62 / 71

11-⑧

「雹が夏の季語だなんて知らなかった」 「じーちゃんが俳句好きでさ、いつの間にか俺まで詳しくなっちまった。じゃあ、雹のこと氷雨(ひさめ)って言うのも知らないだろ」 「うん、初めて聞いた。氷雨って、冬に降る冷たい雨のことじゃないの?」  驚くような声をあげた啓介の反応が期待通りだったのか、直人は満足気に鼻を鳴らした。ほんの数分前まで掴み合いの喧嘩をしていたと言うのに、いつの間にか穏やかな空気が流れ始める。 「氷雨って書いて『ひょうう』って昔は読んだらしいよ。夏の季語だけど、辞書引くとお前のイメージ通り、初冬の冷たい雨とか(みぞれ)とも書いてあってさ。氷雨は冬の季語としてもアリって言う人もいて、賛否両論ぽいんだよね」  それを聞いて改めて雹を見ると、なんとも複雑な気持ちが湧いた。目の前で粉々に砕けていく氷を、思わず自分に重ねてしまう。 「夏と冬、正反対なのに同じ季語ってややこしいね。雹に霙かぁ……。雨にも雪にもなれなくて、中途半端な僕みたい」  吐き出した息が微かに震えて、それを誤魔化すように啓介は小さく咳払いをした。溶けだした氷でアスファルトが濡れ、埃っぽい匂いが辺りに漂う。  少しの沈黙の後、直人が何かに気付いたように「あ」と短く声を発し、降り注ぐ雹の中へと走って行った。何をするのかと見ていたら、投げ捨てた雑誌を拾って再び啓介の隣に戻ってくる。 「あー。ちょっと濡れちった」  着ているTシャツに表紙を擦りつけて拭い、直人は改めて啓介の載っているページを開いた。気恥ずかしくて啓介が目を逸らすと、「ごめんな」と直人の沈んだような声が聞こえてくる。徐々に雨へと変わりつつある雹に目線を向けたまま、啓介は尋ねた。 「何に対してのゴメンなの。殴ったこと? 雑誌を目の前で捨てたこと?」 「全部。……ホントはさ、啓介が俺に何か言おうとしてたのも気づいてた。でも、なんでだろうなぁ。聞きたくなかったんだよね。東京に行ったら、お前がお前でなくなっちゃう気がしてさ。多分、きっと俺は寂しいんだな」  言いながら自分でも納得したような口ぶりだった。

ともだちにシェアしよう!