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December 2/4

 監禁されて以降最も豪華な食事は、食べ尽くされる前に、互いの腹が限界を迎えた。  適当なところで手を止めて、芝原は出かける準備を始めた。  風呂にも入ったし、身形も整えた。今日も芝原は俺のあちこちを洗いたがったが、全く他意のない手つきだった。いつもならもっと、ペニスだの尻だの触るし洗うのに。  その辺は前回のデートとやらの時も似たようなものだったし、出がけにどうこうする気がないだけなのかもしれない。  そうなると、結局こいつと最後にヤったのは、いつだっただろうな、なんて事を思い返す。  確かあのデートもどきから1回……2回……どれが最後だっただろう。1年近い間同じ空間にいたというのに、最後まで至った事は、実はさほど多い回数ではなかった事に気付く。  芝原の多忙もあったが、一応は俺を気遣っているらしい事も、影響していたのかもしれない。  まあ、どうでもいい。  多少俺の機嫌や体調を気にかけたところで、鎖に繋いで監禁しているんじゃ何もかも台無しだ。  本当、半端なヤツ。  馬鹿みてえ。 「じゃ、行こっか」  芝原は微笑んだ。わざとらしいほど、清々しく。  俺は再度自分の服を身に纏っていた。襲われた時期とほぼ同じ頃の恰好は、すっかり日の暮れた屋外に出てもきちんと防寒着としての役割を果たしている。  むしろ芝原の方が薄着なくらいだ。これからデートだとは思えないような、着古されて流行遅れのヨレたコートを着ている。それと普段、仕事に使っている、やはり年季の入った手提げのレザーバッグ。  隣に並ぶのが俺でなく女だったとしても、クリスマスの夜なんていう特別な日を加味したって、デートには見えないかもしれない。  それももう、どうでもいい事。  白い息を吐きながら、いつか通った道を歩く。  今日も歩行者は少なく、車道ばかりが賑やかだ。  やはりこの近辺の、坂の多い道を歩き続けるのは些か骨が折れる。前回の外出で余りの体力の落ちっぷりに危機感を持ち、部屋の中で多少動くように心がけてはみたものの、満足な食事もなく鎖で繋がれた狭過ぎる行動範囲では、成果らしい成果は上げられなかったようだ。  走って逃げ去る事は、やはり難しい。  でも今日はクリスマス・イヴ。  最寄りの駅前には、小規模ながらもまだ真新しいショッピングモールがある。  そこのイルミネーションならば、足を運ぶカップルや家族連れが大勢いる筈だ。この時間なら、仕事帰りの人間もまだ沢山いるだろう。  走り去れないのなら、人混みに紛れよう。  駅前なら、どこかに隠れる事だって容易い。  そうして芝原を撒いたら、事前にチェックしていた店まで行くつもりだ。駅裏手の歓楽街、その中の一軒。まずはそこを目指す。  土地勘がまるでないので迷う可能性は大いにあるが、そこまで行けば、調べた店に限らず、現地で求人を探してもいい。どの道アポなしだ、この際片っ端から働き口はないか回ったっていい。  失敗は許されない。  前回はああいう結果で終わったけれど、もし俺が本気で逃亡を試みようとしている事を芝原が知ったら、今度は首輪くらいでは済まない場合もある。  1年も待ったんだ。  焦らずに、その瞬間を見極める。  今日も道すがらの言葉数少なく、やがて徐々に人通りも増え始めて、賑わいを見せる駅前まで辿り着いた。 「寒くない?」 「ん? ああ、俺は平気」 「そう」  俺よりずっと寒そうな恰好をした芝原は、目的地に着くなり問いかけた。  暖房のない部屋の中で、裸で過ごす事に比べたら暑いくらいだ。そんな嫌味のひとつも言ってやろうかと思ったけれど、余りにも人のいい笑みを見せるものだから、やめてしまった。  全国的に名の知られる観光スポットと比較してしまうと、子供騙しみたいな装飾だった。  それでも色取り取りの電飾は、それなりの非日常を演出していた。  道中より少しペースを落とした歩調で、駅ビルやバスターミナルを繋ぐ大きな歩道橋を行く。家路を急ぐ会社員や立ち止まって景色を眺めるカップル、やたらとテンションの高い女子高生の集団、そんな人々を横目で見ながら、馴染みのない場所の、馴染みのない光景を俺も遠巻きに望む。  夢みたいだ。  この期に及んで、そんな事を思った。  