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第20話
「大人になりましたねぇ」
助手席の神原は、タブレットを弄りながら笑う。嘲笑する神原に後部座席に座る万里は鼻を鳴らすだけで、何の反応も見せなかった。
「慰めたろうとかあらへんの?」
「今は忙しいですからね。相内会が出てきたんですから」
「冷たい奴やな」
「優しいですよ」
どの口が言うと思いながら、窓の外の暗闇に目をやる。
サングラスを少し上にズラしてみると、暗い窓に黒っぽい両目が映る。こうして見ると黒いのにと思っていたら、対向車のヘッドライトが車内に飛び込んで来て、一瞬、明るさが出た。
その時に窓に映る目は、やはり赤かった。
「キモ…」
自分でも思うのに、何度も綺麗だと言われた。そう言われる度に、万里はどうしていいのか分からなくなるのだ。
「気持ち悪くないですよ」
「人の独り言、聞かんといて」
「おや、独り言でしたか」
神原は相変わらずタブレットを弄くり回している。視力が余計に悪くなるぞと、ルームライトをつけてやった。
「分厚い眼鏡に替えたいん?」
「優しいですねぇ」
思ってもないくせにと、万里は頬を膨らませた。
「ほんで、衣笠の言うてた奴、大丈夫なん?」
「そうですね、情報料は若干値が張りますが、使えそうですよ」
「日本人?」
「いえ、3世ですね」
「ふーん。なぁ、心の事、売れば良かったって思うとる?」
「売る気、あったんですか?」
思ってもないことを聞くのを好まない神原は、質問を質問で返してきた。いつも万里がそれをすると、質問を質問で返すようなアホな女の真似をするなと怒るくせに。
だが万里の度が過ぎるとも思える家族意識は、どこの誰よりも神原が一番理解している。なので万里の質問は愚問だというものだった。
「売る気はなぁ…。まぁ、俺が売ったところで、心がええよって言う訳あらせぇへんもんなぁ」
あの心が、明神組のというよりもBAISERのことで動くわけがない。明神にみかじめ料を払っている訳でもない、ただ縄張りに店を構える一流ホストクラブというだけだ。
そのBAISER絡みで問題が起こっているので解決するためにも取材受けてあげてと言ったとして、心が何と答えるかなんて火を見るよりも明らかだ。
まさに愚行だ。
「はーあーあ、やて、相内会に香港マフィアにって、みんな、頑張りすぎやないの」
次から次とトラブルというのは尽きないものだ。恐らく、世界は人が思うよりも悪人で溢れていると思う。
多分、悪人のほうが多い。その数の分、トラブルが多い。なので、尽きない。
善と悪のバランスがあるとすると8:2の割合で悪が勝りそうな気がする。だが、どこまでが善でどこまでが悪なのか、その裁量は人によって違うので一概にその割合が共通するとは思えない。
「悪か、善か…」
そっと呟いてみて、あれ?ちょっと疲れてるのかなと自嘲する。今まで、そんなこと考えたことがなかったのになと。
「多分、世界的に見たところで、この国で私達のような生業の人種は生き難い状態になっています。小さい力のない組は潰され、かといって力を付けるために下手な動きをすれば潰され…。なので存続するために、皆、必死なんでしょうね」
「そんなん聞いたら、明日は我が身やん。でも、お前は何か楽しそうやな」
「楽しいですよ。私は拳の方は全然ですが、どう潰そうかと考え、相手の逃げ道を絶って追い込むのは大好きですから」
変態と声に出さずに口だけを動かす。この辺は神原も極道だなと思う。
この家業は嫌いではない。寧ろ、自分の性分に合っていて、こうなるべくしてなったと思っている。
ただ、たまに迷うときがある。だが、迷いが出ると背中を刺されるのだ。それがこの間の大怪我だ。
「誰かと手合わせしたい。掃除に出たい」
ぽつりと万里が言うと、神原はタブレットを弄る手を止め目線だけ後ろに向けた。
「…今はやめとけ」
神原の返事に、万里はそうですよねぇと笑った。
雷音はBAISERの正面入り口から外に出て、辺りを見渡した。いつもと変わらない情景は、夜の街らしく賑やかで華やいでいる。
だが店がよく見える位置に停まる高級外車が、いつもとは違う事を物語っていて雷音は息を吐いた。
数日前の騒動から一変したことと言えば、毎日居る、あの高級車の存在くらいだろう。
「どうかしましたか?」
美田園が、珍しく気分が滅入っているように見える雷音に首を傾げた。
美田園の怪我は大した事はなく、あの日に軽い治療を受けただけで直ぐに現場に復帰した。さすが黒服を纏めるリーダーだけあって、鍛え方は別物だ。
だが口の横を赤黒く染める痣が痛々しい。
