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8-⑤

 啓介は掛ける言葉を見つけられないまま、テーブルの上に置いた自分の手を見つめた。視界の端に映る母親が、泣いてなければいいなと思う。 「でも別に、後悔はしてないの。今の人生も大満足なのよ。だって学校を辞めてなかったら、啓ちゃんもこの世に存在してないわけだし。むしろ、あの選択は正解だったと思ってる」  千鶴の発した声は明るかった。少しだけホッとしながらも、まだ顔を上げられない啓介は「そう」と短く相槌を打つ。 「二度と服なんか作らないと思ってたのに、ちっちゃな啓ちゃんがあんまり可愛いから、ついつい作っちゃったのよね。そうしたら楽しくて楽しくて。それで、今に至ってるワケだけど」 「そうだね。僕は何を着ても似合ってたから、作り甲斐あったでしょう。一枚の布から服を仕立てる千鶴は、魔法使いみたいで格好良かったよ。世界に一着しかない、フルオーダーで育った僕って凄いよね。おかげで、オーダーメイドとレディメイドとの違いを随分早くから感じられたし、感謝してる」  初めて既製品(レディメイド)を着た時の違和感は、今でもよく覚えている。悪くは無いがしっくりこなくて、少し戸惑った。思い出したら可笑しくて、啓介はふっと小さく笑う。つられたように千鶴も笑ったが、その声は震えていた。 「啓ちゃんが私の真似をして服を作るの嬉しかったけど、こんなことになるなら止めればよかった」 「……そんなこと言わないでよ」 「辛い目に会うのが解ってるのに、あの世界に送り出すなんて出来ない。ごめんね、啓ちゃん。保護者同意書に、私は絶対に判を押さない。桜華大にも行かせないから」  テーブルの上に大粒の雫がいくつも落ちる。  ハッとして顔を上げると、こぼれる涙を拭おうともせず、千鶴がこちらを真っ直ぐ見据えていた。本気で止めようとしているのが伝わってきて、一瞬怯みそうになる。  だがここで退くわけにはいかない。 「親不孝でごめんね。でも、自分がどこまでやれるか試してみたい」 「駄目よ。何でよりによってこの道なの。もっと他にいっぱいあるじゃない、歩きやすそうな道が!」  語気を荒げた千鶴がテーブルを叩き、空気がビリッと揺れた。相変わらず目に涙を溜めたまま、千鶴は啓介に強い眼差しを向けている。  感情を剥き出しにしてまで必死に止めようとする様を目の当たりにして、反対に啓介は冷静になることが出来た。  もしかしたら千鶴の中では、自分は幼い子どものままなのかもしれない。もうとっくに背だって追い越しているというのに。まだ自分のことを守ろうとしてくれているのかと考えたら、何だか泣いてしまいそうで喉の奥がヒリヒリした。 「あのね、千鶴。僕はもう、自分で自分の身を守れるよ。千鶴に守って貰わなくても大丈夫なの」  千鶴の目を見て静かに語りかける。それでも千鶴は弱々しく首を振った。

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