思えば去年のクリスマス直後から、俺はとんでもない1年を送っていたのだから。  俺の1年の方が、余程現実味がない。  煌びやかな地上を見下ろしながら暫し歩くと、比較的人気の少ない陸橋の隅で、芝原は立ち止まった。  欄干に寄りかかって、芝原はクリスマスで賑わう街並みを眺める。 「……早いね。もう1年だ」  ぽつりと、芝原は呟いた。  いかにも感慨深げに言う横顔は、それを祝っているようには到底見えなかった。 「…………まさかこんな1年を送る事になるとは、思わなかったけどな」  どう答えていいものか、迷いがちに、結局は素直に言った。  去年のクリスマス・イヴは、ライブをやっていた。世話になっているライブハウスのクリスマスイベントで、なかなかの盛り上がりを見せていた。  打ち上げと称して朝まで飲んで、じゃあまた次の練習でと別れて、そのあと1度か2度スタジオ練習をした。  それっきり、今に至る。  空っぽで、ぎゅうぎゅうな1年だった。 「ミツル……さ」  芝原はこの日の為に着飾った街を見るのをやめ、俺の方へと向き直る。  繰り返し呼んでいる筈の名前に、戸惑いの色が含まれていた。 「……前に、コンビニで働いてたでしょ?」  何を言い出すかと思えば。  そんなの互いに分かり切っている事。  そう思いはしたけれど、芝原が当時の事を口にするのは、初めてだ。  芝原は懐かしそうに目を細め、照れ臭そうにはにかんだ。 「ミツルは覚えてないだろうけど、客である俺にね、言った事があるんだよ。いつも遅くまでご苦労様ですって」 「……そう……だっけ?」 「うん。言ったんだよ」  全く記憶にない。でも絶対に言っていないとも言い切れなかった。  主に夜勤だったから深夜帯に来る客なんて殆ど顔見知りで、一言二言、声をかける事やかけられる事はままあった。  どうやら芝原もその中に含まれていたらしい。  けれど、そこから何らかの会話に発展したわけではなさそうだ。それなら俺だって覚えている筈。  ……まさか、それがきっかけだったとでも言うのか?  そんなよくある常連客相手の挨拶が?  それだけの事で? 「俺の職場……さ、なかなか酷くてさ」  知らず知らず眉間に皺をつくっている俺に構わず、芝原は喋る。  まあ、そこは確かに……激務である事は、1年一緒にいた俺にも、想像はついた。帰宅してからも、電話で呼び出される事がしょっちゅうだ。 「仕事そのものも嫌だったし、人間関係も嫌だったし、でも辞めるとか余所へ移るとかもなかなか出来なくて、結構、ギリギリのところまで来てて」  これは、嘘ではないだろう。  近くで見続けた1年が、そう確信させた。 「ミツルだけがね、笑って労ってくれたんだよ」  芝原は、なんとも形容し難い笑顔を向けた。  心からの笑顔と呼ぶには、余りにも痛ましかった。 「こんな話、下らないと思うでしょ?」 「…………」  そしてすぐに、苦笑へと変わる。  俺は何も言う事が出来なかった。  下らないかどうかはさておき、俺にとっては他愛もない一場面に過ぎなかった。 「でも」  芝原は、再び笑みを強めた。 「でもね、思ったんだ。じゃあこの人の為に頑張ろうって。また声をかけて貰えるように頑張ろうって。それでも環境自体は変わらなかったから、実際あの頃はもう、ちょっとおかしくなってて、顔見知りの店員が、いつの間にか好意の対象になってて、いつの間にか、恋人だと思い込むようになってて。早くミツルを迎えられるようにならなきゃって、途中からはそう思いながら過ごしてた。でもやっぱりどこかで正気な部分もあったみたいで、わざわざネットで探して改造スタンガン用意したり、運転なんて長らくしてなかったのに、君を運ぶ為のレンタカー手配したり、してたんだけどね」  ほら、やっぱりストーカーだ。  とんでもない思い込みと思い違いで、俺は酷い目に遭ったわけだ。  実にストーカーらしいと言うかなんと言うか。社交辞令を額面以上に受け止めて、あれほどの暴挙に出たというのなら、引き金となったらしい俺の取った行動を鑑みても、ちっとも釣り合ってなんかいない。  やっている事、滅茶苦茶だ。  芝原にも……今の、芝原には、その自覚があるようで、言い終えると、気まずそうに俯いた。 「君は、何が事実か分かっているんだろって言ったけど、だからその辺、結構曖昧になっていた時期も、本当にあったんだ」  最後に、弁明のようにそう付け加えて。  