしろ。歌ってもいい。あんな場所にいるよりかはマシだろう」
クッとイブキが口を歪めた。
「優しいと言ったけれど、あんたは本当に勝手なひとだ。なにをしてもいいと思ってる」
イブキは言った。
「シダ、あんたには本当に感謝している。でも俺は戻らなきゃいけない。もう一度背負ってあの穴に帰してくれ」
「……戻りたい?」
「今は自分で立てそうもない……だから頼む」
風が悲鳴を上げて、ミシミシと家を揺らす。
シダは床に座り込むイブキの、着物の合わせ目からのぞく足を見る。細くすらりとした、男にしてはしなやかな足だ。高さのない穴蔵でずっと腰をかがめていたせいで、足が弱ってうまく立ち上がれないのだろう。足腰を弱らせ、日の当たらない穴蔵。俺といるよりも、またあの穴に戻りたいというのか。
「それも『約束』か」
イブキが言っていた、帰りたいという理由。
「そうだ」と頷くイブキに、シダは舌打ちした。
「知らん。戻りたければ自分で戻れ」
理由も聞かず、背を向けて土壁に向かう。
「シダ」と悲痛な呼び声がした。
「お願いだよ……俺は動けない。お願いだから、俺をあそこに戻してくれ」
あんな場所にいても、イブキは自分を見失わなかった。ところが今は、あの穴に戻りたくて取り乱し、縋っている。
この男が欲しい、願いを叶えてやりたい。俺のそばにいればいいのに、この家があんな穴蔵より嫌だというのか。考えれば考えるほど苛立ち、そして虚しい事実に、一切を無視して、シダは目を閉じた。
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