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February

 最悪な新年を迎えてから、早くも1ヶ月以上が過ぎていた。  相変わらず会話は一方通行で、俺の言う事なんざ碌に聞いちゃくれなくて、監禁生活も続行中だが、最初の数日に比べればまだ状況は改善された。  そして、分かった事が幾つか。  まずここは、あの男……芝原のアパートらしい。その中の、2畳ほどのウォークインクローゼットに、俺は閉じ込められている。  クローゼットではあるものの、服も何もない。あの男が言うには、俺の為に、わざわざ(本来の用途で使うのならば)必要のないウォークインつきの物件に引っ越したそうだ。お蔭で家賃が上がったと嬉しそうに嘆いていた。  それに関連してもうひとつ。  芝原の仕事は、なかなかに激務らしい。その割に薄給なようで、要するに結構なブラック勤めという事だ。  泊まり込む事もしばしばで、そうなると俺は完全に放置されてしまう。  散々訴えたせいで多少の食料は置いていってくれるようになったが、それでも菓子パンが1つ2つと、ペットボトルの水が1本だとか、そんなレベルだ。本人曰く、極力一緒に食事がしたい、との事で、最低限以下の食料しか置いていかない。満足に帰って来られないくせに、随分な事を言う。  それから、寒いし体が痛いとも訴えた。何しろあの日以降、服を着せて貰えない。最初のうちは渋っていたが、度々風邪に似た症状が出た事で、使用感ありまくりの毛布と羽毛布団が用意された。充分とは言い難いが、状況は劇的に良くなった。  生命維持を確保したところで、次なる課題は暇潰しの手段だ。これもなかなかに由々しき事態だった。  ただの退屈とはわけが違う。外側にしかスイッチのないクローゼットの中はほぼ暗闇で、目を閉じているのか開けているかもよく分からない。このままでは発狂してしまうと、強ち大袈裟でもない様相で不満をぶちまけたら、防災用のラジオをくれた。  今時ラジオって。まあ、何もないよりは断然いい。尤も、電波の入りは余り良くないようで、どの局に合わせてもノイズ混じりだったけれど。  そうやって必死で時間を潰して、俺は芝原の帰りをただ待つ。  常に腹が減っている気がするし、敷布団がないせいで睡眠にも難はあるが、これでも多少は譲歩して貰えた。しかし一切(俺を解放しろというのは別にして)改善される見込みがない事がひとつあった。  一言で言うと、衛生面だ。  俺はあれから1度も、風呂に入る事が出来ていない。  風呂は芝原が帰宅した時に濡れタオルでごしごしと拭かれて、それでお終いだ。  手入れのされていない髪はべたべただ。芝原は全く気にならないのだろうか。  そしてなんと言っても、トイレだ。  風呂も使えない俺は、便所も使えない。  かと言って垂れ流すのは芝原にとっても本意ではないようで、バケツが用意された。  バケツだぞ、バケツ。  辛うじて蓋のついたポリバケツではあるが、使用する度に蓋を開ける必要があるわけで、その度に酷い臭いが充満する。片付ける事も出来ず、芝原が帰宅して処理をするまで俺はこの狭いクローゼットで汚物と過ごさなければならない。  両手両足の拘束こそ解かれたが、今は首に頑丈な首輪が嵌められている。重々しい鎖は、ハンガーをかけるべきポールに繋がれている。おまけに俺1人の時は電気も点けちゃくれない。  誰か(この場合、その誰かは芝原しかいないのだが)に見られながらというのも屈辱の境地だけれど、真っ暗な中、裸でポリバケツに排泄するのも、とてつもなく惨めだった。  暗闇の中で、鎖の擦れる耳障りな音とノイズ混じりのラジオの音だけが響く。  それが、今の俺の生活だった。  日付と今の時刻くらいは、ラジオの情報から得る事が出来たが、俺の精神状態を保つ以外の面で役立つ事はなかった。勿論ニュースも聞いてはみたけれど、会社勤めでもない、成人した男が1人行方不明になったくらいでは、誰も騒いではくれないようだ。  相変わらず、分からないのは芝原の真意だ。  ヤツの脳内で、俺は恋人らしいが、その割には恋人らしい行為は殆どない。  