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第10話
うすらぼんやりと、早朝の霧が出ている。肺に吸い込む山の空気は澄んでいて、長年、この山に住んでいるがこんな朝は珍しかった。
「下ろすぞ」
「うん」
抱えていたイブキをそっと洞窟の前に置く。イブキは四つん這いで自ら穴に入っていった。シダは、この檻からイブキを連れ出した時に引っこ抜いた竹の格子を元に戻した。
二人の間には、縦に割る格子が挟まる。それに手をかけ、シダは言った。
「また来る。お前が嫌だと言っても来るぞ」
イブキは笑うだけで、質問には答えなかった。
「シダ、おまえは不思議なやつだ。少し怖いが、俺はお前のこと、嫌いにはなれないよ。こんな俺のことを想って、好いてくれているのも、嬉しかった」
イブキの目が優しく細まる。
言われて、初めて理解した。俺はこの美しく、悲しい運命を辿る男のことを、好いている。愛している。
「雨が降るように祈っていて」
「ああ」
「そしたら会いに行く。一緒に村に行こう。婆さんにも会わせたい」
「ああ」
「できたら、こんなところで会いたくなかった」
見つめ合い、格子に顔を近づける。どちらともなく顔を近づけ、口づけをした。触れるだけの唇が、ひどく離れがたい。離れても、ぬくもりがいつまでも残っている。
洞窟を離れ、シダは当てもなく歩いていた。
木々の間の獣道を通り抜ける。森林が切り開かれ、山が一望できる崖の上に、シダは立っていた。
赤と黄色の模様をした、見事な紅葉が山々を彩らせている。
美しい景色だ。今までは、見る景色、空の色、木を切ることも、物を食べることも、自分のやることに何も感じていなかった。ただ過ぎてゆくだけの、独りの日々。
色んな物をイブキに見せたいと思った。この色づいた木々も、山中を流れる力強い滝も、鏡のような湖も。
イブキはこれを見て、なんと言うだろうか。イブキと一緒に見たい。雨が降って、イブキが出てこられたら――。
特別なことは話さなくていい、たわいない話がしたい。自分だけの物だった感情を、分かち合いたい。
ふいに、耳をよぎる。
歌が――。
イブキの歌が聞こえた。
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