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5-③

 普段なら声を掛けられても立ち止まることはないのだが、大学の構内なので油断した。体の中の空気を入れ替えるように、啓介は大きく息を吸って吐く。  せっかく髪を切って貰って気分良く過ごしていたのになと、いじけたくなった。  このまま歩いて渋谷に行こうか。お気に入りのショップを巡れば、そのうち気持ちも上がるだろう。  それとも。  歩きながらふと、桜華大(おうかだい)に行ってみようかという気持ちが湧いた。確か桜華も今日はサマーオープンカレッジを開催していたはずだ。事前予約が必要かどうかまでは調べていないが、もし入れなくても大学の周辺を見て回るだけで気分転換になるかもしれない。 「受験する気はないけど、他のコがどんな服を着てるのか気になるし。ちょっと見るだけ」  誰に咎められる訳でもないのに、いちいち言い訳してしまう自分が少し可笑しかった。  渋谷から電車に乗り、三つ目の駅で降りる。入り組んだ駅構内で少し迷った後、ようやく桜華大の最寄り出口を見つけ、ひとまず安堵した。あとは幹線道路をひたすら真っ直ぐ進むだけなのだが、道路沿いに立つ「いかにも都会的なビル群」という同じような景色が続き、自分がどれくらい歩いたのか距離感がわからなくなった。  ようやく桜華大に辿り着いた啓介は、正門の手前から中の様子を伺う。  受付らしきものは見当たらず、啓介と同じような年頃の生徒らで構内は賑わっていた。「それじゃあ遠慮なく」と思いながら足を踏み入れる。  あの人の着ているブラウス良いな。あのピアスカッコいいな。あんな髪色にしてみたいな。すれ違う人を目で追っているだけでもわくわくする。  服飾博物館に手芸用品店と見紛うほどの購買部。実用的な資料や図集、ファッション雑誌まで充実した図書室。都会の一等地に広がるキャンパスは、まるで一つの街のようだった。それも、自分の好きなものばかりが詰め込まれた街。  どこを見ても「いいな」という感想が出てくる。  ウロウロしていたら、大音量の音楽が漏れ出る建物の前に辿り着いた。中を覗いてみたかったが、扉の前に立つドア係の生徒に「今ショーの真っ最中で扉が開けられないんです。一区切りするまでお待ち下さい」と告げられ、啓介は素直に頷く。  しかし次の瞬間、今まさに「開けられない」と言われた扉が内側から開かれて、啓介は驚いて身を引いた。中から飛び出してきたのはパンツスーツを格好よく着こなした四十代くらいの女性で、一目見て「何かトラブルが起きたのかな」と思わせるような、血の気のない真っ青な顔をしていた。

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