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第22話
朝日が目に沁みるというよりも心に沁みると、まだ顔を出したばかりの太陽の光を見て、雷音は顔を歪めた。
別に何かをしたわけじゃないのに、こんなにも後ろ暗い気持ちになるのは何だろうなと嘆息する。だが、全て自分が派手に蒔いた種のせいだと息を吐いた。
「雷音、これ」
後ろに居た奏大がサングラスを差し出す。恐らく、色素の薄い目には日光が刺激が強いと考えたのだろう。
まぁ、それはその通りなわけで、雷音は遠慮なくそれを掛けた。
あれから何かをすることもなく、二人して眠りについた。二人とも仕事の疲れと、妙な緊張が解けて気が緩んだおかげでぐっすり眠り、朝の目覚めは最高だった。
そして早めのモーニングサービスを受けて、まるでこれから仕事に出るサラリーマンのように二人してホテルを出たものの、出で立ちがサラリーマンのそれとかけ離れすぎていて反対に怪しい商売の人間のようだった。
「どうする?って言っても、夜も仕事だしな。帰るか」
「あ、うん」
このまま一緒に居たところで、どうしようもないしなと雷音と二人でタクシーでも捕まえるかと思っていると、目の前に黒塗りの高級車が数台流れ込んできた。
あまりの台数に奏大が驚いて雷音の後ろに隠れ、雷音も数歩後ろに下がった。
何事だと思っていると、停まった車からいかにものと言わんばかりの装いの男達が降りてきて、3台目の車の前、ちょうど雷音達の前に停まった車の後部座席のドアの前で花道を作り出す。
おいおい、マジかよと奏大を後ろに隠したまま、更に数歩後ろに下がると花道を作り上げていた男の一人が雷音達に気が付き近寄ってきた。
「おい、悪いけど、退いてんか」
雷音と変わらない身長の男は、雷音にそう言ってきた。だが雷音と奏大は退けと言われても、右も左も前もそういう連中に囲まれた状態でどこに?と反対に聞きたかった。後ろは壁で逃げ場もない。
困惑している雷音達に男は人差し指を口の前で立てて、静かにしとってなと人懐っこい顔を見せて言った。
ガチャっとドアが開く音がする。反射的にそこを見ると、男が降りてくるところだった。
想像では、今どきそれですかというパンチパーマにダブルのスーツ。年の割に体格は良く、だがどこか重たそうな身体の50くらいの年の男を想像していたのに、降りてきたのはやけに若い男だった。
”野性味溢れる”とは、多分こういう男のことをいうのだと思う。
猛禽類を彷彿とさせるような鋭い眼光。思わず目を逸らすほどに、それは強く鋭いものだった。
男は雷音達を一瞥することなく、そのままホテルへと入っていく。花道の男達は綺麗に頭を下げたまま。なんなら自分たちも下げましょうか?というほどに下げてない雷音達の方が間違いのような異様な光景。
男が見えなくなったところで、ようやく下がっていた頭も戻り、今度は一斉に動き出す。まるで軍隊だなと、知らず知らず息を止めていた二人は、ほう…とゆっくりと息を吐いた。
「成田、次来るぞ」
「おう…。堪忍な、兄ちゃん」
成田と呼ばれた男は、雷音にそう言うと呼ばれた方向へ駆け出した。
「え、もしかしてこれって、集会的なあれ?」
「かもな」
雷音の後ろで小動物のように震える奏大が、マジかよと呟いたがそれは雷音も同じ気持ちだ。
昨日の行いの罰が当たるにしても、これはないだろうと思う。本当に、最近はこういう連中と縁があり過ぎて辟易とする。
「あれ?」
聞き覚えのある声に二人して振り向き、二人してギョッとした。別の花道から出てきたのは、他の誰でもない、万里だったのだ。
「あらまぁ、心んとこがまたえらい男前入れたんかと思うたら、あんたらかいな」
「あ、え、ちょ…なに、あの、どう、も」
どうもって何だと思いつつも、返す言葉が見つからずに雷音は軽く頭を下げた。
「あの、何かあったんですか?」
「え?ああ、ちゃうよ、総会みたいな。って言うても分からんか。まぁ、会議や会議。あー、あんたらはデート帰りか」
雷音の後ろに隠れる奏大を覗き込み、万里はフッと笑った。
「朝っぱらから、居心地悪うしてもうて堪忍な」
「あ、いえ、あの、すいません」
奏大はどう返事をしていいのか分からずに、ただ頭を下げた。
