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11-③

 窓の外を覗いてみると、アパートの前には既に直人の姿があった。自転車にまたがったままの姿勢でハンドルに頬杖をつき、絶えず踵を小刻みに上下させ、貧乏ゆすりをしている。  時刻はまだ十六時を回ったばかりだと言うのに、何だか辺りは薄暗かった。空に目をやると、重く分厚い雲に覆われていて、今にも夕立が来そうな気配がする。  不安定な空模様の中、突然家に押し掛けるなんてよほど急ぎの用でもあるのかと首を傾げつつ、啓介は部屋を出た。アパートの階段を降りながら、直人に向かって声をかける。 「どうしたの、急に。何の用?」  顔を伏せていた直人が啓介の声を聞いて目線を上げた。その目に仄暗い影が落ちているのは、こんな天気のせいだからだろうか。  蝉の鳴き声もしない灰色の風景の中で、直人は返事もせずにジッと啓介を見ている。 「……直人?」  いつもと様子が違うことに不安を覚えながらも、啓介が歩み寄る。目の前まで来たところで、直人は自転車のカゴから取り出したものを啓介の胸に突き付けた。 「これ、お前だろ」  強く押し付けられたものを見て、何を問われているのかに気付く。それは紛れもなくリューレントで、自分が載っている昨日発売されたばかりの最新号だった。  ハイブランドの衣服になど微塵も興味のない直人が、なぜそれを持っているのか。啓介の頭は混乱し、心臓が大きく跳ね上がる。  まだ間に合う。「何のこと?」と言ってとぼければいい。  素顔からは程遠いメイクだ、写真だけで見破れる訳がない。「言われてみれば似てるかもしれないね」と笑って誤魔化せるレベルのはずだ。  早く。早く、何か言わなきゃ。  そう思えば思うほど、息が詰まって言葉が出ない。  リューレントを見て固まる啓介の姿は、直人の問いを既に肯定していた。  曇天の下、針の(むしろ)のような沈黙が続く。あの雲よりも更に黒くて濃い影が、二人を覆っているような気がした。遠くから、かすかに雷鳴が聞こえる。

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