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第42話
「こんばんわー、いらっしゃいませ」
にっこり笑顔で迎える和花に雷音は少し苦笑いをした。そんな雷音を見て、和花は鼻で笑って返した。
ああ、こういうところ似ているかも。神原を兄だと知ってしまうとそう見えてしまうのか、似てるなと感じてしまう。
和花に言えば烈火のごとく怒るかもしれないが、血は争えないものなのだ。
「なぁに、その顔。BAISERの雷音が2回目の来店。しかも指名してくれて鼻が高いわ。で、今日はなに?あたしが悲壮感に暮れてるとでも思ったの?」
雷音は今、amour en cageに来ている。この店には二度と来ないだろうと思っていたが、あんなことがあった状態で和花がどうしているのか気がかりだった。
だが雷音の心配を他所に、和花は何事もないような顔をして雷音の隣に腰を下ろした。
「いや、そうでもないけど…。ただ、大丈夫かなって」
「大丈夫なわけないでしょ?あんのバカ兄貴、本気のビンタする?マジでサイコだわ」
和花はグラスにロックアイスを投げ込んで、ウイスキーを注いだ。先日、来店した時とは別人のような口調に思わず笑う。
本性がバレた今、雷音に着飾った自分を見せるのは馬鹿馬鹿しいと思っているような感じがした。
「でも今回は万里も危なかったらしいし、まぁ、自業自得よね」
雷音を見て苛立ちが蘇ったのか、和花はウイスキーを一気に煽って、ふーっと息を吐いた。
「本当に、極道が嫌いなんだ」
「当たり前でしょ?好きな人なんているの?」
まぁ、確かにそうだなと困ったように笑うと、和花が何よと言わんばかりの顔をした。
「いや、俺も…俺も極道だって言ったら?」
「は?何言ってんの?BAISERの雷音ってそういう冗談言うの?低俗ね」
「一新一家って知ってる?」
「……」
「俺、由良 雷音っていうんだ。一新一家由良組の息子。色々あったけど、盃を受けて若頭補佐になったんだ」
「な、んでそんなこと言うの?あたしが言いふらしたらどうすんの?」
和花は困惑の色を表情に滲ませ、雷音を窺うように見た。
「君が神原さんの妹って知っちゃたし、フェアじゃないと思ったから。色々あって隠してきたんだけど、明神さんと神原さんに助けられたから」
「違うでしょ。万里はともかく、兄貴は人を助けるときは打算で動くのよ」
さすが、よく分かってるなと雷音は小さく笑った。
「とにかくお兄さんが嫌いなの?俺も、兄貴が居るんだけど…」
そこまで嫌悪とかそういうのはなぁという顔をすると、和花はすらりと細い足を組んでその膝に肘をついて微笑んだ。
「あなたのお兄さんは、どんな人?あなたみたいに甘ったるい顔で微笑むような男?」
「いや、腹違いのせいか似てなくて、最近まで仲が悪かった。どちからっていうと万里さんに雰囲気は似ているかな。性格は厳しい人だけど」
「万里みたいにネジが吹っ飛んでるわけじゃないんでしょ。それに、うちの兄貴みたいにサイコじゃないでしょ。あいつ、実の妹をソープに投げ込もうとした男よ」
「それは…ちょっと」
雷音はさすがに面食らった顔をして、和花を見た。すると和花は自虐的に笑い、雷音の前にグラスを置くとロックアイスを入れた。
「口の中は切れて痛いし、頬も痛いし、あなた一新一家なら兄貴を殺してくれない?一新一家は仁流会とは袂を分かった関係でしょ」
「いや、そもそも盃を交わした仲ではないし、お互いの勢力が大きすぎて一緒にならなかっただけだよ。仲違いしているわけでもない、お互いの距離感を大事にしている関係かな」
「本当、ご都合主義よね、ヤクザって」
途端、不機嫌な顔をして和花は自分のグラスにウイスキーを注ごうとした。雷音はそれをそっと取り上げると、テーブルの上に何本か並べられてる酒瓶の中からグレンフィディック12年を手に取り、ゆっくりとグラスに注いだ。
「安酒だけど、好きなの。それ」
「良い酒だよ、リーズナブルで女性受けするフルーティーな酒だ」
グラスを和花に差し出すと、和花はそれをゆっくりと嗜むように飲んだ。
「和花さんは…神原姓じゃないよね」
「星池よ、星池和花。あたしは母方の籍に居るから」
「綺麗な人だろうね」
「え?」
「君も綺麗だし、神原さんも男の人に言うには失礼だけど、綺麗だから」