その言葉を、疑おうとは思わなかった。  拉致だなんて暴走を起こすに至った些細過ぎるきっかけも、効き過ぎてしまった自己暗示も、たった今零した、弁解の言葉も。  芝原の形相と、多忙ぶりを見たら、デタラメだとは到底言えなかった。  俺が恋人であると、本気で信じていた時期は、実在したのだ。 「……今は?」  短く、そう尋ねた。 「今はね、ちゃんと分かってるよ。俺が……君に何を強いていたのか」  それもなんとなく気付いていた。  この頃の芝原は、俺を監禁した当初に比べれば、随分と真っ当だった。 「…………なんで、そう変わったわけ?」  これも薄々、見当はついていた。  何しろ明らかに、芝原の生活に変化が起きていた。 「最近の俺は、そんなに忙しくないだろ? そういう事だよ」 「転職でもした?」 「してないよ」 「昇進? 部署替え?」 「どっちもハズレ」 「えっと、じゃあ……」  芝原を追い詰めた最も大きな要因は、仕事の激務ぶりにある。  その大きな原因が、このところは解消されつつあるとなれば、精神状態にも余裕が出来るのは自然な流れだ。  しかし、仕事量が減っている、その現実が指すところ、真っ先に想像する事を、俺の口から問うのは憚られた。 「……そろそろ、クビ、かなぁ」  言い出せずにいると、芝原の方から切り出した。  いとも軽々しく、自分の首元を指で横切るジェスチャーまで添えて。 「このところ受注が減っててさ。仕事量も減ったけど、給料も減ったし。まあ、元々多くはなかったけどね。そろそろ人員整理も、必要みたい。ま、会社自体がなくなる可能性もあるけどさ」  もう殆ど、自棄のようだった。  開き直って、芝原は吐露する。  誰がどう見たって、無理に笑っていた。 「だからさ。だから…………」  瞬きをして、何度か言い直して、そして改めて、俺を見て、そして、笑って。 「ごめんね、ミツルとはもう、暮らせない」  芝原は、そう告げたのだった。 「今までごめん。謝って済む事じゃないのは分かってる。いいよ、警察に突き出すでもなんでも、君の好きなようにしてくれて」  いつになく饒舌に、真正面から、芝原は言う。  俺は正直、驚いていた。  芝原の帰りが早くなった理由をあれこれ推察した時に、その可能性は確かに考えた。もしかしたら、なんて考えはした。  一方で羽振りが良くなったようにも見えていたから、確信があったわけではない。だからさほど深刻に原因究明にあたっていたわけではない、これも事実だ。  ただ、いずれにしろ、金銭面を理由に別れを切り出すとは思っていなかったのだ。  あれほど無理に無理を重ねて、それでも俺を繋ぎ止めて、俺を好きな事だけは真実なのだと言った芝原が。  今更経済的な理由で、この生活を終えようなどと。 「これも、返すよ」  渡されたのは、随分と懐かしく感じる古びた財布と、電源の切れた携帯だった。  簡単に財布の中身を確認する。  所持金2万4千円。  記憶を穿り返す。  給料日のすぐあとだった事を考えると、大体こんなものだった……と思う。  金に困った芝原が、手をつけた痕跡はない。  俺を一生閉じ込めておく気があったなら、その覚悟を持っていたなら、俺の金なんて、取っておく必要はなかった。  …………なに、これ。  つまり……これは……  財布を、返す予定はあった……?  俺を解放するつもりが、あった……? 「滅茶苦茶だったけど、酷い事いっぱいしたけど、結構、楽しかった」  芝原は早くも思い出を振り返っている。 「だからもう、思い残す事はないよ」  挙句、そんな事を言い出した。  楽しかったから、思い残す事はない?  だからもう、逮捕されようが前科がつこうが、どうだっていいとでも言うのか。  それはお前の感想だろう?  お前の、勝手な。 「お前は、これからどうする気だ」  財布も携帯も、手に持ったままで、語気鋭く問いかける。  欄干を背にし、それ以上下がる事など出来ないのに、後ずさったように見えた。 「どうって……ミツル次第だけど」  自分は、やりたい事をやった。  あとは俺の番だ。  まさかお前、そんなつもりで、いるんじゃないだろうな。 「俺がもし、ここで一切をなかった事にして立ち去ったら?」  その選択肢は、俺だって考えた事がある。  こんなやつ、一刻でも早く関わりを絶って、なかった事にしてしまうのが最良なんじゃないかって。  芝原だって、考えた事はある筈だ。  