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第21話

シャワーを浴びて戻ってきた雷音はベッドの上でバスローブ姿のまま正座をしている奏大を見て、思わず吹き出した。 「何してるの?」 「あ、あの、どうしたらええんか分からんくて…」 「ゆっくりしとけばいいのに」 雷音はくつくつと笑ってベッドに近付くと、奏大の隣に腰掛けてナイトテーブルに置かれたボトルを手にした。 「これ、結構、美味かった」 「白州?って書いてる。ウイスキーやんな」 「そう、シングルモルトウイスキー。奏大はワイン専門だもんな、あんまり知らないか。でも、飲み心地は悪くないだろ?」 「どうやろ…?」 酒の味どころではありませんという感じの奏大は、曖昧な返事だけして俯いた。 まぁ、緊張するのも無理はないかと雷音はボトルをナイトテーブルに戻して、部屋の灯りを消した。途端、ナイトテーブルのランプの仄かな灯りだけが部屋を照らし、奏大は不安気に目を泳がせた。 「あー、聞いておきたかったんだけど…」 「え?」 「奏大って、ゲイ?」 「あ、えっと、そうなんかなぁ?」 奏大はどっちつかずな返事をして、小さく笑った。 「ん?」 「実は、同性を好きになったんは雷音が初めてやねん。でも、俺…ちゃんと女の子を好きになったこともないねん」 「そうなの?え、じゃあ、」 「いや、彼女もおったし、そういう関係もあるし。好きって思ったりもしてんけど、何か違うくって。でも、女の子って可愛いし好きやって思うねんけど…。多分、店の連中とかその辺の男が誰かを好きっていう好きと、俺の好きってちゃうような気ぃする」 「loveとlikeみたいな?」 「うーん、そんな感じなんかなー。何か、軽薄やんな、これって」 「そうでもないよ。俺もそうだし」 そうなん?と驚く奏大に、小さく笑う。 人を、誰かを、そして、愛だとか恋だとかが一番無縁だと思っていた。そして今でもそれは思う。 なら万里へのこの言いようのない気持ちは何かと聞かれると、万里が魔性だから、あのルビーが魔物だったからと実感性のない答えしか返せない。 「雷音?」 難しい顔をしていたのか、奏大が戸惑った顔で雷音の顔を覗き込む。それにごめんと笑顔で返し、頬にキスをした。 彼女も居た、そういう関係もあった。でも、同性を好きになったのは初めて。イコール、同性とのセックスも初めてということだ。ならば優しくしないとなと、奏大の唇に啄む様なキスを落とした。 ちゅっちゅっと小さなキスを繰り返しながら、奏大の身体をゆっくりとベッドに倒す。 唇、頬、首とキスを落としてみたが、緊張が解けないのか恐怖にか、その身体はがちがちに固まっていた。そんな奏大に、いざベッドに押し倒してみたものの、その手には迷いが出てしまっていた。 「怖い?」 「はは…、怖ないって言うたら嘘になる」 小刻みに震える手で顔を覆う奏大のそれに、口づけを落として、ごめんと囁いた。 ゆっくりとローブの結び目を解いて、胸元を開けさせる。心臓が早鐘を打つのが触れた指先で感じて、落ち着かす様に掌でそこを撫でた。 「すげぇ、心臓」 「…ん」 肌の肌理を確かめる様に胸元で指先を遊ばすと、擽ったさから奏大が身体を捩って笑った。 「くすぐったいっ」 背中を向ける奏大のローブをぐっと引っ張って、露になった背中に舌を這わす。それに奏大が驚いた声を上げたが、そのまま乱暴に唇を奪った。 後ろから噛み付く様に仕掛けた口づけに、奏大も必死に応えてくる。舌を絡ませて卑猥な音を部屋に響かすと、そのまま飾りっ気も何もない胸元に手を這わした。 優しく、時間を掛けてと思っていたものの、時間を掛ければかけるほど迷いが自分を追い越しそうで、雷音は貪る様に奏大の身体を撫で回した。 「ん…」 口づけを離さぬまま胸元の飾りを指先で転がすと、ツンと芯を持って立ち上がる。それをやんわりと摘むと、腰の辺りが跳ね上がった。 そのままの状態で反対の手を臍から下へ這わして初めて、違和感を覚えた。だが気のせいだろうと、口づけを離して首筋に舌を這わす。 ようやく口づけを離された奏大が、はーっと大きく息を吐いて、シーツを握った。 「う、んっ…」 首の後ろ側に吸い付き、見えない場所に赤い花弁を咲かした。ぎゅっとシーツを握る手に手を重ねて、奏大と名前を呼ぶと困惑する瞳と目が合った。 「無理してる?」 雷音の言葉に奏大の瞳が大きく歪んだ。そして崩れそうな泣きそうな顔を見せて、フッと笑った。 「無理してへんけど…ごめん」 奏大はそう言うとベッドに突っ伏してしまい、雷音も同じ様に息を吐いた。 