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第7話
「う……ん……」
うなり声で目が覚めた。起き上がり、イブキの体に膨れている布団に向かう。橙色の光が照らす整った男の顔は、脂汗をかき、ひどくうなされていた。
「辛いか、イブキ」
額に手を当てて触れても、イブキは起き上がらなかった。触れた肌が汗で冷たい。
棚の奥からミコシグサを煮て乾燥させたものを取り出す。茶葉に似た葉を水に浮かべ、椀を口元に持って行った。
「起きられるか、これを飲め。薬だ」
イブキは苦しそうに眉根を寄せるだけだ。シダは椀の水を口に含む。頭の下に手を入れて抱き起こすと、口づけた。
「ん……」
鼻から漏れた呼吸が顔にかかる。こくこくとイブキの喉が嚥下し、飲んでいるのを確認する。
あふれた水がイブキの口の端をつたう。親指で拭い取り、何回か口移しを繰り返した。
薬と水を飲ませた後、イブキの呼吸が落ち着くのを確認すると、シダは自分もイブキと同じ布団に入った。
胸元に抱き寄せ、体を温める。動物と同じ方法。冷たい体温が汗ばんだ肌越しに伝わってくる。
「おまえ、死ぬんじゃないぞ」
強い力を使わず抱きしめた。
「…………さま」
皺の寄っていたイブキの眉間が、次第にほどけていく。イブキがなにごとかを言った。
「……りゅうじんさま……」
寝言は一度きりで、寝息が健やかに聞こえ始める。シダは自分も目を閉じた。
朝起きたとき、人の体温を感じたのは初めてだった。抱え込んだイブキが腕の中で眠っている。密着した心臓からは、とくとくと優しい音がした。格子の嵌まった窓から差し込む朝日に、驚くほど長いイブキの睫が透けて、影を落としていた。
昇った太陽は既に高く、いつもなら木を切るために外に出る時刻だ。けれどそうしなかった。イブキのぬくもりから離れがたい。
イブキといると、今まで知らなかったものを考えさせられる。深い森に住む獣と同じで、見えないもの、わからないものは怖かったはずだ。でもイブキがくれるものは不思議と、なにも知らないはずだった自分の心を穏やかにさせてくれる。
「……シダ」
靄がかかったような声で名前を呼ばれる。目を閉じて、眠ったふりをしていた。
呼びかけに聞こえないふりで、身じろぐ体を放さない。もう少しこうしていたい。
「起きてくれ、シダ。朝だ」
仕方なく目を開く。
二人で昨晩の残りの汁を飲む。イブキはまだ立ち上がれないらしく、足を休めていた。
「水浴びをするから、おまえも行くぞ」
抱きかかえても、イブキは大人しかった。
小屋の近くにある湖で、シダは常日頃、体を清めている。気温の低い秋口でも、ここの水は不思議とシダにとっては冷たくない。色は青みがかった透明で、魚が透けて見える。
湖の脇の草むらに抱きかかえたイブキを下ろした。イブキは抵抗せず、元気がないようにも見えたが、昨晩より顔色は良くなっている。陽気なはずの男は朝起きてからずっと静かだった。自分を元いた場所に帰せという、無言の抵抗だと感じる。
目が合うと、ふいと逸らされる。何気ないその仕草にチリッと胸が焦がされ、次の瞬間にはじわじわと怒りに似たものを抱いている。
なぜ俺を恨むのか。俺はあそこから、お前を救い出した。罪を償いたいとか、イブキにどれほどの理由があろうが、感謝こそすれ、非難される謂われはない筈なのに。
怒りを静めるように服を脱いで一気に腰まで浸かった。深呼吸して、体を清める。シダの後ろで、じっとしていたイブキが動く気配がした。
イブキの足が水に浸かる。透明な水に土ぼこりが浮いて、まっさらな足先が水の中で揺れた。
シダは振り返らないまま言った。
「俺を恨むか?」
自分の足を見ていたイブキが顔を上げる。
「お前はどうして俺に助けを求めない」
「……助けは、必要ないから」
「おまえは、己のことは己にしか救えないと思っているのか」
愚かなことだ。
ざぶざぶと水をかき分けて、イブキの前に立った。盛り上がった肉の間に水が流れ、草むらに滴り落ちる。
顔を強ばらせて見上げるイブキの前に、浅い水の中で膝をついた。
かかとをすくい、足を水中から持ち上げる。桜色の爪が彩る足の親指を、かぷりと噛んだ。イブキが息を呑む。
「ひっ」
澄んだ水と肌肉の、塩っぽい味がした。足指の股の間に舌を這わせると、わずかに土の味もする。ねろりと舐めると、今度こそ大きくイブキが体を震わせた。
「やめろ、シダ……」
立つこともできない弱った足では、自分を蹴飛ばすこともできないのだろう。尚も止めずに魚の目をざりざりと舐める。
イブキは両手で口を覆い、首を振った。
「止めてくれ、シダ。なぜそんなことを……」
「そうだ。もっと泣いて縋れ」
口を離すと、粘度のある液体が糸を引く。
「俺しかイブキを助けられる者はいない。泣いて縋れ」
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