「何か、監視されてる感じが好きじゃないなーって」
「そうですね。ですが、うちとしては何かあっても相手に手出し出来ないので、助かります」
「…だよね」
またいつ相内会が乗り込んでくるのか分からないので、番犬よろしく見守ってもらえるのはありがたい。
しかし明神とここまで近づきすぎるのは、どうかという疑問は残る。
極道と密になりすぎる関係は、マイナス面が大きくなることがあってもプラス面が大きくなる可能性は低い。かといって、相内会のことを蓮や雷音でどうこう出来るわけもなく…。
「利害が一致しないのに、頼らないといけないなんてなぁ」
「世界の違いですよ」
「ん?」
「それぞれの世界があって、それぞれの世界のルールがある。その世界のルールが通用するのは、やっぱり同じ世界のルールに生きる人間で、他の世界の人間ではどうにも出来ないものです」
「そうだね…」
住む世界の違いを思い知らされているようで、雷音は言葉少なに返事をした。
あんな事件があった今でも、BAISERは賑わっていた。刺激欲しさ、物珍らしさが勝る者も居れば、そういうトラブルに慣れてしまっている客も居る。
巨万の富を得るということは、それだけハイリスクも伴うということだ。
「俺、人間不信になりそう」
バックヤードで呟く雷音に、奏大が目を丸くした。
ソファに寝転がり、ブランデーの入ったグラスの中の氷を指で遊ばせながら、珍しくぼんやりしてるなと思った雷音の言葉がそれだ。さすがの奏大も言葉に困っていた。
「えっと、何か嫌なことあった?いや、嫌なことだらけよな。この間の大騒ぎもせやし」
「悪い。変な事、言った」
雷音が頼りなさげに笑うので、奏大は寝転がる雷音に跨って、その整いすぎた顔を覗き込んだ。
「弱ってる雷音って可愛いなぁ。弱味につけこむでー」
笑ってブランデーのグラスを取り上げ、軽いキスをしてくる。雷音はそれに笑って、奏大の額を指で軽く弾いた。
「じゃあ、慰めてよ」
「ええよー、何して欲しい?」
「…店終わったら、付き合ってくれたらいい」
「お!飲みに行くん??」
「いや、ホテル」
「へ…?」
予想外の言葉だったのか、奏大が固まった。だが、雷音は固まる奏大の頬を指で軽く摘んで、変な顔と言った。
「あー、わかった。ホテルのバーっていうオチやろ」
「バーじゃなくて部屋。部屋飲みでもなく、そういうの目的」
「ちょ、ほ、本気?」
「ダメならいいよ」
「ダメやあらへんし!い、行くもん」
「じゃあ、決まり」
奏大を身代わりにする気かと頭の中の冷静な自分が責めるように言うが、冷静でない自分が仕方がないだろうと畳み掛けてくる。
勝手に裏切られた気分になって、なのに近くに存在を感じていて、もうどうにもならないのだ。
あのルビーはまさしく魔性で、雷音はその罠にどっぷり嵌って抜けれなくなっている。ここから抜けられるのならば何でもいいなんて最低なことを思いながら、それを止めることは出来なかった。
平日の営業は上客が来ない限りは時間通りに店を閉めれる。今週の売り上げも、この分であればいつも通り問題はなさそうだ。
だが蓮の機嫌は相変わらず悪いし、安曇は以前にも増して暗い。
自分に責任があると感じているせいもあるだろうが、ただでさえ平常営業とは言い難い明神の護衛付きという状態なのだから、気持ちを切り替えてもらわないと他のスタッフにまで影響が出てくる。
雷音が言わずとも蓮はそれを分かってはいるだろうが、今すぐどうこう出来る問題でもないのでどうしようもないのかもしれない。
店の賑わいとは真逆に、どこか重苦しいミーティングもそこそこに、雷音と奏大は裏口から店を出た。
店の裏口を出たその近くにも見慣れない車が止まっていたので、四方八方を明神が固めているという感じに思わず笑った。
「要塞みたいだな」
「こんな厳重にせなあかんもん?」
「さぁ、裏の世界のことは分からないけど…。でも、あの感じだと相内会は無茶しそうだもんな」
「ふーん」
奏大はそれどころではないのか、適当な返事をして俯いた。雷音はそれに気が付いていたが、敢えて見ない振りをして、奏大の手を取った。
「え!?」
「逃げられそう」
「に、逃げへんし!」
奏大は大きな声でそう言って、反対に雷音の手を力いっぱい握り返した。
「腹減ってる?」
「え?いや、減ってへん。今日は真由美さん来たから」
「ああ、証券会社社長の。お前、気に入られてるよね」
真由美とは、若くして証券会社社長に就任した客で、2年ほど前からBAISERに通っている上客だ。
奏大をお気に入りとしていて、来るときは手料理弁当を持参してくる。だが、奏大を胃袋から掴もうとしているわけではなく、純粋に奏大の食べっぷりが好きだという客だ。