互いに何もなかった事にするという、最も傷の浅い未来を。 「そうしたら……あの部屋ももう必要ないし、維持費もかかり過ぎるから、もっと安いところに引っ越して……まあ、新しい仕事でも探すしかないね。俺なんかが就ける仕事がすぐ見つかるかは分からないけど。少しは金も貯めてたんだけどさ、もういいやって、ここ数ヶ月で殆ど使っちゃったし。どうせもう、俺は犯罪者なんだしって」  思い込んだのも、攫ったのも、閉じ込めたのも、お前のくせに。  やっぱりまだお前は、俺の振る舞いのせいにしようって言うのか。  どうせ? どうせもう?  ふざけんなよ。  お前はやりたい事をやりきったのかもしれないけどな、俺はどうするんだよ。  俺はまだ、バンドだって続けていたかったし、音楽で食っていく夢も捨てたわけじゃなかったんだよ。  そりゃあ少し前から限界は感じていた。年齢的にも、そろそろ引き際である事は分かっていた。  でも、それを決めるのは俺である筈だった。  肉親でも友人でもない人間に、強引に奪われて、終わってしまったんだ。  気が済んでいるのは、お前だけだ。 「俺がお前を、訴えたりすると思ってんだ?」  俺は不利益を被った。正当な手順を踏むのなら、そういう事になる。 「そりゃあね。それだけの事、したもの」  芝原は何もかも悟ったような顔であっさりと言い放つ。  罰なら受けるとでも言外に告げているようだった。 「…………分かってないな、お前」  自分でも驚くほど低い声だった。  芝原を睨みつける。  睨んだところで、動じる事はなかった。  全く、少しも、これっぽっちも、お前は分かっていない。 「だって許される筈ないでしょ? 俺は君を」 「ああそうだな。だから、そんなすぐには、お前をどうするかなんて決められない」  そう、俺はお前を許さない。  それは間違いない。  だけど法的な手段を取るには、俺はまだ色んなものを失わなくてはならない。  こいつにされた事を、見ず知らずの第三者に白状しなくてはならない。  自ら追い討ちをかけられに出向いたところで、こいつに下るのは法の裁きなんていう、俺の憤怒も憎悪も直接及ばないものだ。  そんな事で、俺の気は晴れやしない。 「とりあえず……免許証でいい、寄越せ。普段は車乗らねえんだろ? 不便はないよな? 携帯番号も書いておけよ」  我ながら冷静な判断だ。  まずは、間接的に捕らえておく。  ここで交番や警察署に連れていってしまえば、もう俺はこいつに手出しを出来なくなってしまう。 「……免許? 何をするつもり」  芝原は警戒するように、僅かに眉を顰めた。 「さあ? あとから考えるさ。いいだろ? クリスマスプレゼントだ。それともお前は、そんな紙切れ1枚くれないって言うのか?」  渡せないなんて言わせない。拒否権なんて与えない。  紙切れ1枚でも、立派な身分証だ。まさか偽造という事もないだろう。こいつは俺に関して以外、悪事など働ける人間ではない。  本来は単なる、ありふれた小市民の筈だ。 「…………分かった」  ややして芝原は頷いた。  ポケットから草臥れた財布を取り出し、金色のラインの入った免許を抜く。  別のポケットを探りボールペンを見つけ出すと、裏面に携帯番号と思しき数字も書き綴った。  言葉もなく、カード状のそれを渡される。 「それじゃ、ありがたく」  受け取った免許証を、手元に戻ったばかりの財布に入れた。  今はまだ、こいつの画期的な利用方法は思いつかない。これからじっくりと考えるつもりだ。  でも芝原は暫く、少しくらいは怯えて過ごす事になるだろう。  俺がこいつの免許を悪用しても、ただの一般人である芝原に有効な自衛手段はない。なんなら毎日この電話番号に電話して、恨み言を吐いてやってもいい。今の芝原なら、それだけでもダメージになり得る事だろう。  その証拠に「クリスマスプレゼント」を渡してしまった芝原の表情は、険しい。  物理的に拘束される事もなく、いつ訪れるとも知れない報復に怯えるのは、なかなかに不安な状態である筈だ。 「じゃあな芝原。メリークリスマス」  強かに笑って、芝原に手を振った。  芝原はもう、無理に笑う事もしなかった。  ただ最後までじっと俺を見詰め、静かに涙を流していた。

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