確かにスキンシップ過剰であったり、時にはキスのような真似はして来るが、監禁して1ヶ月半が経とうと言うのに、それ以上の事がない。  飯を食わせたり体を拭いたりと、これじゃあ監禁だとか同棲だとか言うよりも介護だ。  毛布だのラジオだの用意はさせたが、はっきり言って今の芝原は俺をどうにだって出来るわけで。  その気になれば強姦だって、造作もない事だろう。  勿論そんな事、されたいわけではないけれども、ある意味で大人しいと言えるこの状況は、それはそれで不気味だ。  具体的な目的が見えてこない。  一緒に飯を食って、体を拭いて、バケツを片付けて、おやすみ、と告げて扉を閉ざす。出勤前にはおはようと告げ、その日の食料を置いて出ていく。  劣悪な環境で、こんな風に飼い殺す事が芝原の最終目標ではない筈だ。……そう信じたい。  今までの人生、日々あれほど時間に追われていたのが嘘のように、クローゼットの中ではゆっくりとした時が流れていた。 「はあ……」  出るのは溜息ばかりだ。  一体いつまで、こんな日々が続くのか。  ガタガタ、遠くから音がする。  …………ああ、帰ったのか。  玄関の開く音だ。それから、最早聞き慣れた足音。  どたどたと煩い。ここが何階か知らないが、階下の住人から苦情は来ないのだろうか。怒鳴り込んで来てくれれば、俺の存在も明るみになるかもしれないのに。  儚い希望を抱きつつ、次に考える事と言えば早く飯を食わせてくれという事だ。  芝原が買って来るのは大抵、値引きシールのついたスーパーの弁当や総菜だったけれど、今の俺の楽しみと言ったらそれくらいなものだった。  それは余り良くない兆候な気がする。食べるか食べないかなんて、モロに生死に直結する事案だ。まだその段階じゃない筈だ。  じゃあ……その他……  ああ、風呂だ。風呂に入りたい。  拭いて貰える体や顔はともかく、髪が気になって仕方がない。この年で禿げたらどうしてくれるんだ、クソ。  いい加減そのくらい叶えて貰えないだろうか。機嫌が良さそうなら、改めて訊いてみよう。 「ただいま、ミツル!」  思い切り良く扉が開かれ、俺は目を眇める。  芝原が帰るのは大抵夜中だけれど、室内灯すら今の俺には眩しい。  ……まあ、何より、機嫌は悪くなさそうだ。訊けるうちに訊いておくか。 「なあ……頼みが」 「ごめんねミツル、今準備してくるから、もう少し待っててくれる?」 「……準備?」  芝原はごわごわでべたべたの髪を少しも厭う事なく頭を撫で、思いもよらない発言をした。 「そうだよ! だって今日は、バレンタインでしょ?」 「…………あー……」  そういえば、ラジオで2月14日と言っていた気がする。バレンタインなんて、すっかり忘れていた。  こいつの脳内では、俺たちは付き合っている事になっているらしいから、それではしゃいでいるのか。  馬鹿馬鹿しい。 「はあ? まさか俺から貰おうとか思ってんの? お前、バカじゃね? 俺のこの状況で、どうやってチョコの準備なんか出来んだよ」  どれほど体が自由だってチョコレートを用意する理由などないが、こんな理不尽な事で臍を曲げられても堪ったもんじゃない。  また何か脳内完結した物語を喚き始める前に、先手を打った。  だが。 「うん、分かってるよ。だからちゃんと、俺が準備するから。だから、待ってて?」 「……へえ」  その程度の分別はつくのか。  ならもう、勝手にしろ。どうせ俺が何を言ったって、予定が変わった事もねえし。 「でも良かった。やっぱりミツルも、俺に贈ってくれる気だったんだね」  去り際に、芝原は不穏な台詞を吐いた。  しまった……墓穴だったか。  足取り軽く、扉も開けっ放し、電気も点けっ放しのまま芝原はキッチンへと向かった。  ヤツの頭の中にどういうプランが描かれているのかは定かじゃないが、正月の時の事を考えると、また吐くほどチョコレートを食べさせられるのだろうか。  しかしそれなら、即座に口に突っ込まれているだろうし、準備とは何をするつもりなのだろうか。  いずれにせよ俺に出来る事は待つ事だけだ。  珍しく明るい室内をクローゼットから見渡すと、実に殺風景な部屋だった。