気持ちが恋愛のそれと思っていても、いざ身体を重ねるとなると全てが異なる。堅い筋肉が所々に当たり、骨張った身体に抱きしめられた瞬間に嫌悪感を抱くのも仕方がない事だ。 同性愛者でなければ興奮よりも嫌悪感が勝るだろう。それを責めるつもりもない。 一線を越えずに済んで、雷音もようやく気が抜けたのだ。 「男同士って、リアルに感じると無理になるのも仕方ないよ」 雷音は奏大の隣に転がると、ナイトテーブルに置いた煙草を口にした。だが、奏大はただ頭を振って”違う”と繰り返した。 「俺、雷音のこと、大好き」 「うん」 「でもな…、俺、…な、その、勃起障害やねん」 「……は?」 思いもよらぬ告白に、雷音はマヌケな声を上げてしまった。それに奏大が笑って、雷音の火の点いていない煙草を取りあげると、そのまま灰皿に戻し雷音の胸元に頭を置いた。 確かに雷音が奏大が無理をしていると感じたのは、奏大のペニスが萎えたままだったからだ。息も荒く、興奮しているのかと思ったが、そこは全くと言って良いほどに反応していなかった。 まさか、それが…。 「勃起障害。インポテンス…」 「そう、なの?」 「もう、ずっと…」 「ずっとって…。医者に行ったのか?」 「行ったよ。漢方薬も謎の薬も全部試した。けど、ぜーんぜん、ピクリとも反応せんねん。原因は分かってんねん」 「分かってるのか?」 雷音の驚く顔に奏大は困った様に笑う。そして大きく息を吐いて、うん、と小さく頷いた。 「俺のは精神的なもんやて」 「精神的?」 「俺な、BAISER来る前…出張ホストやってん。身体ありきの」 「…まぁ、珍しくはないだろ」 BAISERのホストは蓮の勧誘が多いが、その過去を語る者は少ない。 黒服はホテルのコンシェルジュをスカウトしたりと様々だが、全員が全員、そういう過去という訳ではない。現に、美田園とは親しくしているが、その過去を雷音は知らない。 語らないという事は、知られたくない事だと解釈している。なので敢えて聞いたりしないのだ。 「俺だって、知られたくない過去もあるよ」 「…うん、でも、俺、もともと高校生の時に家がごたごたして、金稼ぐ必要があって出張ホストしててんけどな。そん時に大学生の彼女と付き合うててん。でもホストしてることは言われへんし、でも辞められへんし、金欲しいしで上手い事いかんようになってきててん」 奏大はぽつりぽつりと話始めた。雷音は胸の上にある小さな頭を撫で、少し冷えてきた奏大と自分の身体に布団をかけた。 「女は察しがええやん。浮気とかっていうより、俺の気持ちが離れとるってことを敏感に察知してなぁ。ある日、呼び出されてん。もう潮時かなって思うてたら、子供が出来たって言いよって」 はーっと、奏大がここ一番で大きな息を吐いた。思い出すだけでも辛いのか、表情が歪んでいたので雷音は奏大の頬を撫でた。 「俺、それ好き…。雷音に撫でられんの」 奏大は雷音にぎゅっと抱きついて、頼りなさげに笑った。 「子供出来た言われても、俺もまだ高校生やし、結婚とか無理やし…。どないしてええんか、訳分からんくって。そんでまだガキやったから、そんなん困るって言うてもうてん。ほんなら見た事もない顔して狂ったみたいに喚き散らして、気が付いた時には血塗れ」 「え!?」 「刺されてん」 奏大は笑って布団を捲ると、腰の辺りを指差した。薄暗い中、気が付かなかったが奏大の腰に大きな傷跡があった。脇から腹まで長い傷だった。 「マジ…」 「刺されたんは小さいもんやってんけど、内臓が傷ついてるっていうて医者に腹裂かれてん。もう、ビックリやで。女は傷害で逮捕。もちろん妊娠なんかしてへんかった。そっからや。ピクリともせんようなってん」 「妊娠、か」 「ガキの俺にはトラウマにするのにもってこいのワードやったわけ。しかもその上、刺されたもんやから止めの一発食ろうた感じ?その後にええ感じになった子とベッド入ってんけど、興奮よりも”妊娠”とかのワードがガンガンきてもうて出来ひんくって、やから快楽主義のバイセクシャルって言うててん」 「誰かが治してくれると思ったのか?」 「うーん、それもある。でもバイセクシャルなんは、多分、そう。もともと性別に拘りはなかったし。それにこうなったから女が怖いっていうのもあんのかして、女よりも男がええって思ってまう」 「BAISERは蓮さんに誘われたんだろ?」 「売りしてるときから、目ぇ付けてたって。金もええし、枕がないんが一番ええ。客も上品やから、枕してって言うて来んのもええ。二つ返事でOKしたもんな」 「そっか…」 「俺、雷音のこと、好き…。でも、勃たんの、悔しい」 泣きそうな顔をする奏大を抱きしめて、雷音は奏大の額に口づけた。