素直に思ったことを口にしたつもりだったが、和花はその言葉に綺麗な顔を歪ませた。
「さすがね、BAISERの雷音。でもね、綺麗な花ほど毒があるのよ」
「え?」
「うちの母親って、今でいう毒親なの。あなたのためよって言いながら、子供の全てを把握して管理してコントロールしたがるの。しかもビッチ。もともとモデルかなんかだったらしくて、どうやって知り合ったのか明神組の鬼神って呼ばれた父と結婚してあたしと兄貴を産んだんだけど、その時から普通のヤクザじゃないのよ?明神組の若頭よ?なのに、二人も子供を産む?しかも自分は極道の世界とは全然関係もない、縁もない人間なのよ。極道の妻として生きていく覚悟も知識もゼロ。もちろん、普通の家のような生活ができるわけもない。近所でも学校でもすぐに噂は広まる、子供は地獄よ」
「そうなんだ…」
自分はどうだったかなと昔を思い出してみるが、和花とは立場が違うので”地獄”と思うようなことはなかった。体格も周りよりも恵まれていたし、容姿も人に言わせれば十分、恵まれていた。
そのせいでやっかみを受けた記憶もなく、影で何か言われていたとしてもそれを気にするようなタイプではなかったのだ。
「でも万里が明神の家に来て、うちみたいな若頭の娘や息子じゃなく、ガチで極道の家の子、組長の子っていうんで友達もろくに出来なくて、父が似た年頃の兄貴を組に連れて行くようになってさ。最終的に明神家付っていうか万里付きみたいな感じになって、帰ってこなくなったわけ。その頃からはもう地獄。兄貴が居ない分、二分されてた母親の感情があたし一人に注がれるようになって自分の所有物みたいにする母親の異常なまでの干渉。持ち物から友達、なんだったら生理がどうだったかまで全部よ。思い出すだけでも反吐が出るわ」
和花は苦々しげに一気に捲し立てると、気を落ち着かせるかのようにウイスキーを口にした。
「結局、あたしが小学生の頃に離婚することになって。父親は兄貴を引き取ったの。そしたら勤め先で知り合った男とかいうのが家に出入りするようになって、嫌な目つきで笑う男だったわよ。女は年を取ると若い男に狂う人が出て来るけど、まさに典型的にそれ。若さだけで定職にも就いてないような、顔だけのろくでなし。ろくでなしは下半身もろくでなしよ。あたし、中学の頃にそいつに性的悪戯されて、それを母親に言ったの。じゃあ、それは愛情よって言ったのよ。下着脱がして身体を舐めまわしてくるようなのが愛情?本当、マジで絶望。そっからあたしもグレて…おっさんをカモにしてたの」
「おっさん?」
「そう、スカートの中を見せてあげるっていって、お金もらうの」
雷音はギョッとした。和花はそれを鼻で笑った。
「男より稼ぐのは簡単よね、女は。でも所詮は子供でしょ。その相手のおっさんが囮捜査してる警官って気が付かないわけ。それで補導されて、呼んだの」
「お母さんを?」
「父を。神原博巳をね。名前出したときの警察の慌てよう、笑っちゃう」
「そりゃ、驚くんじゃないの?」
「でも来たのは兄貴だったの」
「神原さんが?」
「そう、数年ぶりの涙の再会よね、普通なら。でもあいつと警察で顔を合わした瞬間、往復ビンタされて蹴り倒されたわ。組の弁護士の人と警官が止めに入ったけど、止めに入らなかったらどうなってたか」
「やったことに怒ってったこと?」
女は稼ぐのは簡単かもしれないが、リスクが大きい稼ぎは危険を伴うことが多い。所詮、女だ。そして、子供だ。
大人の男が本気になれば、どうとでも出来るのだ。その身を案じてのことかと思ったが、和花は肩を竦めて空を睨みつけた。
「兄貴にそんな優しさあると思う?恥をかかせたからよ。おっさんカモにして援交してたのがまさか鬼神の娘よ?兄貴は昔から自分の計算と違う動きをされるのが大嫌いだったの。特にあたしや母のことは下衆を見るような目で見てきたわ。でも、あたしだって神原博巳の娘であることには間違いないんだから、引き取れって兄貴に言ったの。母のところに帰ったら、次こそレイプされるってね。でも兄貴はされちまえって言うだけだった」
「え…!?」
「サイコでしょ、マジで狂ってるわよね。だから万里に言ったの、あんたのせいだって。万里が居なけりゃ父は兄貴を手元に置くことはしなかった。全部、あんたの存在のせいだってね」
「それは違うだろ…」