フローリングの上に、直に布団が敷いてある。あとは本の入ったカラーボックスと、衣装ケース、折り畳みの小さなテーブル。無地のカーテンが閉じた窓。それしか確認する事が出来なかった。  すぐに見るものがなくなり、首を繋ぐ鎖を視線で辿る。ポールに絡まるそれは、真下で横になるなら問題のない長さだが、扉の向こうまでは届かないだろう。仮に少しくらい出られたところで、脱出の可能性が飛躍的に上がるとも思えない。  折角周囲が明るいというのに早々に見飽きてしまった。そこへ不意に、キッチンと思しき方向から何やら匂いが漂ってきた。  甘い匂い。チョコレートだ。しかしそれに混じって、妙な臭いもする。  一言で言うと、焦げ臭い。  ……何やってんだ? 「ごめんごめん、簡単に行くと思ったんだけど」  ややして芝原は戻ってきた。煙の上る鍋を片手に。 「チョコレート、溶かすくらい俺にも出来ると思ったんだけどなあ……」  ああ……そういう事か。 「バァカ。湯煎で溶かすんだよ、直火にかけたら焦げるに決まってんだろ」 「そうなの? 詳しいね、ミツル。やった事あった?」 「ねえよ。常識だろ?」  俺も昔、妹がバレンタインだからと張り切っていた姿を見ていたからこそ知っていた情報だけれど。でも優位に立てるなら悪い気分じゃない。少しくらいは己の非常識を改めろ。  心ばかりの大口を叩いて、ほんの僅かながら鬱憤を晴らす。 「そっか……じゃあ、初めてなんだね?」 「……何が?」  行平鍋を手にしたまま、芝原はじりじりと距離を詰める。  逃げ場などない。所詮ここは、クローゼットだ。 「手作りチョコのプレゼント」  手作り……?  芝原は一体何を言っているのだろう。作っているのは、どう見ても俺ではなく芝原だ。  首を傾げる俺などいつも通り構いもせず、芝原はにこにこと勝手な指示を出す。 「そこ、仰向けに寝転んで」  頭の中に、大人しく従うという選択と、意を決して飛びかかるという選択、その2つが浮かびはした。  選んだのは、前者だった。  首を鎖に繋がれた状態では、どう足掻いても不利だ。  それにあの鍋……恐らく触れられないほどに熱い。あんなものを押し当てられでもしたら、ひとたまりもない。  恐々と仰向けになる。背中にべったりと張り付くフローリングが冷たい。  既に散々見られた裸でも、無遠慮に向けられる双眸は直視出来ず、俺はもぞもぞと脚を閉じた。 「じっとしててね」  なかなかシュールな光景だ。全裸で寝そべる男と、焦げた鍋を持つ男。なんだってんだ。  などと呆れていられたのも、それまでだった。 「ァアッ……つ……ッ!」  傾いた鍋から、液状のチョコレートが腹の上にぼたぼたと落とされる。  その熱さに、俺は大いに慌てた。 「こら、動かないで」 「ばっ、バカ言うな……やめ……熱いぃッ……!」  しかもあろう事か、徐々に狙いを定めてペニスにまでチョコレートを落とされた。  熱くて堪らない。脚をばたつかせると尻の方にまで伝って、余計に熱い。 「あは、大袈裟だなあミツルは」 「じゃっじゃあてめぇが、触ってみろよっ……!」  言い返すと、漸く鍋が水平に戻った。  もしかして本当に、これがどれほど熱いのか分かっていないのだろうか。有り得なくはないだろう。チョコレートを直火にかけたくらいだ。 「どれ……? ほら、温かいだけで、熱くなんてないよ」 「な……お前、どこ……そ、……ちがっ……」  だがやはり、故意か天然か、芝原は予想外の行動に出た。  鍋ではなく、俺の体に落ちたチョコレートに手を伸ばす。  臍に触れ、陰毛を掻き分け、そしてペニスにまで、指は造作なく這う。  火傷を負った皮膚はただただ熱く、その上に下腹部などという敏感な場所を、落ちて冷め始めたチョコレートを塗り広げるようにして、指が動く。 「俺ねえ、やってみたかったんだ。ベタだけど、私を食べて……ってね? ミツルがやってくれて嬉しいよ」 「だ、誰もやるなんて……ッ、嫌っ……や……ッ!」  そのまま握り込まれて扱かれる。  熱湯ほどではないにしろ、熱せられたチョコレートを浴びたそこは、赤くなっている事だろう。