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第9話

 パチパチと爆ぜる日を見つめていた。とっぷりと日が暮れて、外は暗い。ギャアギャアと鳥の声が聞こえる。  気づくと、起き上がったイブキが同じようにぼんやりと火をみつめていた。火かき棒を傍らに置いて、目を向ける。 「つらくはないか」 「ああ」  あれから二度交わり、眠るように気絶したイブキを湖に連れて行き清めさせた。イブキの目はまだどこかぼうっとしていたが、声はしっかりしていた。 「悪かった。おまえを無理に抱いた」 「いい。俺もシダを利用した。シダを使って、いろんなものを忘れようとした」  イブキは言った。 「それにシダはそんなに、酷いことをしなかったから。お前の手は、優しい手だった」  ゆらゆらと揺れる灯が、イブキの影を大きくしていく。 「シダ、俺の話を聞いてくれるか。俺がどうしてあそこに入っているか、話したい」 「……おまえがいいのなら」  ぽつぽつとイブキは語り出した。 「俺にもシダと同じ、家族はいない」  生まれは遠い浜の村。両親は農民で、イブキは六人兄妹の末っ子だった。イブキは小さい頃、大きな寺に預けられた。立派な僧になるようにと言われ、両親にも認められるように、修行に励んだ。字も読めるようになったと。  ある日、古株の坊主に無理やり部屋に連れ込まれた。坊主は普段から仕置きと称して小坊主を逆さに吊したり木の棒でぶったり、痛めつけるのが好きな僧だった。 『べっぴんだなあ、おまえは、べっぴんなおまえがわるいんじゃぞ』  ひどく乱暴に体を開かれ、それからも日を置かず求められた。何年もの間、痛めつけられるように抱かれ。耐えられなくなり、このままでは殺されるとイブキは寺を逃げ出した。  家に戻ると『末っ子の口減らしをしたと思ったのに』両親はイブキが家に入ることを許さなかった。あの寺の悪評を知っていながらイブキを預けた両親は、末っ子の自分を捨てたも同然だった。  血の繋がった家族がいながら、行くところがない。両親を恨む気持ちは無く、ただ悲しい気持ちばかりがあった。どうして疎まれる末っ子に生まれてきてしまったのだろう。  こんなことなら、最初から自分などいなければ良かった。  そう何度も思った。  当てもなく行く先を転々とした。いつもひとりぼっちで、飢えていた。神社で雨を凌ぎ、目を盗んで畑の野菜や、川の魚を食べる。辛かったが、寺で慰みものにされるよりは良かった。  空いた腹を抱えながら、心の中ではいつも、自分の家を捜していた。目を閉じると浮かぶ、父母と兄姉の元で暮らした幼い頃の、もう二度戻れない場所。  ある日、畑から大根を盗むところを見つかった。村の男に気絶するほど殴られ、殴り殺される前に転ぶように逃げ出した。  死にかけになったイブキが神社の境内で身を横たえていると、柿の木が目に入った。何日も食べていないイブキは、ふらりと立ち上がり、手を伸ばした。  泥棒がいたぞ! その声に食べかけの柿を落とした。逃げようとするとふらつく足が絡まり顔を地面に打った。  やってくる大人たちの足音に恐怖で身を竦ませる。自分を庇う腕の中で、しわがれた女の声が聞こえた。  ――まだ子供じゃろう。  自分を庇ったのは神社に住む老婆だった。老婆はイブキを自分の家に連れて行き、柿を食べさせた。 『もっと食べ、とりやせんからね』  皺くちゃの手で頭を撫でられる。  恐怖でも痛みでもない、生まれて初めてのあたたかい涙をイブキはボロボロこぼしていた。  イブキが辿り着いた村は街から離れた田舎で、大きな山のふもとにある。  イブキは老婆の元に住み、畑を耕した。老婆は村の神社の巫女でもあり、一人で住んでいた。 『この村は龍神さまが守ってくださるよ』  老婆の口癖はそれだった。この村を守る龍神様は神社にも祭られ、子どもたちの間で龍の歌が語り継がれていた。イブキもそこで歌を覚えた。  イブキは小さな村で老婆と共に、ささやかだが、幸せな日々を過ごした。それも長くは続かなかった。  ある年を境に、農村に雨が降らなくなった。日照りが続き、作物は出来ず、皆が飢えた。  ――こうも雨が降らないのは何故じゃ。龍神さまは、わしらを見捨てたのか。  ――いいや龍神さまはおられる。巫女のせいじゃ。  ――そうじゃ。巫女は何をしておる。雨を降らせろ。  村人の不満は、たった一人の巫女である老婆に集まった。  神も呼べない巫女など巫女ではない。村の役人が集まり、話し合った。 『昔からの習わしに従おう。次の恵の雨が村に降るまで、婆はあの洞窟に入ってもらう』  人もいない、獣の多い、山の牢獄――。  巫女はそこで竜神に祈りを届かせる。  雨が降るまで――。  昔の伝説だ。そんなところに年老いた婆が入れば、死んでしまう。  雨が降らず不満が溜まって、なにかに取り憑かれた村人たちは鬱憤をぶつけるように一丸となった。  山入の日、老婆が神輿で連れて行かれそうになるのをイブキは走って追いかけた。担ぐ男の足に縋り付く。 『お願いだ。俺を代わりに入れてくれ』 『俺は血の繋がった家族だ。俺なら雨を呼べる――』    喋っていたイブキがひと息つき、シダは顔を上げる。 「口から出任せだったが、俺が孫だというのを皆信じた。ばあさんは最後まで泣いていたから悪いことをしたけど、俺はもうよかったよ」  黙って聞いていたシダが口を開いた。 「もういいとは、なんだ」  火に照らされる横顔が答えた。 「家族ができたんだ。俺は嬉しかった。それでもう、よかった」  シダはふっと息を吐いて、言った。 「あそこにいたら、お前も死ぬ。あの村には雨季でもない限り、雨が降らない。そういう場所だ」 「そうだな。そうかもしれない。俺は神や仏を信じたことがない。坊主に酷い目に合わされたから。でも俺がいるうちは、ばあさんはあそこに行かなくていい」  イブキがあんな場所に入れられても、正気の心を失わぬ訳がわかった。  人を強く思う気持ちに支えられている。  イブキは小屋の格子の間から外を見た。 「もうすぐ葉の色が変わる。誰かが見回りに来て、俺がいないと知られれば、村の不満を晴らすために、婆さんが代わりに行くことになるだろう」  シダがおもむろに正面に座った。目の前のイブキの体を抱きしめる。イブキの手はだらりと垂れ下がり、抱き返されることはなかった。 「おまえをあそこに行かせたくない」  腕に力を込める。抱く前よりもこの男が欲しいと感じる。  過去に同情したのかと聞かれれば、少し違う気がする。自分にそんな人間らしい心はない。ただ、どうしようもなく惹かれる。  この男も孤独だと思ったからだ。  自分と同じように。 「なら、俺を殺してくれ。シダ、俺を殺してからあの洞窟に置いていってくれ」  シダは黙って細い体を抱きしめていた。

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