雷音が言うと和花は妖艶に笑った。そして頬杖をつくと、眉を上げて首を少し傾げて目を細めた。
「そうやって、みんな万里の肩を持つの。父も、兄貴も、全員。万里は悪くない、万里のせいじゃない、みんなそう。でも話を聞いた万里は真っ青になって、兄貴に引き取れって直談判したみたいね。家に迎えに来た時の兄貴の顔ったら、人生で一番愉快だったわ。結局、そのヒモ男は兄貴が連れてきた舎弟連中にボコボコにされて、挙句、怯えて泣く実の母親に自分たち兄弟と父親には一生関わらないって一筆書かして署名捺印させたのよ。それでようやく母親から逃れた。籍はそのままだけど、あたしは父の元で育ったの」
「なら、君の気は済んでるんじゃないのか?」
大嫌いな母親から逃げることが出来、望み通り明神家が引き取った。父親と兄貴と仲良く家族団欒とまではいかないにしても、母親の恋人に犯されるかもしれないという危険に身を晒すことは回避できたのだ。
だが、和花は首を振って冷淡に笑った。
「言ったでしょ、実の妹をソープに投げ込もうとした男だって。引き取って育ててはくれたけど、明神組は仁流会の番犬だかなんかでしょ。寝ても覚めても抗争で、ある日、父が捕まった。で、残された兄妹はというと、あたしはまだ大学に入ったばかり。兄貴は明神組に入って万里の片腕となってたんだけど、大学の費用から生活費から全て請求してきたのよ。未成年である実の妹によ?どうかしてると思わない?あのバカ兄貴」
「それはさすがに…」
ないよなと雷音は空笑いをした。
「兄貴である自分が立て替えたんだから、全部返せって。それが嫌なら大学を辞めて働いて二度と関わるなってね」
「え?それって、君に極道に関わらさないための口実で言ってるんじゃないの?」
「ちょっと本気で言ってるの?兄貴にそんな優しさあると思う?厄介払いしたかったんでしょ。でもそうはさせないわよ。死ぬまで兄貴に纏わり付いてやるって警察で殴られた時に思ったもの。万里もそう。万里のせいで兄貴は組に入ったのよ。逆恨みだろうがなんだろうが結構。あたしはそうでもしないと自分の存在意義が分からなかったもの。父にだって抱きしめてもらったこともないし、母は頭のネジが飛んでるし、兄貴は汚物を見るよにあたしを見る。だから絶対に大学も辞めないし兄貴からも離れないってね。じゃあ本当に請求してくるんだもん。大学に入ったからには勉学を疎かにするなってバイトも禁止、返せるわけもなく借金だけは膨らんでいく。で、卒業間近に送られて来た請求書は二千万をゆうに超えてたってわけ」
「え、多すぎるだろ、それ」
さすがに雷音もギョッとした。大学の費用と生活費としても、かなりの金額だ。
だが和花は当然と言わんばかりの顔をして、艶やかな黒髪を耳に掛ける仕草をした。
「クズよね、あいつ。そうなることが当然とばかりに、嫌がらせみたいに高いマンションに住まわせてたんだもの。それに加えて生活費として多すぎる額の仕送り付きよ。面白いくらいに膨らむわよ。こんなの一生かかっても返せないって言ったら、就職して夜も働けばいいだろって面接先を紹介されたの」
「それが?」
「そう、行ってびっくり、ソープよ。本当に刺し殺したかったわ。でもそこの店長さんが良い人っていうより、あたしが神原博巳の娘って知って尻込みしちゃってさ。で、君はとても素敵だからホステスになれば?ってここを紹介されたの」
「そう、なんだ…」
確かに食えない男だとは思っていたが、実の妹にまで躊躇うことなくすることが極道の見本みたいだなと思った。
「大学は経済学部だったの」
「え?」
突然そう言う和花の意図が理解できずに、雷音は首を傾げた。
「経済学部よ、あたし。幸いなことにうちの母親は頭が悪い人じゃなかったみたいで、成績も上位。大学もそこそこ名の知れたとこでね。だから、お客さんで来た社長さんの話には誰よりも付いて行けたの。経済新聞も読み漁ったし、大学の時の教授に話を聞きに行ったりして知識だけは必死につけたの。じゃあ、あっという間にNO.1になって、あっという間に借金完済」
「すごいね、それは」
「そう、でもそれじゃああいつの思う壺じゃない?籍も母親のところのまんまだし、借金返済と同時に兄貴に見限られるのは近いって思ったの。だから、万里の許嫁って触れ回ったのよ」