扱かれる度、じんじんとした痛みが伝わった。  けれどそんな状況下にあっても、適度な強さで擦られたペニスは勃起し始める。 「ぁ……あ……いや……嫌だ……っ」  口でどれほど嫌だと唱えようとも、そこは見る間に硬くなった。思えば監禁されて以降、自分で処理する事もなかった。要するに溜まってもいたのだとは思う。  男の手で高められる。  これまでにない感覚で、例えようがないのだけれど、近い言葉で表すならば、それは恐怖だった。  こいつの脳内で、俺は恋人だというのならば、こんな行動も想像の範疇だった筈だ。  覚悟はしていた筈なのに、それでも実際に触れられ、そして反応を示してしまうと、嫌悪感よりも恐怖心が勝った。  何故突然、芝原は行動に出たのかが分からない。  異常なりに平穏だった日常が、突如としてぶち壊された気がした。 「こんなに勃たせて、ミツルはいやらしいなあ」 「ひぃっ……!」  手で大きくさせたものを、芝原は躊躇なく口に含んだ。  全身は竦むのに、そこだけが全く逆に熱く昂る。 「さすがに甘いね」  芝原は満足そうに笑うと、両脚を広げにかかる。  まずい、と思った時には遅く、窄まりを舐められていた。 「こっちまで垂れてる」  おかしそうに笑っては舌を這わせる。溶けたチョコレートに塗れた下半身に埋めた芝原の顔は、あちこちが汚れていた。  まるで泥遊びに夢中になる子供みたいな顔で、芝原は笑う。  何も悪い事など、知らないような顔で。 「残りはここにかけちゃおうか」 「えっ……」  言うが早いか、俺の答えを待つ気など毛頭ない動きで、芝原は再び鍋を手に取る。  身構える暇もなく、熱せられた液体は降り注いだ。 「ァァアッ……!」  容赦なく急所へとチョコレートを流され、涙ぐむ。  会陰の薄い皮膚に直撃し、悲鳴をあげた。  熱くて恥ずかしくて、そして惨めだ。  その上、芝原は更なる追い討ちをかけてきた。 「うーん……ホワイトチョコレートとかの方が良かったかな……? なんだか漏らしちゃったみたいだよね、ほら、お正月の時みたいに」  笑い声交じりに、思い出したくもない事を思い出させられる。  手足を縛られ服も脱げずトイレにも行けず、そのまま漏らすしかなかった。それに比べたら今はまだマシだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。  その記憶が一瞬にして蘇り、潤んだ目から涙が零れた。 「ミツル? やだなあ泣かないでよ、ね? 俺はそんな事で嫌いになったりしないよ? 心配しないで?」  芝原は全く見当外れな言葉で俺を慰める。  改めて、常識など通用しない事を思い知った。  初めから、こいつの頭は、おかしい。 「それじゃ、残りも舐めてあげるね。大丈夫、ちゃんと射精もさせてあげるから」 「えっ……」  また勝手な発言をする芝原は、見た目で言えば随分と汚らしいそこへ、やはりなんの戸惑いもなく唇を寄せる。  舌が、唇が、火傷で痛む肌に這いずる。  俺は泣きながら、喘いでいた。  突き飛ばす事は、どうしてか出来なかった。  常に腹を空かせ体力がなかったからか、抗う事も出来ないほど萎縮してしまったのか、或いはもう、どうでもよくなってしまったのか。  ただ溶けたチョコレートと一緒に性器を舐める仕草はとんでもなく丁寧で、気持ちがいいと自覚せざるを得なかった。尻穴に差し込まれる舌にさえ、確かに快感はあった。  夢の中の出来事のようだった。  自分の事なのに、他人のようにどこか離れた場所から見ている感じ。  やがて宣言された通り、じっくりと時間をかけられ、俺は芝原の口に射精するに至った。  その頃にはもう、何かを考える、という行為が面倒になっていた。  赤らんだ肌を執拗に舐められ、射精して、漠然と、それじゃあ次は、犯されるのかな、なんて想像が頭を過った。  でも、その予想は外れた。 「じゃあ、綺麗にしようね」  あちこちにチョコレートをつけた芝原は笑い、その晩、俺は待ち望んだ風呂に入れて貰った。
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