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第9話 envy

 翌週、無事に押印された同意書を携えて、啓介は再び都内を訪れていた。いつもは渋谷まで乗る地下鉄も、今日は撮影のために途中下車する。  改札を抜けて地上に出た啓介は、周囲をぐるりと見回した。少し早めに着いたので、まだ待ち合わせ場所に緑川の姿はない。「まぁいいや」と、夏らしい青空を眺めながら待つことにする。  空の色は同じだが背の高い建物に囲まれているので、見える青の範囲は地元に比べると、とても狭い。  ふとした瞬間「東京だなぁ」と実感する。  見上げ過ぎて首が痛くなり、視線を正面に戻したら、目の前を女子高生たちが談笑しながら通り過ぎて行った。夏休みでも補習や部活があるのだろう。よく見れば他にも学生がチラホラいて、こんなオフィス街にも高校があるのかと不思議な気持ちになった。  啓介にとって東京は特別な場所で、何度来ても少し身構えてしまうのだが、そこで暮らしている人も当然いるのだ。  啓介は興味深そうに、徐々に離れていく高校生の後ろ姿を観察した。濃紺のポロシャツとチェックのスカート、ポロシャツと同色のクルーソックスには茶色のローファーがよく合っている。私立高校の制服だろうか。同い年くらいの生徒たちは、やたらと垢抜けて見えた。 ――あの子たちは「東京」に気後れなんてしないんだろうな。  当たり前のように流行の発信地の空気を吸い、最先端を享受している。それはとんでもないアドバンテージのような気がして、酷く焦燥感に駆られた。  雑誌やテレビで観るような憧れのショップも、彼女らにとっては近所にあるただの店なのかもしれない。学校帰りについでに寄るような、気負いのない気軽さが心底羨ましかった。 「もし自分が都内に住んでいて都心の学校に通えていたら」など、ついつい夢想してしまう。  物思いにふけっていると、目の前の白山通りに一台のタクシーが停車した。ハザードランプが焚かれたそのタクシーから、緑川が降りてくる。すぐにこちらに気付き、緑川は軽く手を挙げてほほ笑んだ。 「お待たせ。早かったのね。スタジオはすぐそこだから、歩いて行きましょう」  言うが早いか、緑川は青信号が点滅する横断歩道を渡り始めたので、啓介も慌ててその後を追った。緑川は今日も仕立ての良さそうなパンツスーツを着こなしていて、ハイヒールで颯爽と歩く姿からは知的なオーラが漂っている。 「今日の撮影はね、博雅(はくが)出版さんのスタジオなの」 「へぇ。自前のスタジオがあるんだ」  博雅出版はリューレントを発行している、業界最大手の総合出版社だ。雑誌から書籍、コミックスに写真集など、扱うジャンルは幅広い。 「本社ビルからも近いし、海藤編集長も今日はキミたちの撮影を見に来るそうよ」 「キミたち(・・)?」  疑問符を浮かべる啓介に、緑川は「ああ」と思い出したように説明を付け加える。

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