何だか兄貴である神原に捨てられないよう必死に見えるなと、雷音は思った。こっちを見てと、心の底から叫んでいるようにさえ思える。
「ねぇ、雷音さん、あなたのお兄さんもやっぱりヤクザ?」
「ああ、一新一家で若頭を…」
「殴られたことはある?」
「殴られた…。そういえば、この間、蹴飛ばされたな。でも自業自得だったから仕方ない」
昔は毛嫌いされているというよりも、存在を無視されているところがあって喧嘩らしい喧嘩もなければ、それこそ会話さえも数える程しかしたことがなかった。
ああいう形だったが、面と向かって話したことも、あまつさえ蹴飛ばされることも初めてだったんだなと思うと、それはそれでおかしな兄弟だなと感じた。
その雷音の表情を見て、兄弟仲が良いと思ったのか和花は忌々しげに唇を噛んだ。
「いいわね、あたし兄貴をサイコだと思ったことはあるけど、自分が殴られて自業自得だなんて一度も思ったことなかったわ。異母兄弟でもなんでもないのよ?まるで存在が疎ましいと言わんばかりなんだもん。あいつに何回殴られたか…」
「え、何度も?」
昨日が初めてじゃないのかと思った。そうか、だから今日も普段通り店に出勤しているのか。
あまり良いことだとは思わないが、慣れているのだ。兄である神原からの暴力に。
「大学の時、一人暮らしだったんだけど門限があったの。そんな厳しくないわよ。それが24時なんだけど、マンションの入り口で舎弟が見張ってるのよ。で、ある日、彼氏を連れて帰ってきたんだけど、その報告を受けて兄貴がマンションに乗り込んできて、あたしも彼氏もボコボコ。そうえいば兄貴って弱いのよ。知ってる?」
「弱いって、その、喧嘩とか?」
「そう、鬼神の息子なのに喧嘩は全然ダメなの。でも女を殴るくらいは容易いでしょ。だから男である彼氏は舎弟に殴らせるの。マジで最低よね。俺が金を払ってるマンションで乳繰り合うなっていうのが理由。バカにしてるわよね。そんなのが何度もあったわ。顔の原型変わって入院したこともあるし」
「厳しい…お兄さんだね」
何て酷い兄貴だと言えばいいのか、自分でもどうかと思うような言葉を口にした。それに和花が形のいい眉を顰めた。
「それ本気で言ってるの?それとも冗談?笑えないわよ。異常者よ、あいつ」
「確かに暴力は良くない。昨日みたいな平手打ちだって、女性からすれば大きなダメージになる。男に殴られるのって、すごい恐怖だと思うんだ。でも、不思議なのは君はなぜ今もここまでして神原さんに執着するのかなって。勝手な憶測だけど、あれだけの暴力を受けたら仕返しよりも逃げたくなるんじゃない?」
和花は目を丸くした。まるで何を訳の分からないことをと言わんばかりだ。
「どうして?あたしが居なくなればせいせいするでしょ?せいせいして、足枷がなくなったって思われたくないの」
「足枷…」
「あたしはあいつの足枷なの。絶対に自由になんてしてやらないし、何をするにしても邪魔してやるって心に誓ってるの。あいつがあたしに心から謝罪して頭を下げるまで、蛭みたいに吸い付いてやるんだから」
話をずっと聞いていると、拗らせてるなぁと声には出さずに思った。和花は神原が自分の方を見ないことが嫌なんだろうなと思う。
どれだけ口で罵っても、神原に振り向いて欲しくて仕方がないようにしか聞こえない。ようは大好きなお兄ちゃんというやつだ。
自分では気が付いていないとは思うが…。
「ねぇ、由も帰ってきたんでしょ?」
「え?由…。ああ、飛鷹さん?」
「そう、あなたみたいに甘ったるい顔した、クロスのネックレスした男よ」
「ああ、逢ったよ。うん」
「あいつには気を付けたほうがいいわよ」
和花はダビドフ・マグナムの箱から一本取りだすと、小さい口に咥え火を点けた。そしてゆっくりと吸い込み指で挟むと雷音の唇に運んだ。
「飛鷹由は万里のためだけに生きてる男よ」
「それ、万里さんにも聞いたけど、有名なの?」
「あの組に関わりの深い人間は誰でも知ってるわ。由は万里と明神組のためだけに生きてるの。万里のためなら、そうね、もし兄貴が万里の足枷になることがあるとすれば、一瞬も躊躇することなく兄貴を殺すわ。それくらい万里のことしか考えてないの。だから、気を付けて」
和花は淫靡に笑うと残ったウイスキーに口を付けた。
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