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8-②

 直人は諦めたように溜め息を吐き、前髪をがしがしと乱暴に掻く。 「まぁいいや、とりあえず飯行くか。乗って」  自転車の後ろを顎で示され、啓介は進行方向とは逆を向いて荷台に跨った。直人と背中合わせの状態で座り、無邪気に「しゅっぱーつ」と声を掛ける。  自転車は緩やかにスピードを上げ、寂れた駅がどんどん遠ざかっていった。碌に店もなく、街灯と街灯の間隔が広い道は、真っ暗で誰もいない。 ――夜に飲み込まれそうだ。  啓介は追いかけてくる闇を見つめながら、直人に寄り掛かかった。  背中から伝わる体温だけが、今、唯一「自分はこの世に一人きりではない」ということの証明のように思えてくる。 「啓介、何食いたい?」 「なんでもいいよ」 「じゃ、お前んちの近くのお好み焼き屋行くか」 「えー。服に匂いが付くからヤダなぁ」  思うままに答えたら、「はぁ?」と言う苛ついた声が返ってきた。 「お前、なんでもいいって言っただろうが」 「あっはは。そーだった。じゃぁいいよ、行こ。僕、明太チーズもんじゃ食べたいから、直人が作ってね」 「はいはい」  呆れたような返事の後で「そういえばさ」と急に真剣なトーンに変わる。 「大学、どうだったんだよ」 「えー? あぁ、うん。面白かったよ」  声に出したら、余計に実感した。  そうだ。今日は抜群に面白い一日だった。 「直人、あのね……」 「でも、本気で東京に行くわけじゃないんだろ?」  打ち明けようとした矢先、続く言葉を掻き消された。声にならなかった声は、暗い夜道に消えていく。  一呼吸置いてしまうと、もう言い出せなくなってしまった。  そもそもどこまで話して良いのだろう。  雑誌のモデルになることは伏せた方がいいのだろうか。 「どうだろう、ね。わかんないや」  不確定要素が多すぎる。もっと具体的に決まってから話しても遅くないだろう。そんな風に少しだけ都合よく言い訳をして、啓介は直人の背中に体重を預けた。

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