基本的に持ち込みは遠慮してもらってはいるが、良い酒を入れてくれるので蓮もそこは目を瞑っていた。
「真由美さんって、抜群に料理上手いよな」
「うん、俺、真由美さんのからあげが好き」
「ああ、おろしのかかったやつ?」
「からあげ全部!揚げ方が絶妙やもん。毎回入れて言うたら、喜んどったわ」
奏大は無垢だと思う。見返りを求める事なく、思った事や感じた事を素直に言葉にする。
その言葉に嘘偽りはなく、そして下心もない。そういうところを客は好む。これがNO.1である雷音との差だ。
飾り付けられた雷音を好むか、無垢の奏大を好むか。
所詮は造られた男なんだよなと、ホストの雷音であることに虚無感を感じてしまう。自分で選んだ道とはいえ、一体、自分とは何なのか自問自答してしまうときがあるのだ。
「雷音?」
黙り込んだ雷音に奏大が心配そうな顔を向ける。それに雷音は何でもないとはにかんでみせた。
さすがに男二人、しかも界隈では名の知れた雷音と奏大が連れ立ってラブホテルに入るわけにもいかずに、選んだのは少し高級なビジネスホテル。
最上階のバーが人気で、ここなら誰かに逢ったとしてもバーに来たと言い訳の出来るホテルだ。
とりあえず奏大をラウンジに行かせて、雷音は部屋を取りにフロントへ行く。
罪悪感だけが重くのしかかるが、それに気が付かない振りをして奏大を連れて部屋へ向かった。
エレベーターに乗り、部屋の階のボタンを押す。
今なら最上階のバーにだけ行って、やっぱり止めておこうと言えるのに、雷音の口からはその言葉は出なかった。そして、奏大の口からも出なかった。
常日頃から雷音に好きだ好きだと言っているくらいなのだから、奏大から断ることはないだろう。
そう思うことがいかに最低なことか嫌というほど分かるが、この何とも言えない虚無感が止まるのならと目を瞑った。
「へぇ、なかなかいい部屋」
グレードがそこそこの部屋は、以前、万里と来た部屋には劣るものの、夜景が一望できる情景は満足出来るものだ。
セミダブルのベッドが二つ、細かい刺繍の施されたベッドカバーが綺麗にかけられていて、その間にナイトテーブルに置かれたライトが淡い光を灯していた。
「どうする?シャワーする?」
「あ、先に、入ってええ?」
「いいよ、俺、ちょっと飲むわ」
コートを掛けて、ナイトテーブルに置かれたメニューに目をやる。と、いつまでも微動だにせずに固まる奏大に気が付き、雷音はメニューをベッドに放った。
「やっぱ、やめとく?」
雷音も鬼ではない。さすがにこんな奏大を見たら、不憫に思ってしまった。
自分の欲望の捌け口に、奏大の気持ちを利用しようとしているのだ。それがどれだけ奏大にとって酷な事なのか、雷音が分からない訳はない。
「…雷音は、俺のこと、好き?」
「…好きだけど、それが愛情なのか…ハッキリしない」
「ふふ、俺、雷音のそういう正直なところが好き」
奏大はニッコリ笑ってそう言うと、コートを脱いだ。
「シャワー、浴びてくる」
奏大は先ほどの緊張が解けたような表情で、バスルームへ向かった。それを確認して、雷音は”最低”と呟いてベッドに寝転がった。
何をしてるのかと自分で呆れる。だが、万里の熱を消したかった。あの魔性のルビーの記憶を、全部、記憶から消し去りたくて、それだけを考えた。
雷音は大きく嘆息するとベッドの上に置いたメニューを手に取り、備え付けられている電話を手にした。
「ルームサービス取ったん?」
シャワーから戻った奏大は、雷音のラフな姿に頬を染めた。ジャケットもネクタイも外して、シャツのボタンをいくつか外した雷音はセクシーで男の色香を存分に漂わせている。
日本人離れしていると、その容姿から思ってはいたが、シャツの隙間から覗く胸板を見るとそれを更に強く感じた。
筋肉の付き方や、肌の色合いが普通とはどこか違っているように見えるのだ。
モデル顔負けの容姿も絵画のように、まるで描かれているように付いた筋肉。どれをとってもみても、何もかもが次元が違うと思うほどに完璧だ。
「何?」
あまりに奏大が凝視してくるからか、雷音が困ったように首を傾げた。
「え、あ、いや、何か、日本人みたいやあらへんなぁって」
「ふっ…日本人だよ。じゃ、俺もシャワー浴びてくる」
雷音は飲みかけのグラスを奏大に渡すと、その頭を軽く撫でた。
「風邪引くから、ベッド暖めといて」
そう言って、頬にキスして雷音はバスルームへ消えた。
「何あれ、俺のこと、殺す気やろうか」
奏大は真っ赤になった顔を元に戻すべく、雷音の飲み残しの酒を一気に煽った。
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