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September

 少しずつ、着実に、季節は移り替わっていく。  真夏の猛暑は徐々に遠ざかり、このところは過ごしやすい日も多くなった。雨の夜などは、ちょっと肌寒いくらいだ。  そういう意味では、この部屋は快適というものに僅かながらに近付いている。  だがやはり、圧倒的にスタート地点が遠いのだ。  服もなく、寝床は布団1枚。トイレはバケツ。必要最小限以下の食事。  近頃では空腹感にも疎くなった。余りいい兆候とは言えないだろう。  逆に言えば、改善したのは気温くらいなものだった。  ノイズ混じりのラジオが、夜9時を告げる。  これまでならば、芝原が帰宅するのは2時間は先だった。  それが今月に入って以降、帰宅時間が早まっている。  という事は、だ。 「ただいま、ミツル。さあ、口開けて」 「ん、ぅ……っ」  一時は中断していた帰宅直後の行為も、再開した。  口の中に萎えたペニスを入れられ、小便を注がれる。  こんな事にも人間の体というのは順応出来るようで、今じゃ零す事もなくなった。  汚いとか気持ち悪いとかいう感情も、次第に消えてしまった。  そして以前はここで終わる事が殆どだったが、今は続きがある。 「んんっ……ぅぐ」  まだ特有の臭いの残る口腔へ、尚もペニスは擦り付けられる。  目的は射精ではなく、勃たせる事。  これも容易い事だった。抵抗だけしなければいい。芝原の方から、勝手に口や舌を使ってくれる。  時々喉を塞がれる息苦しさを堪えているだけで、芝原のペニスはすぐに反り返った。  不快感はある。反抗心だってある。  だが一方で、いちいち反撃する事が酷く面倒だった。  それくらいには、こんな事態が頻発していた。 「……今日も、するのか」 「うん。ミツルだって、好きでしょう? ほら、お尻上げて」  芝原は当然のように淀みなく答える。急かされて、両手両膝をつくポーズを取った。  羞恥はあるが、露にしたところで芝原が調子付くだけだ。唯々諾々と従えば、最もダメージは少ない。  俺はただ、この行為が終わるまでを、やり過ごす。  このところ頻繁に繰り返されるせいで、不本意ながら穿たれる事に慣れ、結果としてアナルへの痛みも軽減している。  俺は、何もしない。  抵抗もしないし、わざとらしい演技もしない。芝原の機嫌を損ね激昂させるのも、喜ばせて油断させるのも、どちらも面倒だった。  何もしない。  ただじっくりと胸の奥で、腹の底で、憎しみを煮詰めていく。 「ぅ……あ」  小さな衝撃があって、芝原のペニスが入り込んでくる。  憎悪で満たされつつある体に、嬉々として性器を捻じ込んでくる。  それがちょっとだけ愉快で、口元に笑みが零れた。  芝原は気付く事なく、律動を始める。 「あははっ……凄いね、慣らさなくても、もう、こんなぐずぐず……」  そりゃあ毎晩のように、馬鹿みたいに擦り付けていればな。  この環境に適応したいわけではないけれど、肉体的な負担が減少すると考えれば、それはそれで有り難い事に思えなくもなかった。 「ね、ミツルも気持ちいいでしょう? こんなに勃たせて、さ……っ」  だから芝原の手が伸びて、俺のペニスを上向きに撫でても、大した感慨はなかった。  男に、それも一方的に恋人だなどと名乗り監禁してくるような相手に犯され反応しようと、最早どうでもいい事だった。  ここでどんな扱いを受けようが、もう、どうだっていい。  さっさとこの部屋を出て、その時初めて、俺は芝原に逆襲が出来る。 「ふぁっ……」  不意にペニスを扱かれた。上擦った悲鳴が漏れた。  従順さを身に付けた体は、不意打ちに弱い。 「ミツル、もっと声出してよ」 「っ……近所、迷惑……」 「ミツルが少し騒いだ程度じゃあ、余所まで響かないよ」  本気なのか冗談に冗談で返したのか。  強ちデタラメでもないだろう。見たところ普通の集合住宅だというのに、俺は隣人の気配というものを、一切感じた事はないのだ。ついでに、上の階も下の階も、物音が聞こえた事はなかった。  それだけ壁が厚いのか、防音設備でも完備されているのか……まさか隣家まで、借り上げているとでも言うのか。  もしそうだとしたらゾッとするし、それ以上に、心底馬鹿だと思う。  余りに何もない部屋。  食事もままならない生活。  そんなものに、どれだけの対価を支払っているのだ。  馬鹿だ。  同情なんて、しないけれど。 「ねえ、声、出してよ」  芝原はもう1度繰り返し、抽送を強め、俺のペニスを扱く手を速めた。 「ぅ、あっ、あぁっ……ぁあッ……」  嫌でも声が出てしまう。  演技をする気はなくとも、無意識に漏れ出てくる嬌声を、敢えて止めようとは思わなかった。  眩暈がするほど揺さ振られているのに、酷く気持ちがいい。  憎悪に満ちた体内を掻き回されて、俺は善がる。  この時ばかりは、頭の中は射精する事ばかりで埋め尽くされた。 「あ、もっ……出るッ……」 「じゃあ、お預け」 「はあっ……?」  あと少し、というところで、唐突に芝原の動きが止まった。  痛いほどにペニスを扱いていた手も、呆気なく離れる。 