そんな雷音の背中に手を回して、奏大は何度も雷音の名を呼んだ。 こんな、身体にも心にも傷がある奏大を更に傷つけるところだった。雷音は自分の愚かな行為を責めた。最低だと。 「奏大、ごめんな」 俺、最低だわと続けると、奏大が何度も頭を振った。 奏大も気が付いているのだろう。雷音が自棄になって奏大を抱こうとしていたことを。だが、それでも雷音と一緒になれるならと思ってくれたのだ。 市内某所、立ち並ぶビルのなか、一際、際立っている建物が相内会稲峰組の本部である。柴葉はそのビルの最上階で組長である稲峰一徹の前に立っていた。 稲峰一徹は磨きのかかったゴルフクラブを天井に向かって掲げると、納得した様にテーブルの横に立てかけた。そして、がっちり撫で上げた黒髪を、指先で乱れがないかを確認すると煙草を口にした。 「あかんかったってなぁ?お前、甘いんちゃうか?壱祈」 「すいません」 黒で統一された壁とデスク。真っ白のタイルの埋め込まれた床。そして稲峰の座る席の後ろに掛かる絵画はいつしか美術の授業で見た事のあるものだったが、それがどの時代の誰によって描かれた何という名の作品なのかを柴葉は知らない。 稲峰の両隣に立つ男二人は稲峰のボディーガードで、その屈強さは組の中でも抜きん出ている。 しかしこの男達のことも、この絵画と同じ様に柴葉は知らなかった。どこの誰で、一体、どういう経緯で稲峰のボディーガードになったのかを。 だが稲峰は常にこの二人を傍において、我が身を守る。そして何よりも、柴葉とは決して二人っきりになることはしなかった。 「金の卵、お前が取られへんのやったら、俺が出てもええぞ」 「いえ、今回はイレギュラーなことがあったので」 「イレギュラー?」 「…明神組が絡んできました」 「みょっ!」 稲峰がぎょっとした顔をして柴葉を見た。思ってもみなかった名前だったのか、火を点けたばかりの煙草を灰皿に投げ捨てると苛立ったように机を指先で弾き始めた。 「こないだ五嶋が鬼頭組の島で下手こいたばっかやぞ!これ以上、仁流会に目ぇ付けられたら一気に畳み込まれてまうやないか!お前、まさか明神とやり合うたんやないやろうな!」 「まさか。明神のルビーと対面してきただけです」 「明神のルビー?…噂の若頭か。にしても明神組はあかん。仁流会の番犬やないかっ!お前、そんな正当性なやり方やのうて、その金の卵さっさと攫ってきてまえや!出さすもん出させたら、始末するんは簡単なんやぞ!」 「分かってます」 「分かってんねんやったら、さっさとそれ連れてこんか!!」 稲峰はデスクの灰皿を掴むと、柴葉に向かって投げつけた。柴葉はそれを避ける事なく、額に当たり床に転がった灰皿を拾うとデスクに戻し、頭を下げた。 「今月中にお前がどないも出来ひんかったら、比留間らがその店襲撃するさかいな、覚えとけ!!」 柴葉はまた、頭を下げると部屋を後にした。 部屋を出た瞬間、骨が鳴るほどに拳を握りしめ、唇を噛み締める。わなわなと震える身体を落ち着かせる様にゆっくりと深呼吸をして、視界を赤く染める血をぐっと拭った。 「どいつもこいつも…くそっ!明神のルビーめ…忌々しい」 柴葉はあの燃える様な赤い目を思い出し、舌打ちをした。 「柴葉さん」 後ろから急に声を掛けられ、柴葉はハッとして振り返った。そこに居たのは柴葉の右腕である五十棲 望海(いそずみ のぞみ)だった。 柴葉の側近として務めて長い男は、柴葉より3つほど年が下で柴葉と違い寡黙で物静かな男だ。その容姿は独特で折角、高く筋の通った鼻筋と、筆でも引いたようにくっきりとした二重の瞳があるのに、左側だけ長い前髪が顔半分を隠してしまい鬱陶しく見える。 しかしその髪の下に隠された顔を見れば、誰もがその鬱陶しい前髪を早く戻せと言うだろう。事情を知らない人間からすれば、五十棲の左側の顔は”醜い”と評されるのだ。 「自分が居ない間に、一人で動かれては困ります」 「るっせぇな、ちゃんと舎弟連れていったわ」 「柴葉さん」 五十棲は柴葉の前に素早く回ると、額から滴る血をスーツのポケットからハンカチを出して、それを拭った。 「毎回毎回、組長が投げる物を全て受けるつもりですか?」 「明神のルビー、見たで。あれ、お前でも勝たれへんかもな」 柴葉はその五十棲の手を叩くと、フンッと鼻を鳴らした。 「お前のその甲斐甲斐しい女みたいなとこ、大嫌いやわ」 「申し訳ありません」 深く頭を下げる五十棲に舌打ちして、柴葉は廊下を一人で歩き出した。

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