もう、最悪。そんな奏大の隣で雷音の心中は穏やかではなかった。男女の仲じゃあるまいし、ホテル、しかもビジネスホテルの出入り口で逢ったのなら、それこそ昨日、知り合いに逢った場合の言い訳としての”最上階のバーで飲んでた”とでも言えばいいのに。
だが、それでは妙なのだ。奏大とそういう関係だと大嘘をついた雷音が、そんな言い訳をする方が不自然極まりない。
それでも、どうしても居心地が悪くて雷音は無意味に周りを見渡した。
「あんた、サングラスかけたらほんまに芸能人みたいやな」
上等なスーツと日本人離れした顔立ちにサングラス。ファッション雑誌の1ページを飾るようなそれに、万里は笑った。
「え…?ああ」
不自然にも思える返答に奏大が首を傾げたが、今までどう会話をしていたのか分からないほどに何を言っていいのか分からず、結局それ以上なにも言わなかった。
「若頭、すいません、時間です」
万里の後ろの男が、いつまでも動かない万里に痺れを切らしてそう切り出した。万里はそれに肩を竦めて、面倒やわと笑った。
「はいはい、分かりましたよー。あ、あんたら次からは他のホテルにしいや、ここ、うちの経営やねん」
「え!?」
知ってたら、選ぶか!と言い返す前に、万里はスッと雷音の横を通り抜けた。
もう、その時には明神組若頭 明神万里の顔になっていて、雷音でさえも声を掛けるのを憚られるほどの気迫だった。
「マジでヤバ、何か、すごいもん見た感じやな」
少しして奏大が大きく息を吐いて言った言葉に、雷音はそうだなと短い返事を返すだけだった。
住む世界が全く違う、そうまざまざと思い知らされた瞬間だった。
「さーて、今日は珍しく鬼塚組組長も来てるから、楽しくこうか」
ホテル最上階のスウィートの一室、風間組若頭の梶原は手を叩いてにこやかに笑うが、その華やかな室内とは裏腹に空気の禍々しさは半端ない。
何なの、お前らと梶原は軽い眩暈を覚えながら、咳払いをした。
「仲良く、な!」
念を押して椅子に腰掛けると、心がフッと笑った。それを見て、あー、これは機嫌の悪い笑いだなと梶原は思った。
今日は会合といっても軽いもので、各組の幹部連中を呼んでの重苦しい報告会ではない。こんなホテルで行うような、言うなればちょっとした集いだ。何なら茶話会と呼んでもいい。
だが多分、会合と知らずに来たのかハメられて連れてこられたのか、心はいつも以上に気怠げでやる気ゼロ。
しかも、珍しいことに相馬が居ない。これは一大事である。心のお目付け役の相馬が居ないのだ。
何をどう取り繕っても人様の前に出していいレベルじゃないのに、相馬も居なければ崎山も居ない。
なんだ、鬼塚組勝負に出たかと言いたいほど、無謀なことをしだした。
しかも、今日は万里が居るのだ。犬猿の仲、親の敵並みに仲の悪い二人だが、お前ら同じ会派の人間ってことをいい加減分かってくれない?と梶原は思う。
ライバル心とかよりも敵対心剥き出し。今にも殺し合いそうなそれなのに、こっちはこっちで神原が居ない。
何だ、仁流会を今日で潰すつもりか。
大体、心に何を言われても鼻で笑っておけばいいのだ、万里は。
だが万里はというと年は心よりも上のくせに、年上らしさが一切ない。年上の威厳もなければ、貫禄なんて微塵もない。
腕っ節は強く負けん気も強いが、とりあえず極道の世界のルールは守らない男である。そこは互いに…。
「あかん、天変地異の前触れや」
梶原は、今日はもう仕舞いでいいんじゃないかなー。こんにちは、皆さんお元気そうで何よりですーで良くない?と思いながらも、用意された書類に目を通した。
「えーっと、まぁ、イースフロントは相変わらずの業績で羨ましい限りやなぁ。こんなに儲かって、反対に商売やりにくくあらへんか?」
「あ?知らん。俺、ノータッチやし」
せんせーい!ここにアホが居ます!!と頭痛もしだした顳顬を押さえながら、そうですかと項垂れた。
この会議必要?そこで、いつもならば食いついてくる万里が静かなのに気が付いた。ふと見ると、ぼんやり座って心の言葉も聞いていない様子。
何、お前はお前でやる気ゼロか!!とテーブルを指で叩いた。
「明神さんは?最近、どう」
「え?ああ、せやなぁ。グリモワールがあったような、なかったような」
「は!?グリモワール!?」
あったようななかったようなって、何それ!一番、中途半端にしたらダメなどこでしょ!?と思わず腰が浮いた。