「イきたかったらさ、たまにはミツルがおねだりしてよ」  ……最悪。  今のでちょっと、興が冷めた。  いい加減、精神と肉体を別に考える事を覚えたっていうのに、そうやって能動的に動かなければならないとなると、精神の欲求か、肉体の欲求、どちらかにどちらかを合わせなくてはならない。  体の求めるまま心を殺して媚びるか、矜持の為に本能レベルの欲望を捻じ伏せるか、いずれかだ。  僅かに逡巡する。  首輪に繋がれた鎖が、眼下に揺れる。  鎖はまだ、繋がれたままだ。  俺はまだ、繋がれたまま。  この選択にはもう1つ、重大な意味がある。  芝原を怒らせるか、喜ばせるか。  ……ああ、それなら、俺の取るべき行動は、決まったも同然だ。 「し……芝原……イかせて……」  消え入りそうな声で訴えて、ペニスを咥え込んだそこを強調するように、自らの手で尻の肉を左右に押し広げた。  支えをなくし、頭が床につく。  辛うじて振り返って、伸びた前髪の隙間から、芝原を仰ぎ見た。  けれど芝原は動かない。  まだ足りないという事か。 「芝原……なあ、俺、もうっ……」  声に緊迫感が増す。  特別意識したわけではなかったが、貫かれたままじっとしているというのも、妙に落ち着かない。  遂には腰を揺すって、続きを欲していた。 「……そう。いいよ」  それは許しの言葉だった筈だ。  なのにどこか、苛立ちを含んでいた……気がした。 「……? しば……ッ!?」  不安に駆られ名前を呼ぼうとして、遮られる。  背中が撓るほどに首輪を引かれ、首が絞まった。  なんで、どうして、俺は間違わなかった筈だろう? 「いいよ、ほら、イって。でも俺、手は塞がってるから、触りたいなら、自分でして」 「は……――――ッヒ、ぃ……ッ」  片手で首輪を引っ張って、もう一方の手は床に押し付ける勢いで背中を圧迫する。  俺を犯すペニスも、一層乱暴に抜き差しされる。  これじゃまるで暴力だ。  こうならない方法を、選んだ筈だったのに。  俺はただ苦しくて苦しくて、だらだらと涎を垂らし酸素を求める。 「どうしたのミツル。イきたいんでしょ? 早くしなよ」  明らかに刺々しさがあった。  なんで。  なんで?  自らの身に降りかかった理不尽な仕打ちに疑問はあれど、今はこの拘束から逃れる事が先決だ。  要するに、この状態で射精しろと、芝原は言っている。  いいさ、やってやる。  どうせこんな事だって、初めてでもないのだから。 「ッ……、ク……ッ……!」  酸欠で顔を真っ赤にして、ひらすらにペニスを扱く。  ただ吐き出す事だけを考える。  楽になる事だけを考える。  もう少し、あと少し。 「ックァぁ……ッ!!!」  咆哮に似た声を響かせて、俺は果てた。  芝原も達したのかどうか、途端に首輪から手が離れる。 「はっ……は、……ッ」  必死になって、呼吸した。  首を絞められたのは、初めてではない。  最初に犯された時だって経験したし、つい数日前だって、こんな事はあった。  首を絞めるに至った理由はと言えば、俺が暴力的なセックスが好きだという、芝原の身勝手な思い込みによるものだった。  相変わらず芝原は、意に副わない言動は都合のいいように解釈するし、それでも駄目ならすぐに手を上げる。絞首だって、その延長だと思っていた。  でも最近は、なんだか……――――  ……俺を、殺そうとしてやいないか。 「ミツル、大丈夫? はは、……いっぱい出たね。こんなに、細い体なのにね」  芝原は嬉しそうに微笑んで、力なく項垂れる俺の体を反転させる。  元々屈強とは言い難かった体格は、劇的に痩せ衰えてしまった。それは俺も自覚するところだ。  食べ物だってまともに食べていないのに、確かに床を汚した精液だけは変わらずのようで、おかしな気分だった。  ……早く。  早く、ここから出ないと。  俺はもっと、おかしくなる。  それとも、その前に…………死ぬ、かな。  冗談じゃない。  誰が死ぬかよ。  こんなやつのせいで。 「愛してるよ、ミツル」  芝原は、うっとりと呟いた。  室内に、照明は灯っていない。  眩いほどの満月が、芝原の疲弊した笑顔を照らす。  芝原はいつでも俺を殺せる。  ……けれど。  目標を、そこに設定するならば。  俺だって、芝原を殺す事は出来る。  今の俺だって、芝原の細い首を締め上げる事くらい、出来る。  …………違う。殺してどうする。そんな事をすれば俺は、監禁された被害者から一転、殺人犯へと成り果てる。  そんな事じゃ、復讐になんてならない。  生きて、ここから出なくては。  ………………どうやって。  月明かりは、ただでさえ血の気の少ない芝原の顔を、更に儚く照らし出す。 「もう1回しようか、ミツル。今度はミツルの顔を、見ながらね」  微笑んだ筈の表情は、酷く脆いものに見えた。  追い詰められているのは、初めからずっと、俺の方だった筈なのに。  伸びた髪を撫でる指先の持ち主が、何を見据えているのか。  俺にはやはり、分からなかった。

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