「いや、あらへんかったえ?うん、ないない」
いや、お前なにか知ってるだろうと、冷めた視線を送ってしまう。
今更あんなものが出てこられても、色々と迷惑な話だ。ある意味どんな印籠よりも恐ろしいもの。
とはいっても、実際、中身を見たことがあるわけではないので、どんな情報が入っているのかは不明なのだ。
だが自分の個人情報が詳細に書かれているというのは、気分が良いものではない。何よりも、組内部のことが外部に漏れるのは非常に拙いのだ。
「まぁ、ええわ。えーっと、明神は…上納金も問題ないと。トラブルとかあらへんか?」
「トラブルがあらへんときがあらへん」
「まぁ、せやな」
お前自身がトラブルメーカーやしなと、あまり締まりのない集いに疲弊する。
梶原もあまりこういう集いは好きではない。非合法が罷り通ってきた、拳と看板で商売出来た時代を生き抜いてきたのに、今更、難しい書類と眺めっこしろとは、なかなかの難問である。
数字は嫌いではないが、会議が嫌いとダメな大人の見本のようなことを思いながら、他の組の幹部連中に話を振った。
「お前、死ぬな」
会議もそこそこに部屋に用意されたバーカウンターで酒を嗜んでいると、隣に座った男の不躾な言葉にチッと舌打ちをした。
そして万里は紫煙を一気に吐き出すと、ロックグラスに入った酒を一気に煽って手で追い払うような仕草を見せた。
「今はあんたの相手しとうないわ。他所で遊んでもらいーな、心」
開口一番、言葉の少ない男の死の予想に付き合うほど、暇ではない。第一…。
「死ぬって失礼やろ。断言か」
「お前、相内会とモメとるやろ」
心は出された酒に口をつけながら、万里の咥えている煙草を唇から取り上げた。
「顔に似合わんヘビーな煙草やな」
「なんで相内会とモメてるって知ってんの」
「お前、アホやろ。うちに誰がおると思ってんねん」
相馬かと舌打ちして、一体、どうやって情報を得ているのか疑問に思う。もしかして内通者でも居るのかと。
だが居たところで敵対組織じゃあるまいしと、出されたクラッカーを口にした。
「相内会、知ってるん?」
「俺がか?」
知る訳ねぇだろみたいな顔をされると、じゃあ言ってくるなと思う。本当に極道でありながら、極道に興味のない奴だ。
「なんで俺が死ぬんな。お前やのうて」
「今のお前には覇気があらへん」
「はぁ?何を言うてんの?」
「あー、色ボケ?」
「…殺すよ?」
言うに事欠いて色ボケとは何事か。何も知らないくせに、何もかも知っているような口ぶりで話されると腹が立つ。
そうだ、今日は神原も居ないし心のお目付役も居ない。これは今日こそが決着をつける時ではないのかと、新しい煙草を咥えて心を見た。
「やる?」
「やめとけ。今日はお前、俺に殺されてもおかしない」
「ひどいなぁ、あんた。…なら、寝る?」
「…頭沸いたか」
露骨に嫌な顔をして呆れるわと言う心に、そうですねーと呟いた。
背格好と体格が似てるから寝るのもありかなと思ったが、さすがに心に足を開くのはなと思う。
第一もし寝たとして、それが神原にバレたら確実に殺される。絶対。
「最近、余所者ともモメてるらしいな」
「女で商売するには、いくらでも金が落ちる国やからな。暴利なことするために、使いもんにならん女はすぐに始末しよる。俺ら以上に鬼畜やで、あいつら」
万里は紫煙を燻らせながら、血に塗れ川に捨てられた女の最期を思い出した。細い腕は反対側に折れ曲がり、顔は苦しみで歪んでいた。
「女にあそこまでするんは、解せん。しかも仁流会の島にまで足入れ始めてるからな。番犬は野に放たれなあかんやろ」
「相内会の稲峰は、そのアホどもと繋がってとるんやと。それが相内会で繋がってるんか、個人で繋がってるんかまでは知らんけどな。調べる価値はある」
「はぁ、珍しい。情報くれるわけ?」
「番犬も何もなしに放たれたら、ただの野良犬やろうが」
「そう、おおきに」
万里はにっこり笑うと心の胸倉を掴んで引っ張り、その唇に唇を重ねた。ちゅっと卑猥な音をさせて離し、情報料と囁いた。
「お前は、ほんまに」
心は万里をひっぺがすようにすると、そこから立ち去ってしまった。
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